402号室の鏡像

あるいはその裏側

絶望的な籠城戦 『13時間 ベンガジの秘密の兵士』(原題:13hours)感想

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トランスフォーマー」シリーズなどのヒットメーカー、マイケル・ベイ監督が、2012年にリビアで発生したイスラム過激派によるアメリカ領事館襲撃事件を映画化したアクションドラマ。事件を取材したジャーナリストのミッチェル・ザッコフによるノンフィクションをもとに、支援を絶たれた6人のCIA警備兵が繰り広げる13時間の激闘を臨場感たっぷりに描き出す。12年9月11日、リビア港湾都市ベンガジにあるアメリカ領事館が、イスラム過激派の武装集団に占拠された。領事館のほど近くにあるCIAの拠点アネックスは救援要請を傍受するが、アネックスの存在自体が極秘であるため手を出すことができない。アネックスに派遣されていた軍事組織GRSの6人の警備兵たちも待機命令を受けるが、領事館を取り巻く状況が緊迫していくのを見過ごすことができず、任意で救援活動に乗り出す。

13時間 ベンガジの秘密の兵士 : 作品情報 - 映画.com

息着かせぬ180分間

 『13時間 ベンガジの秘密の兵士』(原題:13hours)を観た。結構前から海外では公開されていて、予告編がすごく面白そうだったので期待していたのだけど正直劇場で観たくなるくらいの大傑作だった。

 元々、マイケル・ベイ監督の作品は大好きで『バットボーイズ2バッド』や『トランスフォーマー2』なんかは特に好きなので、今回も同じように期待していたのだけど、ベイ監督の持ち味である爆発や銃撃戦、カーチェイスなどによる派手な絵作りは特折りうるさく感じてしまう場合もあって、前作『トランスフォーマー ロストエイジ』に関しては一層しつこく感じてしまったのでこの作品がどうなるかが少し不安なところもあった。しかし『13時間』は実際に事件を元にしているということもあって、同じく現実に起きた殺人事件を映画化した『ペイン&ゲイン』が巧く纏まっていて、なおかつマイケル・ベイ的な派手さで脚色されていたので、この作品も良い意味で現実と監督なりの演出が化学反応を起こしてくれればなという期待をしていた。

 結果的には最高だった。非正規活動を行っているCIA部隊を護る為に契約された兵士たちゆえに、容易に支援が出せないという絶望感の中、迫り来る敵達を、たった六人で守り切るという一対多数戦闘の怖さ。ただそれだけで無く、合間合間に兵士達の家族模様など人間らしい感情の描写があるのがいい。ただずっと戦っているだけで無く、戦いが中断した合間合間に会話の中で兵士たちが家族を想う描写があると、より戦いの壮絶さに悲壮感が増してくる。例えば、正規戦ならばすぐに無人機や戦闘機が飛んできて、大量の敵も一気に片付けてしまえるけど、今回の場合、CIA職員含めた兵士たちは「いないもの」扱いで、彼らに対して容易に救援行為を行うことは出来ない。それでも目の前の敵は容赦なく銃弾を浴びせてきて、すがる希望もないままに、たった六人が数百の敵と戦い続ける。それでもただ怖いとか恐ろしいとかそういう訳でもなく、マイケル・ベイの映画らしく爆破やカーチェイスなど疾走感溢れる描写が盛りだくさんだった。例えば敵がRPGを構えた瞬間に狙撃が命中、倒れた敵のRPGが地面に直撃し辺りが爆発したり、はたまたバスに乗せられた巨大爆弾を捕捉し、一斉射撃で誘爆させたりと、単なる籠城戦にとどまらない派手さがあって、画面から伝わるインパクトも十二分にあった。夜間の戦闘ということで立ち上る火柱や交錯する火線などの光も美しくて、そういった意味でも見応えがある映画で180分程度ある結構長めの映画だったのに、ほとんど間延びした感覚を覚えず、ただ見入っていた。

敵をゾンビとして描いていないのがいい

 似たような一対多数の戦闘を描いた戦争映画だと『ブラックホーク・ダウン』が非常に名作なのだけど、あれは現地のソマリア人をあたかもゾンビであるような恐怖対象として描いていた節があって、その点批判されていた。この作品も確かにそういう場面があったのだけど、最後の最後、戦いが終わった後残された死体の周りに、その妻や子供であるだろう人たちがどんどん集まってきて、涙を流している描写がすごく印象的に描かれていた。アメリカ人を殺す為に一方的に襲いかかった現地人たちは確かに野蛮そのものではあったものの、彼らも彼らなりの正義に基づいていて戦っていたのだということを知ると、単なる勧善懲悪で終わらないしがらみがあったということに気付いて、まさしく実話を元にした映画だということを思い出させてくれた。

ミリタリー好きならなおさら必見

 マイケル・ベイの映画恒例、ミリタリー描写にもなかなか凝っている様子で、僕の好きなSalient arms international社の銃が目立って出てきたのが良かった。
 
・AR15系列のGRYカスタム
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・Salient armsのカスタムグロック
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いかにも非正規部隊って感じの、普段着の上にプレートキャリアを羽織るだけのセットアップが超格好いいので、その点ミリタリーが好きな人には堪らない映画だと思う。『ブラックホーク・ダウン』『ローン・サバイバー』や『プライベート・ライアン』が好きな人は絶対ハマると思うので、その点は是非。

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映画の余韻がより一層深まる 小説版『君の名は。』『君の名は。 Another Side:Earthbound』感想。

映画を楽しめた人には両方おすすめ

君の名は。』『君の名は。 Another Side:Earthbound』を読みました。両方とも良かったんですけど、特に『Another Side:Earthbound』の方は映画であまり説明されていなかったことが事細かに補完されていて、自分が映画に対して抱いていた不満が大部分解消されたので、映画にもやもやを抱えている人は是非読んでみてほしいです。ネタバレはしないので興味を持った方は是非に。

忠実なノベライズながら、色々気づけた部分もある。

 前者は新海誠自身が映画に忠実にノベライズをしたと言う印象で、特に映画と違った様子や描写は無かったのだけれど、映画では分かりづらかった入れ替わりの時系列がすごく分かり易くなっているし、地の文にある心理描写が入れ替わり自体のおかしさや、思春期らしい恥ずかしさと好奇心が混ざり合うような感情がよくわかるので映画にハマった人なら復習の意味を込めて、是非読んでみると良いと思う。僕個人としては映画で何の気にも止めていなかった冒頭のシーンにあんな深い意味があるのか!と気付いてからは、最初からページをめくる手が止まらなかった。これを読んだ上でもう一度見に行くとかなり楽しめるんじゃないかなと思う。

原作を補完するサイドストーリー

 『Another Side:Earthbound』のほうは、原作では描かれなかった物語が四つの短編から構成されていて、ひとつが「三葉の体の中に入った瀧の視点」で、二つ目が「テッシーこと勅使河原の視点」、三つ目が「三葉の妹である四葉の視点」で、最後が「宮水としきこと、三葉の父親の視点から描かれていた。そのどれもが原作では分からなかった、別視点での描写などが書いてあって面白かった。例えば、女子の体の中に入る羽目になってしまった瀧がやたら冷静に三葉の体や女子的な部分を観察していたりだとか、ブラジャーに関して細かく考察を重ねていたりだとか端から見れば笑える感じの物語があったと思えば、建築業を営む実家に嫌気が刺していながらも、決して後ろ向きにはならないテッシーの考えなどが書いてあったり、他にも、急におかしくなってしまった姉に対し困惑しながらも、自分にも怪奇現象が降りかかった三葉の話など、読めば読むほど『君の名は。』が綿密な世界観とキャラクター描写で出来ていることが分かってきて、より一層キャラに愛着が持ててくる。

原作で描かれなかった、宮水の家の真相

 映画では三葉とその父である俊樹がどうして不仲なのかはあまり説明されず、三葉の母である二葉との死別が原因だろうということしか推察は出来なかった。だからこそ、どうして三葉が最後の最後にお父さんを説得して動かせたのか分からなかったのだけど、その辺りが丸っと補完されていて驚いた。元々、宮水の家になぜ、俊樹が婿入りしてきたのだとか、どうして宮水の家と俊樹が疎遠になってしまったのかとか、そもそも宮水の巫女とは一体なんなのか?と言う所が全然分からなかったのだけど、それら全ては宮水の血筋に原因があって、そもそも彼の妻であり、三葉や四葉の母である、二葉の存在自体に、全て集約されていた。そこに気付いた時には、二葉とお父さんが対面した時のとらえ方が全然違うことが分かって、多分もう一度本編を見返した時には全く違う受け取り方をするだろうなという感動があった。二葉の死をきっかけに、元々民俗学者だった俊樹が政治を志すようになり、市長として町の改革に携わろうとしている理由までしっくりきて、ただの頑固ものじゃない、ひとりの男性だということに気付いて、彼もまた大きな流れに翻弄された一人なのだという、淡い悲しさがあった。

とにかくAnother Sideは必読

 ノベライズの方は、まぁ後でも良いとしてもAnother Sideのほうはもはやこれ含めて本編だと思うくらいに良いので是非読んでみて欲しい。これを読むと読まないとじゃ前にも言ったように不明点やもやもやが解消されているし、何というかこれ含めて本編の伏線回収という感じなので、劇場で映画を観た後は是非、手に取ってみて欲しい。

Another sideを執筆した加納新太さんは『秒速5センチメートル』のサイドストーリーで、明里視点など違った切り口の作品を執筆しているので、これも凄くお勧めです。これもまた、読んだ上で本編を鑑賞すると違った解釈を得られて楽しい。

 

メキシコめっちゃこわい『ボーダーライン』(原題: Sicario)感想

巨悪化するメキシコ麻薬カルテルを殲滅すべく、特別部隊にリクルートされたエリートFBI捜査官ケイト(エミリー・ブラント)。
特別捜査官(ジョシュ・ブローリン)に召集され、謎のコロンビア人(ベニチオ・デル・トロ)と共に国境付近を拠点とする麻薬組織・ソノラカルテルを撲滅させる極秘任務に就く。仲間の動きさえも把握できない常軌を逸した極秘任務、人が簡単に命を落とす現場に直面したケイトは、善悪の境界が分からなくなってゆく。麻薬カルテルを捕えるためにどこまで踏み込めばいいのか?
法無き世界で悪を征する合法的な手段はあるのだろうか?得体の知れない悪を前に、知れば知るほど深くなる闇の行く末とは―。

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 予告編がなかなか良い感じだったので気になってたこの映画。結構面白かったです。メキシコとアメリカの国境を舞台にした麻薬戦争もの映画なのだけど、とにかく「悪には悪を」という空気が全体的に蔓延していて、従来のやり方じゃ社会に染みつく悪のシミは落とせないのだということがひしひしと詰まっている。町中には死体が転がり、カルテルのアジトを家宅捜索してみれば、その壁には死体がびっしりと詰まっている。味方かと思っていた警官が実は汚職に手を染めており、さらにその汚職警官は、日中は優しいパパだったりで、もう何が正義なのか、何が法なのか全く分からない。悪が社会に根を張ることで、逆に平穏がもたらされている節もあり、ひとたびボスが逮捕されれば街の治安が悪くなり、夜中でもパトカーが走りっぱなし。メキシコはそんな街で、だからこそその悪をただす為には従来の正義じゃ立ち行かない。目には目を、歯には歯を――そんなことが平然と行われている現場に、主人公のケイトが派遣されてくる所から物語が始まる。ただ、実際このケイトが話の傍観者でしか無くて、物語の核を握るのは、正体不明の協力者であるアレサンドロ。元検察官だった彼は妻子を麻薬組織に殺された過去があり、法を犯すことも厭わぬほどの復讐心を抱いていた。

 とにかく、映画全体の空気に「何が起こるか分からない無法な空気」が流れていて、突然発砲が起きたり拷問が始まったりと、かといって意気投合した相手が実はカルテルの一味だったりと、そんな奴らに対抗する為にもはや手段を選んでいられないという特別捜査チームの姿勢と未だ常識的なケイトの差が面白いところ。正直、もう少しケイトに見せ場を作ってやってほしかったり、銃撃戦自体に迫力を盛ってほしかったりと、そんな不満もあるけれど、こういう世界が現実に存在すると思うと恐ろしい映画だった。メキシコに行きたくなくなる。メキシコ超やばい。

『ボーダーライン』予告

 原題のSicarioとはスペイン語で『殺し屋』の意。このことを踏まえると、物語の裏主人公がアレサンドロということがよーく分かるんですけど放題は『ボーダーライン』。一応国境の話とか、善悪の境界を意味しているから変な邦題ではないけど正しいけど、原題のほうがずっといいと思う。

 これも少し似てる話で面白いです。警官コンビが麻薬絡みの陰謀に巻き込まれる実録LA24時みたいなPOV作品。

現実を侵食する虚構『シン・ゴジラ』感想

 シン・ゴジラを観てきました。上映開始から既に結構たっているにも関わらずその評判はウナギ登りで、もはや観客動員数一位だとか、今までのゴジラ映画とは一線を画したような話題っぷりに正直驚きを隠せないというのが今僕が抱いている正直な気持ちです。何というか、僕にとってゴジラってのは常に「子供向け」と言われていて、興味がない人にとっては目を向ける対象でも無かったという認識だったので、正直ごく普通の、特にオタクでも無い人が「シン・ゴジラ面白かった!」と言っているのを見ると、今凄いことが映画界に起こっているんだなと実感する。勿論、長谷川博己石原さとみ竹野内豊などと言う日本を代表する豪華俳優陣のネームバリューや、同じく日本が誇る名作『新世紀エヴァンゲリオン』を創った庵野秀明平成ガメラシリーズで名を馳せた樋口真嗣など、出演俳優から制作陣までかなり豪華な人材を取りそろえた上での評判とも言えるのはそれもまた事実だろうが、何よりも、作品自体から発せられる映画としてのクオリティの凄まじさ、難しいこと抜きにしても圧倒的な絵力に魅せられてしまうほど圧倒的なパワーを、僕はシン・ゴジラを初めて観た時に感じた。

虚構を成立させる為に徹底されたリアリティ

 シン・ゴジラを初めて見た時僕が感じたのは何より作品全体から発せられる「現実感」だった。一番最初、横浜沖で、小型船「グローリー丸」*1が漂流しているのを海上保安庁が発見したシーンをハンディカメラで撮影している所から、車載カメラが崩落する海底トンネルを映していた所、そしてトンネルから避難している所を動画サイトやSNSの描写を交えて撮影している所は、まさしく自分も記録映像や実況中継を観ているような感覚を冒頭で味わってしまった為、もはやその時点で「怪獣が存在する予感というもの」が現実味を帯びて自分の中に準備されていた。

 更に、何よりリアルだと感じたのがこの物語の主軸を占めると言っても良い会議描写だ。予告編では不安要素でしかなかった会議シーンも、物語が始まってみればもはやそれは快感でしか無かった。現実の政府関係者の間で行われている会議の描写が本当にリアルだったのか僕には分からないが、徹底した政府組織へのリサーチの元作り上げられたという話し合いの場面は、矢継ぎ早な会話の応酬にも関わらずすごく分かり易く作られていたと思う。各省庁の閣僚達が集まる中で各々の立場で意見を出し合い、あくまで様々なケースを想定した上で国民へと伝える。例えば災害が起こった時などに「こういうことが裏側で行われていたんだな」という一種のドキュメンタリーテイストな描写として、説得力ある絵作りが構築されていたと思う。更に言うと、基本的に劇中に登場する関係閣僚達のほぼすべてが有能だというのもこの物語の良い所だと思った。最初、海底トンネル事故が発生した際の会議シーンで、矢口の「巨大生物が原因かもしれない」という想定は馬鹿馬鹿しいと一蹴されてしまったが、それは現実的に考えてみれば当たり前の反応だろう。巨大生物など居る訳がない。海底火山の噴火と言うほうがまだ現実味に溢れている。しかし矢口の推測は不幸にも的中してしまい、そこから先、日本の優秀な頭脳たちによる判断が、ゴジラの出現によってどんどん裏切られていく。

 基本的に無能な人間はこの物語に登場しない。これが『シン・ゴジラ』を引き立てるひとつの魅力だと個人的には思う。よく政治や人間同士の駆け引きが主題となるドラマだと、利権を得る為に悪事を企てる人間だとか、誰かの提案を否定したいが為に足を引っ張るなど、または保守的な意見ばかり提示して、それゆえに多くの被害を出してしまうと言うような、つまり分かり易い悪が提示することで主人公側を引き立てるような描写があったりする。しかしシン・ゴジラの場合、誰もが国民の事を思い、最善の手を尽くす為に決断する。その代表が大河内総理大臣で、彼は始め、巨大生物の登場に対しておとぼけなリアクションをしたり、怪獣の出現にあたって「上陸はない」と断言してしまったり、自衛隊の出動に対して決断を渋ったりする。しかしそれは当たり前な事で、前例の無い事例に相対してしまえば決断は特に難しいだろう。日本国民の命を背に預かる身だ。安易な決断や前例の無い判断には考える時間がいるだろう――しかし、巨大生物の侵攻が都市に迫る今、即断せねばいけない自体がある。いざ二回目の上陸の際には既に覚悟を決めており、国民を守る為に自衛隊による総火力攻撃を命じた大河内総理の顔つきは、まさに一国のトップとして相応しいものだった。

 しかし、彼らの決断を容赦なく裏切ってくるのが、ゴジラと言う怪獣の恐ろしさだ。だからこそ面白い。キャラクター達が考える数々の対策や攻撃を何度も裏切って、ゴジラは驚異的なまでに進化していく。まさにこの時、ゴジラを見る矢口達の視点と視聴者である僕らの視点は間違いなくリンクしていた。怪獣と言うものを初めて目にする矢口達の視点は元より、ゴジラなどの怪獣映画で目が肥えた僕らでさえも予想だにしないゴジラに驚かされていた。矢口達が的確に下した決断、多摩川沿岸に展開した自衛隊の総攻撃、そして米軍の爆撃――それらの悉くを凌駕して尚、その場に屹立し続ける破壊神、ゴジラ。僕らが知っている現実の風景やその裏で下されていたであろう政治的判断の全てを、人間の理解を超えた道理で破壊し尽くすゴジラに対して僕らが畏怖に近い気持ちを覚えたのは、一重にスクリーンの世界が僕らの住んでいる現実世界と限りなく地続きに見えるようなリアリティが構築されていた事に他ならない。ゴジラの存在を他人事と思えず、いつか僕らが体験したような一種の「災害」と思わせてしまうような説得力がシン・ゴジラには存在する。ゴジラが通り過ぎたあとに残されたガレキや、放射線の拡散など、日本人なら実際肌で感じたような、あの薄ら寒い実感を帯びたおぞましさが、この映画には存在している。

 以前『虐殺器官』などを執筆した伊藤計劃という作家が『ダークナイト』を表する時に、平成ガメラを引き合いにこういうことを言っていた。

オタクなら誰でも夢見ているのではないだろうか。大金を掛けて、自衛隊などのリアルな軍隊が出てくる怪獣映画や、現実に仮面ライダーが存在したら、とかそういう「リアルさを持った漫画映像」を。それらは実際にはちっともリアルではない、というか怪獣とかその能力とか(オタク文化に対して愛のない「空想科学読本」によればそもそも怪獣やウルトラマンは立っていられない)、多分にフィクショナルな部分は保留しつつ、その外堀はガンガン現実の事物で埋めていく。それはオタクだったら多くの人が理解してくれると思う「願望」だ。そして平成ガメラに対する評価とはまさにそれであった。「防衛軍」でなく、モノホンの自衛隊が短SAMや90式やペイトリオットで対応する。「もし本当に怪獣がいたら」という妄想の許に渋谷を火の海にしたとき、ヒーローであるガメラに「被災」してしまった少女というキャラクターが出てきたとき、全国のオタクは驚喜したはずだ(違う?俺はそうなんだけど)。

表紙 - 伊藤計劃:第弐位相

 シン・ゴジラはまさにそういう作品であったと思える。勿論平成ガメラも非常に良く出来た作品で、樋口真嗣監督がシン・ゴジラに対してガメラ的DNAを継承しているのもおそらく間違いない。実際、中盤の東京炎上は、かつてガメラ3で見たような渋谷炎上、そして京都炎上を現代に蘇らせたと言っても過言じゃない破壊描写だった。夥しい数の破壊が巻き起こされながらも美しいと思ってしまう、賛美歌を思わせるBGMをバックに瞬き続ける破壊光線。まさに裁きの神が舞い降りたのかの如き、黙示録の光景の具現のような光景は、ただ、ただ見入るばかりだった。米軍の干渉や、避難の光景など現実的なシーンをどんどん積み重ねてきた後で一気に畳みかけるようにもたらされた幻想的光景、そして圧倒的破壊。ただ単に、いつものゴジラのように放射熱線を吐き出しただけなら、ここまでの感動は無かっただろうに、今まで徹底して描かれた現実があったからこそ、あの幻想的な恐ろしさが具現したのではないかと個人的には思った。

だからこそ、荒唐無稽な展開に力を感じる

 そして何を隠そう、ヤシオリ作戦からの無人在来線爆弾。これを語らずにして何がオタクか。日本の首都に密集する何万もの人間を乗せて走る僕らの在来線が爆薬を乗せて走るだなんて、一体どこの誰が立案した作戦なのかと思いきや、これも実は爆薬を乗せ威力を保つ為にもっともらしい理由が付けられているという凄さ。フェイズドアレイレーダーじみた自動迎撃システムでミサイルなどの攻撃を全て無効化する中、ドローンで飽和攻撃を行いエネルギー切れを誘発、更に無人在来線爆弾で足場を掬い、近辺のビルを爆破し拘束、その間に血液凝固剤を使い、ゴジラを凍結させようとする、一見荒唐無稽な流れが「ああ、これは特撮映画なのだな」と、実感させてくれる。それも、例えばメ―サー戦車やスーパーX、あるいはメカゴジラやモゲラなど、今までのゴジラ作品に登場した超兵器、メカは存在しない。現実の中心に屹立した虚構存在に立ち向かうのは人間の叡智、まさに日本人ひとりひとりの意地というのがまた熱い。血液凝固剤を製造する為に、官民一体となりタイムリミットに間に合わせようとする。この日本に第三の核兵器を落とさせない、その為だけに日本人が団結して立ち向かう様というのを見ると、2014年版のハリウッドゴジラと比較して考えてしまう。あちらの国では国土内で核兵器を使うことを容易に決断したけれど、こちらの国では既に二回、核兵器が使用されたという事実がある。核兵器、あるいは放射能について人一倍敏感で、忌避している国民性だからこそ、その決断に対しノーを突きつけ、最後まで模索していくというのがまさしく日本ならではの物語展開だと思う。

能天気なハッピーエンドに終わらないのがまた良い

 ヤシオリ作戦は成功。ゴジラを凍結させるのに成功し、日本に核が落ちることは辛くも防がれた。しかし核投下のカウントダウンはまだ続いており、この後も日本は、ゴジラの存在する、虚構混じりの風景で生きていかなければならないことを予感させ、不穏な空気を残したまま終わる。最後にアップになった尻尾が更なる不安を煽り、単純なハッピーエンドを許さない所が様々な解釈を生む元となり、これもまた話題性の種となっている。確かに、ゴジラという存在を抹殺出来ないままに、そのままこの土地で生きていかないというのは、原発事故の比喩だとか、現代社会を風刺する目線でも解釈できる。しかし、矢口達は言う。この国はスクラップ・アンド・ビルドで生まれ変わってきたと。戦争や災害で破壊されつつも、何度でも立ち上がり、既存の体制からより良いものになるようにと国土や政治を作り変えてきた。だからこそ、今度は俺達が良くしていくという気概が、あの世界の政治家にはあった気がする。しかし、希望だけではない。あのゴジラには、既存の科学では考えられない程の何かが眠っている。世界各国がゴジラから採取出来る新元素やテクノロジーを求め謀略を展開するかもしれない。あるいは、ゴジラの存在を盾にし、日本が何か策略をめぐらせるかもしれない。世界を滅亡に導く悪魔的存在を、いつでも蘇らせられる国家――そう、核保有国ならぬ、ゴジラ保有国家となった日本が下手をすれば暴力的方面に突き進むことだって、幾らでも考えられる。絶望と希望が相反する、単純ではない終わり方、それがシン・ゴジラのラストだった。

ラストの解釈について

 ゴジラの正体について、最後まで明確には語られなかった。古代生物が放射性廃棄物により突然変異した存在だとか、何も食べずに空気だけで生きられる完全生物だとか、従来の生物では考えられない速度で進化する存在だと言うこと以外に語られたことは乏しかった。元々のゴジラは太古の生物の生き残りだとか、恐竜だったとか、イグアナだったとか正体がある程度は推測出来る生物だった*2けれど、今回に関しては我々の常識の範疇から外れた存在として描かれていた。そのことを踏まえて考えると、あの尻尾がアップになったラストに関しても見逃すことは出来ない。多くの人が気付いているように、あの尻尾には何かがいる。人骨じみた何かが埋め込まれており、ここからヒトガタの何かが出てきそうな予感が、多くの視聴者から指摘されている。*3確かに、ゴジラは海棲型から両生類じみたカタチに、そして恐竜のようなカタチへと、生命体の進化を模したかのような成長を続けていた。だからこそ、今度は霊長類、人間の形をして増殖するのではないか。群体化し、飛行能力まで持つ霊長生物。さながら、黙示録のラッパを鳴らす天使のごとく。

牧博士が行ったこと

 牧博士の失踪とゴジラの登場が、全くの無関係であるはずがない。牧博士が「私は好きにした」と遺書じみた伝言を残した後、ゴジラが現れたことから、博士が何らかの仕掛けをゴジラに施したのは明らかだろう。個人的な考察として、博士は自分自身をゴジラに与えた=人間としてのDNAを取り込ませたのではないかと思う。最後に霊長類じみた形に変異しようとしていたのは、牧博士が自ら、もしくは人間の遺伝子をゴジラに投与し進化を促したからではないか?と考えると、多少は腑に落ちる。少なくとも、牧博士がゴジラに対して何らかのアプローチを行い、それがゴジラ覚醒のきっかけとなったのは間違いないだろう。*4

とまぁ、色々と語ってはみたけれど。

 まだまだ語りきれない部分があるくらいにシン・ゴジラは奥深く、そして面白い。現実に即した虚構を成立させる為に細部まで綿密な考証を行い、尚特撮らしい浪漫を演出したことは凄いの一言だし、それを一部のファンだけでなく多くの観客を魅了させたというのが、まさにこの作品の素晴らしさだと思う。こだわるところをこだわって、一部のオタクだけに理解し支持される作品を作り上げるだけでも凄いのに、その細部をこだわって尚万人受けする作品を作れるヒットメーカーに庵野秀明はなったんだなと言うのが正直な感想なのかもしれない。とにかく、すごい作品。素晴らしい作品だった。

*1:84年版ゴジラ冒頭のオマージュだと思う。

*2:そういえば、太平洋戦争の怨念集合体だったゴジラも居た

*3:あれが飛行能力を得た霊長類じみた生物、つまり「巨神兵」になり得るという指摘は面白いなと思った。まぁ、そのままそういうことになるとは思えないけど、あれが『巨神兵東京に現る』に繋がるセルフオマージュ的な解釈は面白そうだ

*4:皮肉にも、博士が海に潜ってゴジラを殺した初代と対になっているのが面白い

振り返らない物語から、振り返る物語へ。『君の名は。』感想

 『君の名は。』を観てきた。単純に、とても良い作品だったと思う。元々、新海誠作品は大好きで、『ほしのこえ』から『言の葉の庭』まで、毎度楽しみに観させていただいた監督の作品なので、今作も前々から期待していた。期待に違わない名作で、今現在絶賛されているのも納得な出来だったと思う。
 
 ただ、正直な所不安要素が大きくて、予告編だけ見ると個人的に苦手な要素がとても多そうで*1、何となく、大衆的な部分が多くを占めてしまっているのではないかという怖さがあった。というのも、新海誠監督は、完璧過ぎた思春期の憧憬だとか、決して縮まることの無くなってしまった男女の距離や、もう戻らない絶対的な時間の経過により生まれた断絶、幻想的過ぎる都市の描写など、観る人から観れば「拗れている」と形容されるが、理解出来る人には本当に心に刺さるような作風で多くの人を魅了していて、僕もそのひとりだった。だからこそ、さわやかな青春や恋愛作品を想起させる『君の名は。』に対して、どこか僕は忌避するような感覚を抱いていた。たぶん多くの人はこのような清涼感ある作品を求めていて、それはきっと正しいのだろうけど、ただ単純に、今まで新海誠作品を観ていた僕は「何かが違う」と一人勝手にすれ違いのような思いを抱いていた。予告編を観た人たちの前評判でも僕と同じ感覚を抱いている人が多くて、実際公開してから今日この日まで僕は劇場に足を運ぶ気が起きなかった。

 それで、いざ『君の名は。』を観に行く勇気を振り絞る為に、わざわざ早起きまでして美容院まで行って髪型を整えて、あえて日曜日を外した月曜日、人が少なそうな時間帯を狙って劇場に足を運んだ。だけど見回してみれば辺りは女性、小学生、中学生。以前都内に『言の葉の庭』を観に行った時とはまるで違う客層に、はたまた胸の内のこじらせた感覚が頭を出して、押さえつけるのに必死だったけれど、とにかく序盤は自分の中のこじらせ感を黙らせるのに苦労していた。主人公の瀧とヒロインの三葉はいままでの新海誠作品に出てくる登場人物の中でもトップクラスに真っ直ぐで、ふたりとも年頃にかわいくて、ドタバタしてて、そのふたりの入れ替わりがラブコメチックでとても楽しかったのだけど、どこからしくない感じに「面白いけどこれは違う」という感覚が頭を占めていた。

今までとは違うけれど、これは紛れもない『新海誠』作品で

 けれど突然、入れ替わり現象が起きなくなって、その真相を調べに三葉の住んでいた村へと瀧が訪れたところ、実は三年前に彗星の破片が衝突して、村は消滅していたことを知る。多くの人が死に、その中に、入れ替わっていたはずの少女、宮水三葉が居た――という展開には度肝を抜かれ、ここから先はのめり込みっぱなしだった。死んでいたはずの人間、時空の乱れ、物理的以前に断絶された運命、会いたいけれど会えない時間の距離――いままでの作品で培われてきた新海誠作品のエッセンスが炸裂し始めるなれど、それでいて、真っ直ぐな物語の流れがとても楽しい。時間的にも遠く離れていて、どこか不明瞭な存在なれど、オレはここにいて、お前もここに居るという、物理的にも時間的にも届かなくても、心だけはそばにいるよという『ほしのこえ*2を想い起こさせるような展開だった。だけれど決して会えない訳じゃなくて、あくまで会いに行こうと三葉が上京したり、もしくは瀧が三葉の村に行こうとするなど、二人とも「繋がろう」とする意思があった所も良かった。『秒速5センチメートル』の場合は、会おうと思えば会える距離にも関わらず、実際に会わずに貴樹自身が想いを募らせ過ぎてしまったという部分があって、お互いに会おうというバイタリティの強さ、若さがゆえのエネルギーを感じられた所が面白かった。実際に二人が会っていたということが、三葉の髪留め、そして瀧が手に巻いている紐という伏線があって、そこで時間のズレというものをよく表現していたんだなと思う。スマホやチャットの存在など昔とは違って、どこの誰とでも会おうと思えば会える現在の時代において、簡単に会えるはずが、実は三年の時間のズレという途方もしれない断層があるというのがこの物語の落とし穴であり、また奥深いところ。

 彗星の破片が村に墜ちるという話を聞いてから、破滅の運命を回避しようと、時間が違う場所で懸命になる所は、正直もう少し描写が欲しかったなと思う。三葉と父の間の確執があって、にも関わらず、どうして三葉は最終的に父親を説得できて、村人たちを大災害から救うことが出来たのかという疑問は残る。それでも危機的状況を前にして、大人たちの知らない所で少年少女が奔走するという流れはセカイ系あたりの雰囲気を感じて、ゼロ年代を彷彿とさせる感覚で好きだ。ぼくときみが救った世界だけど、他の誰の記憶にも、英雄的行為の記録は残らない切なさ。

 そして、ぼくらでさえも結局、このことは忘れてしまうのだ。時間が経過して、記憶自体が風化してしまって、またも夢物語のようだった時間が現実の乾燥した空気に呑み込まれてしまうというのも切ない所。就職活動で巧くいかず、なんとなく、かたちのみえないなにかを追いかけている瀧。一体何が自分を引き付けているのか分からないもどかしさというのは、思春期から大人になるにかけて僕らもきっと経験したはずで、この辺りは『秒速5センチメートル』と同じような、思春期の出来事に対する憧憬的な心の痛みを感じた。

なんとなく、腑に落ちない部分も多いのだけれど

 ただ、単純に、三葉が奉納した口噛み酒*3を飲めばもう一度入れ替われるだとか、ちょっとした疑問点が多くて、そういう場所は気になった。宮水の家系には代々入れ替わり能力があったという所から考えると、入れ替わり能力自体は、最初に村に隕石が墜ちた際に、宮水の家系に突然変異的に生じたものであり*4、そのクレーターの場所で、宮水に縁のあるものと肉体的接触(唾液の交換=疑似的な接吻?)をすれば入れ替われるなんて考察も出来ると思う。隕石の墜ちた場所で突然変異が起こるとか、伝奇SFとかの展開では散見出来るし、もそういう所を考えると非常にSF的で楽しい部分もある。

 しかし、未だに考えても分からないのが「どうして瀧でなければ無かったのか」という所だ。宮水の家系に入れ替わり能力があるとして、一体なぜ、縁もゆかりも無い、遠く離れた東京の地に生きる少年が、三葉と入れ替わらなければならなかったのか。男女の出会いとか、人と人とのつながりとか、そういうものに理由はいらないとかいう考え方も出来るし、同じ日、同じ時にあの彗星を見上げていたという理由付けも出来るけど、どこかはっきりと「ぼく」と「きみ」が繋がる決定的な理由を見つけられなかったという点は、僕の中で生まれたもやもやの理由だと思う。

 ただ、そういう明確な理由付けがこの物語に無くても『君の名は。』が傑作であることは明確だと思う。SF的リアリティなんて難しいものは犬に喰わせてしまえ、大事なことはつまり「きみ」と「ぼく」の思いなんだという一貫した作風の流れを感じて、その辺りはあくまで分かりやすさや面白さを重視した展開だと思えば、作中の矛盾とかを割り切って、きっと純粋な心で物語を楽しめる。

「振り返らなかった」物語から、「振り返ることができた」物語へ

 多くの人が感想や考察で書いているように、『ほしのこえ』では逢えない距離にまで離れてしまった物語を、『秒速5センチメートル』は、逢えないことで分岐点が分かれてしまった二人の物語を。他にも様々な理由で男女の断絶や、会えない距離や結ばれない切なさを描いてきた新海誠が、最終的に「逢えた」物語を描いたこと自体が『君の名は。』の価値なのだと僕は感じた。振り返らない物語から、振り返る物語へ。自分自身が描いてきた作品に対するセルフアンサー的な作品である側面も、存在するのかもしれない。

 想いは時を超越する。愛は地球を救う。遠く遠く離れていても、きみのことが分かるように。難しいことは言わずにそれでいいんだと思う。きっとそれで。

 どうやらこのスピンオフ小説で三葉側の話が掘り下げられるということで、物語の不明瞭な部分が補完されることも期待したい。作者の加納新太さんは『秒速5センチメートル』のノベライズでもとても素晴らしい文体で別視点の物語を書いてくれていたので、これを読むのが凄く楽しみ。
lilith2nd.hatenablog.com
 公開当時に『言の葉の庭』の感想も書いてますので、こちらもよろしければ。

*1:何がキツイかって、僕が高校生の頃から苦手なRADWIMPSが主題歌で、その点一番不満だったのだけど、実際見に行ったらやたらと感動的な場面で挿入歌に使われてて、それが一番つらかった。人気なバンドだから仕方ないけど、この一点が非常にストレスで、感動の五割くらいは失われていた。個人的な好みだからもはやどうしようもないけど、そのどうしようもなさが余計につらい

*2:携帯のメッセージでのやりとりが『ほしのこえ』で、かつ、携帯が無かったがゆえに遠かった二人の距離を描いた『秒速5センチメートル』を踏まえると面白い

*3:僕も三葉ちゃんのアレ飲みたいですね

*4:クレーターや隕石、流星群が超常現象の引き金という事で『黄泉がえり』を思い出した。