402号室の鏡像

あるいはその裏側

ミシェル・ウエルベック『闘争領域の拡大』

闘争領域の拡大

闘争領域の拡大

「ずっと前から駄目なんだ。最初から駄目なんだよ。ラファエル、君は絶対に、若い娘が抱くエロチックな夢をかなえられない。仕方がないものと諦めなくてはいけない。自分はこういった物事に縁がないことを受け入れることだ。いずれにせよ、手遅れなんだ。いいかい、ラファエル、セックス面における敗北を君は若い頃から味わってきた。十三歳から君につきまとってきた欲求不満は、この先も消えない傷跡になるだろう。たとえ君がこの先、何人かの女性と関係を持てたとしても――はっきりいってそんなことはないと思うけど――それで満たされることはないだろう。もはや、なにがあっても満たされることはない。君はいつまでも青春時代の恋愛を知らない、いってみれば孤児だ」

 ミシェル・ウエルベックは初めて読んだ。

 完全な非モテ層と化しながら努力をしていながら、生まれ持った容姿のせいで完全に人生の敗者となったラファエル・ティスランと自分を取り巻く世界の残酷さを、語り部である「僕」は観察し続けている。語り部を通して読者は彼らの苦しみに同情し憐憫を覚えるが、それは決して他人事とは思えない痛みが伴う。
 「僕」=読者と読み変えれば、それは物語の結末ですら完全な投影に位置しているんですよ。ティスランと出会い行動をともにし続けた「僕」は、結果的に彼に移入しつづけた挙句に精神を疲弊させ、鬱病を発症させてしまうんだけど、残酷な社会が下したティスランへの断罪に耐えきれなかったからなんでしょう。物語を俯瞰している読者の悲しみと、「僕」の鬱病発症のタイミングが合致しているところが面白い。
 モテと非モテの境界線って、やっぱり容姿に尽きてしまうんですよね。「ただしイケメンに限る」というネットスラングに表せるように、人間の内面なんて誰も見ちゃいない。ブサメンに生まれてしまえば、努力を強いられ、努力したとしてもイケメンに追いつけるかどうかは分からない絶望に包まれながら生活しなければならない。この物語のティスランはそれを理解していながら、ナンパやパーティなどでチャンスを掴もうとするも、それを横から来たクールガイにいつも掻っ攫われる人生だから、結果的に壊れてしまった。だから彼ら――モテ層VS非モテ層の闘争領域は拡大していくばかりだ。

 まぁ、ただ。完全なブサメンが人生の落伍者になる必要は無いんですよ。僕という人間の経験からしてみれば、平均以下の容姿(自称)でも恋愛に勝利できる可能性が無い訳ではない。だから僕たちは闘争を続けなければいけないんです。世の中に美女が何人いて、その内何人がイケメンに掻っ攫われると思ってるんだ?

 壊れて行くか戦うかは個人に委ねるとして、ミシェル・ウエルベックは闘争領域の観察者に徹していた。僕はどちらなのかは分からないけど、少なくとも非モテ層の一派として、配られたカードで戦わなければいけないことは分かっている。