読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

402号室の鏡像

あるいはその裏側

『ガタカ』を久しぶりに観たら超面白かったというお話

出生前の遺伝子操作により、生まれながらに優れた知能と体力と外見を持った「適正者」と、「欠陥」のある遺伝子を持ちうる自然出産により産まれた「不適正者」との間で厳格な社会的差別がある近未来。「不適正者」として産まれた主人公ヴィンセントは、子供の頃から「適正者」のみに資格が与えられている宇宙飛行士になることを夢見ていた。ヴィンセントはDNAブローカーの仲介で、事故により脚の自由を失った元水泳金メダル候補の「適正者」ジェローム・モローの生体ID(血液や指紋など)を買い取り、生体偽装によりジェロームになりすまし、宇宙局「ガタカ」の局員となる。努力の結果ついにヴィンセントは念願のタイタン探査船の宇宙飛行士に選ばれるが、出発間近に上司が何者かに殺された事件現場で「不適正者」ヴィンセントのまつ毛が発見されたことから正体発覚の危機が訪れる。

ガタカ - Wikipedia

 多分この映画、小さい頃に観たことがあるのだけど近未来的建造物のカッコよさと、後はナゾの検尿のシーンしか覚えていなかったんだけど、久しぶりに見返してみたら超面白かったという話。

生まれた時から全てが決定付けられている社会

 と、言うように、この世界では遺伝子操作により優れた人間を作り出すことが出来、そのせいで自然出産を選んだ人間と遺伝子操作された人間に明確な格差が生じてしまっている。そこで不適正者のヴィンセントが宇宙飛行士になる夢を叶えるために、適正者であるジェロームと協力していく話。実際問題、こういう近未来的社会格差を表現したお話って今ではありふれているけれど、多分現在では非常にリアリティのある問題なんだと感じている。例えば、今現在の医療技術では出生前診断として、生まれる前から胎児の健康を診断し、出産か堕胎かを判断することが出来る。遺伝子による格差とまではいかないものの、現在の2014年はこの映画の大分近いところにまで来ているのではないかと個人的には思った。科学技術が発展するにしたがって、ユートピアが構築されていく反面、恵まれない者たちの温床としてディストピアが構築されていくのは、多分色々な創作物で行われていて、この作品もそれを先駆けて行ったものなんじゃないか。

「選ばれたもの」「選ばれなかったもの」

ヴィンセントを生んだことで後悔した両親が、その後、第二児は遺伝子操作で産み、優秀な弟を産んだのだが、ヴィンセントはそれでも自分の運命に負けずに努力を続けていった結果、頭脳と体力は優秀極まりないものになった。しかし自身の遺伝子で判断される社会により、底辺職にしか就けなかったヴィンセント。そんな彼が非合法的に「ガタカ」に勤める為に接触したのが、ジェロームだった。
 このヴィンセントとジェロームの対比こそが、この物語の肝だと思う。はじめはジェロームとヴィンセントはビジネスライクな付き合いだったのだが、ヴィンセントが宇宙飛行士に成るために努力を続け、その偽装生活を手助けしていく二重生活を続けるうちに、ジェロームは彼に感化されていく。ジェロームはかつて優秀な水泳選手であり遺伝子的にも良質だったために将来に多大な期待をかけられていたのだが、その重圧に耐えかねて自殺をし、未遂に終わるが、それゆえに下半身不随となってしまう。結局は「適正者」なのにもかかわらず「不適正者」より不自由な生活を強いられてしまうのだ。
 だが、その反面、ヴィンセントは不適正者であるが、宇宙へ行くという広大な夢を描いている。遺伝子が他人より劣っていても、他人より病弱でも、それでも誰よりも努力する姿勢や、将来への展望は自由だ。他者への期待で埋もれてしまい、潰れかけたヴィンセントは彼との共同生活を通して感化されていき、そのうち考えを変えていくようになった。それを象徴するエピソードが、物語の後半に存在する。ヴィンセントの留守中に自宅に刑事が訪れるとの連絡が入り、下の階にいたジェロームは、下半身不随の身ながらも、上半身のみを使って懸命に螺旋階段をよじ登り、必死で刑事との血液検査を受け、ヴィンセントへの疑惑を回避する。おそらくこの螺旋階段は「遺伝子」のメタファーなんだと個人的には思った。遺伝子により定められた運命に翻弄されたヴィンセントとジェロームが、共同でその運命を乗り越えていく。『ガタカ』と言う物語の真髄が、このシーンには隠されていたんじゃないかと。つまりこの『ガタカ』という作品は、恵まれない遺伝子を持った非適正者だけではなく、幸福で能力もある適正者自体も、呪われた存在であることを示唆しているんだと感じた。

「生まれた時から全てが決めれられているがゆえの社会格差」と言えば思いついたのがこの二つの作品。やっぱり持つものと持たざるものという社会を意図的に作り出してしまえば、そこに争いや差別、偏見が誕生するのは無理ない話であり、じゃあ人工的に平等を作り出す術なんて無いんじゃないか?人間は神にはなれないし、絶対的な平等が存在するとしたら、それはおそらく個別的な生命体である限りでは成しえない。だけれど『ガタカ』と言う作品は、平等なんてどこにも無いけれど、確実な「自由」だけは個人にも存在するんだと言う希望を指し示していたのが、印象的な作品だった。