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402号室の鏡像

あるいはその裏側

自己啓発して自分が変わった所で、他人を変えられなければ意味がないという話

自分は「変われるのかもしれない」と言う淡い期待

 自己啓発書を読むきっかけって何だろう。僕も人生が巧く行っているとは言えない人間なので、時折家の中で一人で頭を抱えてどうしようもなくなる時は結構ある。そう言う時に先を指し示してくれるツールの一つとして、自己啓発書を選ぶ人間は、世の中には結構多いと思う。「明日から巧くいく」「偏差値30の不良が東大に」「上司とうまく付き合って会社内でモテモテになる方法」「一瞬で成功」など、本屋のそれっぽいコーナーに立ち寄れば、悩んでいる自分でさえ巧く行きそうなタイトルの本が所狭しと敷き詰めてある。僕もそう言ったコーナーを見てしまうと、つい足を止めてそのうちの一冊あたりをペラペラと捲ってみたりして、浮かれた気分になってしまうことが無かったとは言わない。こういう文章を書いているのだって、割とそう言う本を昔は結構読んでいたという経験があってこそで。簡単に解決できないような人生における障害を、少なくとも本屋に置いてある派手なタイトルの本に頼ってしまうことが多々あるということだ。派手な題名に見合った内容かどうかはさておき、こういう内容の本が現実問題大量に出版されて、僕らの目につく派手さで置いてあって、実際売れているということは、とにかく社会のニーズにあっているジャンルだということは間違いない。僕たちは常に「変わりたい」と願っており、「変われるかもしれない」と言う淡い期待を抱いて、自己啓発書を手に取る。

例えば、自分が綺麗に変われたとしても

 そういった自己啓発書はだいたい「明日から実践出来る」「今日から変わる」という、現在の自分でも出来ることからはじめることを啓発としており、つまり「いつもの自分の視点から少し変えるだけで、幸せはそこらへんに転がっているよ!」という事を謳っている。チルチルとミチルの青い鳥よろしく、どんな人間でも幸せを掴むことが出来ることを大前提としたことが書いてある。なるほど、説得力のある話だ。毎日ちょっとずつ継続していけば目の前の問題は変えられるかもしれないし、自分の価値観が変われば世界はバラ色に変わるかもしれない。その本によるちょっとした「気付き」であなたが変われたのならば、きっとこれからの人生は健やかに過ごしていけるだろう。でも、僕は自己啓発書を数冊読んでいるうちに気付いたことがある。高校生の頃の話だ。自己啓発書を数冊読んだ時、間違いなくちょっとした気付きを得ることが出来たのは間違いなかった。これについて、僕は自己啓発書の効用を否定することはしない。だけれどしばらくしても、当時暗雲漂っていた僕の高校生活(詳しくは言及しないけどひどいものだった)はまったく改善しなかった。それはなぜだろう?

周りの環境を変えることは、自分を変えることなんかよりよっぽど難しい

 僕が多少なりとも価値観を変えた所で、僕の周りの環境が全く変わっていなかったことに僕は気付いた。当たり前過ぎてヘドが出る話だが、僕が自己啓発書を読んで自分の新たな可能性(笑)とか可能性(笑)とか人生に希望が満ちる(笑)とか言う甘言に惑わされていた所で、周囲の環境は相変わらず僕に対して優しくは無かった。これは他者や環境のせいにしているわけではなく、勿論その環境に順応できなかった僕の不適応性にも問題があるのだけれど、実際のところ、自己啓発書の言葉に従ったところで、それを読んだ僕しか啓発されないのは当たり前なわけで、実際問題、自己啓発書一冊で人生を変えるなんかそりゃあ無理だよなぁというお話である。じゃあ周囲に自己啓発書を読ませればというのは尚更無理だし、実際史上最強の自己啓発書である聖書を書いたジーザス様が全人類を救済できていない時点で、他人を変えることなんてハナから無理だってこと。だからつまり、自己啓発書の「人生が変わる」とか言う煽り文に騙されて信じ込んでしまっている人間は可愛そうだと思うし、そういう煽り文と内容で情報弱者を釣ろうとしている意識高い人間は、よりタチが悪くて、更にストレスフルな人間社会の傷口に、よく効くクスリと称して大した効果もないうっすいクスリを売っているのとおんなじだと僕は思ってる。他人を変えることは自分が変わることなんかより数倍難しいし、他人が自分に対して害を成して、それで人間関係のストレスが発生しているならば、それを自己啓発書で直せたのなら大したものだと思う。そういう「自分さえ変われれば他人だって自然に変わっていく」みたいな論法は僕は大嫌いだし、だったら「他人を変える」のに特化した効果的な啓発方法を教えてほしい。そういう問題ではないのかもしれないけど。

悩みっていうのは、簡単にどうにか出来ないから「悩み」なのであって

 実際問題個人が抱えている悩みとかストレスっていうのは本当に個人個人で微妙に違うのであって、それが大衆市場で出回っている素知らぬ誰かのだした本で簡単に解決しちゃったら意味がないと思うし、それで仮に解決して「人生が変わった!」などということになったら万々歳かもしれないけど、たった一冊の啓発書で変えられてしまった人生って凄い軽いものに思えてきて「自分の人生って果たしてこんなものだったのだろうか」と言う虚脱感に襲われる気がしてならない。だからそういう「実際問題当たり前のことを、それっぽい言葉でかっこつけて本にまとめてる」自己啓発書が読者に与える「気付き」っていうのは、つまり「気付いたふり」なんだと思う。問題を解決したように見せかける甘い言葉、とってつけの絆創膏、本質的には何も回復していない傷の痛みを忘れさせる鎮痛剤。世の中にそういう役割が必要なのはもちろん分かってはいるけれど、それで全てが解決できるような甘言を振りまくのは、あんまり好きじゃない。多分、自己啓発書っていうものの役割は、人生に対する一種の指針を指し締めすヒントのようなもので、そこにさも「答え」が載っているような書き方をしている時点で、あり方が間違っているような気がしている。

結局、僕らはひとりで答えを見つけ出すしかない

 じゃあどうすればいいの?って答えに、僕は答えを出すことが出来ないし、自己啓発書にもその答えは載っていない。なぜなら悩みやストレスの根源を解決できるのは他ならない自分自身で、いろいろな人の話を聞くだとか、それこそ自己啓発書の中に書いてあることを実践してみるとか、生活習慣をちょっとだけ変えることだとか、それこそトライ&エラーを繰り返して自分自身並びに生活環境を改善していくしか他成らないのだと思う。嫌な上司が居た所で、恋人と巧く行かなかったところで、家族関係が駄目だったとしても、僕らはそういう社会の摩擦の中で死なない限りは生きていかなければならない。自殺という決定的な回答を選択しない道を選んでいく限りは、人生の問題から逃げられはしない。まぁ、この文章を通じて言いたかったのは、自己啓発書がそういう問題に対しての「答え」を持っているかのような雰囲気で書かれていたり売られていたりするのは違うと思うし、それを手に取る僕らからしても、そこに絶対的な回答が載っていることを期待せずに、あくまで選択肢の一つとして、自分へのカンフル剤として使えばいいと個人的には思っている。つまりそれだけ。

 ここに載せたのは、僕がいままで生きてきた中で、割と参考にしている自己啓発の類の本です。最後に物騒な本が載っているけど、これを一度読んで置くと「人生において自殺という最大の逃避選択方法がある」と肯定的に考えられるようになるので、そういう刹那的な嗜好を持っている人には楽になると思います。嘘だと思ったら読んで見てください。