402号室の鏡像

あるいはその裏側

『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』一クール目最終話が素晴らし過ぎた件について

 『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』一クール目が最終回を迎えました。始まる前は、僕らが大好きな『Fate』という作品がふたたびアニメ化されると聞いて期待しかしていなかったので、始まりに関しても何も不安はなかった。何せ劇場版『空の境界』や『Fate/Zero』、Vita版StaynightのOPにて既に相当の手腕を見せてきたUfotableというアニメ製作会社が作るのならば、僕らの期待に必ずや答えてくれること間違いなしと思っていたんだけど、いざ放映してみれば毎週毎週唸らせられっぱなしで凄い出来だった。以前アニメ化されたFateも決して悪いものではなかったと思うんだけど、これはそれを凌駕するほどのクオリティで叶えてくれた。

「人間を超えた」ものとして描かれているサーヴァント

 実際サーヴァントって人知を超えた戦闘能力を持った生命体として存在していて、人間ではよっぽどのことが無い限りサーヴァントには勝てないっていうのが原作のセオリーだった。実際原作では何回も人間がサーヴァントを斃している展開があるけれど、例えばサーヴァント自身を腕を移植したりとか魔術師の魔術刻印をごっそり移植して固有結界発動したりだとかしたりしてようやく同じ土俵に上がれるほどの強さなのがサーヴァントだ。(作者曰く人間と戦闘機の違いと、前にインタビューで称していたが、多分戦闘機よりめっちゃ強いと思う。ていうか前に戦闘機落としてたよね)それをUfotableは最初から表現していた。人間の眼では到底追いつけないほどの戦闘速度で戦うランサーとアーチャーの戦いを、士朗という一般人の視点、つまり第三者から見せることで、召喚されたサーヴァントが人外の領域に位置していることを、視聴者と士朗をリンクさせる形で表現している。まずそこを理解してくれている時点で素晴らしい。更に、個人的に素晴らしいと思ったのが、後のバーサーカーVSセイバー。原作やこれまでのアニメだと、バーサーカーは怪力ながらも鈍重なイメージしか抱いていなかったものの、今回のバーサーカーは「速い」。セイバーが軽量かつ敏捷なイメージに対して、バーサーカーは重量感ある速さでそれに追随している。まさしく敏速Aのサーヴァントに相応しい速さを再現している所で、このアニメのスタッフが設定に忠実に作ってくれていることが分かる。

これは、即ち衛宮士朗の物語である


 スタッフはこの物語を「衛宮士朗」と言う主人公の物語であると明言した上で、この『Unlimited Blade Works』ルートを製作してくれている。僕はそれがたまらなく嬉しかった。衛宮士朗という人間は、一件平凡極まりない、多少正義感が強いかのような少年として見られがちで、だからゆえに謂れようのない批判を受けたりもするのだが、このルートでは彼がかつてのトラウマのせいで抱えてしまった「歪み」と正面に向き合って表現している。かつて自分が体験した災害、それゆえに生き残ってしまったものとして感じている責務から避けては通れず、幸福を全身で享受できない。更に「正義の味方」として受け継いだ、義父への誓い、その理想。彼自身が抱いている信念と正義であるのは間違いないが、他者から見ればそれはある種の歪み、異常性として捉えられてしまう。自分を度外視して他者の幸福の為に献身出来てしまう。他人の幸福、それがイコール自分への喜びという考え方自体は間違って無い。だが、士朗は自分が自分の為に幸福に成る方法を、無意識に忌避してしまっている。そんな士朗が、聖杯戦争という非日常に投げ込まれて、自身の価値観をもう一度見つめ直す物語。それが『Fate/stay night』という物語の中の『Unlimited Blade Works』というルートだろう。凛と、そしてアーチャーと出会うことにより今までの自分、そして未来の自分の理想と戦わなければならなくなった士朗が、どうやって答えを出していくのか。その心理描写が、まさしく士朗を中心に描かれているのがこのアニメの素晴らしさだと僕は思う。

最終回の演出に、全型月厨が涙した

 そんな素晴らしいアニメ化に大満足どころか、時折挿入されるオリジナル展開や、過去作であるZeroとの繋がりを意識させるファンサービスに、更には初回放送、二回目と最終回、合わせて一時間三十分、つまり一クール+三話分のボリュームと届けてくれる時点で超満足なこのアニメに、誰がどう文句のつけようもないまま、最終回まで走って行った。最終回はつまる所、凛とセイバーと士朗がおデートする回。原作ではほのぼのとしていた場面で、そこから帰宅して藤ねえがキャスターに拉致られたと記憶しているが、そこで終わると思いきや、なんとまぁ、オリジナル展開が凄く盛り上がる。まず最初に挿入されたのが、士朗たちがデートする裏側で、藤ねえが切嗣の墓前に花を捧げるシーン。おそらくZeroのアニメを見ていた人は切嗣に思い入れが強いひとも多いだろうし、更には藤ねえが切嗣にどういった気持ちを抱いていたのかどうかも、このシーンで察することが出来る。些細なシーンではあるが、Zeroの後がゆえに、この墓前のシーンはじわりと響いてくる。

 そしてその直後藤ねえが拉致され、そのあとキャスターが、士朗たちがデートの帰路につくバスを襲撃する。原作では衛宮亭を襲撃していた所だが、どうしてここを変えたんだろうな……と思っていた所、実は前作でキャスターが海魔を召喚したことで空間が魔術的にどうにかなっていたらしく、それゆえにキャスターが冬木大橋付近にトラップを設置したのだという、これまたZeroを意識してくれたニクい演出ということを知ってまたニヤり。しかし藤ねえは変わらず拉致されてしまい、士朗は二者択一の選択を強制されることになる。キャスターたちに協力するか、もししないのなら大河を殺す。やはりこの時点で、士朗の考え方の異常性がまた際立ってくる。自分を犠牲にしてでも他人の命を優先する。令呪を欲しがっているキャスターに対し、自分の腕さえも差しだしかねない発言は、やはり自分を度外視してでも他人を助けたい士朗の気持ちの現れだ。自分が一番大事なのが人間であるにも関わらず、士朗はそのような言葉を簡単に放ってしまえる。それを顕著に描き出したのがこのエピソードだと思う。

 だが、その心理を突かれて、セイバーのマスター権利、つまり令呪を剥奪されてしまう士朗。キャスターの傀儡と化したセイバーは不本意ながらも士朗に牙を剥く。形としてはどうあれ、令呪を奪われた魔術師は聖杯戦争におけるマスターではない。サーヴァントを失い、令呪も失い。もはや衛宮士朗という人間はただの一般人であり、この時点で彼の聖杯戦争は終わりを告げたと言ってもいい。教会に逃げ込めば保護してもらえるだろうし、もはや士朗に戦略的な価値は存在していないのかもしれない。この時点で衛宮士朗は聖杯戦争に対して「第三者」というポジションで干渉しなければならない立場になった。
 しかし、そこで士朗は止まるわけにはいかなかった。負傷した士朗は遠坂亭に運び込まれ、治療を受けた。その夜、目覚めた士朗はひとつの真実を目にした。

 運命の夜、ランサーと遭遇し心臓を突かれたはずなのに、なぜか治癒していた大怪我。その傍らに落ちていたはずの宝石。それが遠坂の部屋にあるという事実は、即ち自分の命の恩人は遠坂凛に他ならないということを示していた。聖杯戦争という殺し合いの情報や、他にも色々お世話になったはずなのに、命まで救ってもらったとしたら、それは一生かかっても返しきれない借りを作ってしまったという事なのかもしれない。一話で士朗が言ったように、命を助けられた、生き残ったものとして、ある種の義務を果たさなければいけないというように、例えば衛宮切嗣の理想を継ぐといったようなニュアンスで、遠坂への返しきれない恩義を感じていたのだろう。それと同じく、命を助けられたセイバーが捉えられているという事実に我慢できるはずがない。あらゆる現実が士朗を押しつぶそうとしている中で士朗は前を向こうとしている。未だ自分の歪みに答えを出し切れていない。これからどうすればいいかも分からない、無力な自分に歯噛みしながらも、前を向き続ける士朗。

 だが、凛は魔術師然とした視点で、無力な士朗に何が出来るのかを問う。マスターでもなく、サーヴァントも失った士朗が今出来ることは、おそらく何もない。戦力的にも同盟関係的にも、凛が士朗と協力する論理的な意味は存在しない。冷たく突き放す凛に、士朗はただ俯くしかなかった。宵闇の中に飛び去る凛とアーチャーの背中を見送りながら、掌にある宝石を見つめた。手にした宝石を握り締める彼の眼には、新たな決心が宿っていた。

見せかけの自分はそっと捨てて ただ在りのままで

 ここで、ひとまず一クール目は終わる……と思いきや、何やら耳に慣れたイントロが。そう、かつてのFate、PCゲーム原作とアニメ版の主題歌を彩った『THIS ILLUSION』、このイントロが流れ始めてから鳥肌が止まらなかった……かつてFateを初めてやった時、自分はPC版ではなくPS2だったのだけど、それでもアニメ版を見たりして、前からのFateファンにとってはかなり思い出深いだろう。今回のアニメ化によって、以前のアニメが蔑ろにされていると感じていたかもしれないが、ここで、この作品は過去のFateを尊重して、新しいFateを想像していくスタッフの意気、なによりFateを愛しているものが、Fateを愛しているものの為に作り上げた最上級のFateだということが、この瞬間に確信出来た。これを謳っているのがZeroのOPを担当したLiSAというのも、た前作との深いつながりを感じざるを得ないし、衛宮士朗という人間の生きざまを表現した『THIS ILLUSION』はUBWの本質を表わしていると言っても過言ではない。そう、このスタッフが作ってくれるのならば、もはや不安など一縷も存在しない。僕らはニクール目に訪れるUnlimited Blade Worksの完結を、ただ心待ちにするだけなのだから。


『誰かの為に生きて この一瞬(とき)が全てでいいでしょう。見せかけの自分はそっと捨てて ただ在りのままで』