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402号室の鏡像

あるいはその裏側

僕はこの瞬間を、14年待った。『ジュラシック・ワールド』感想

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世界的な恐竜のテーマパーク、ジュラシック・ワールド。恐竜の飼育員オーウェンクリス・プラット)が警告したにもかかわらず、パークの責任者であるクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は遺伝子操作によって新種の恐竜インドミナス・レックスを誕生させる。知能も高い上に共食いもする凶暴なインドミナス。そんな凶暴なインドミナスが脱走してしまい……。

解説・あらすじ - ジュラシック・ワールド - 作品 - Yahoo!映画

僕にとっての『ジュラシック・パーク

 まず最初に、前置きとして少しばかり自分の事を語らせてほしい。さっさと感想記事が読みたい人は次の見出しに行ってくれても全く構わない。暇な人は、少しばかり僕の過剰な自意識の主張を聞いてくれると在り難い。僕が産まれて初めて観た映画は『ジュラシック・パーク』だと記憶している。(もしかしたら『E・T』だったかもしれないがそれはさておき)1991年産まれの僕は当時幼稚園入園前、年相応に戦隊モノにハマっていて、その中でもお気に入りだったのが『恐竜戦隊ジュウレンジャー』だった。ゴジラティラノサウルスの区別もつかないような子供だったけど、とりあえずその時点で恐竜と言うものに興味を持った僕の為に、母親がビデオ屋から借りてきてくれた映画が『ジュラシック・パーク』だった。最初に『ジュラシック・パーク』を見た時、幼少期の僕はただ、ただ圧倒されていたのを鮮明に覚えている。最初にスクリーンにブラキオサウルスが出てきた時、僕の視点とグラント博士のそれは完全にリンクしていて、その瞬間から、僕は怪獣ではなく『恐竜』というものに魅せられてしまって、ダビングしたビデオのテープが擦り切れるまで、何度も何度も繰り返し観たのを覚えている。続編の『ロスト・ワールド』も然りで、島を飛び出して大都会で暴れ回るT-REXにワクワクさせられっぱなしだった。当時の僕を知る人に聞けば、僕はあの頃「恐竜博士」で、図鑑に載っている恐竜なら何でも暗唱出来る位の恐竜オタクで、将来の夢は勿論古生物学者だった。
 
 そんな僕が小学三年生になった時『ジュラシック・パークⅢ』が公開された。一作目と二作目を劇場で観る事が出来なかった僕は、初めて見るジュラシックパーク体験としてワクワクしながら劇場に足を運んだのを覚えている。

 だけど、残念ながら。子供ながらに僕が『ジュラシックパークⅢ』に覚えた感想は、明らかな「失望」だったのだ。実際の恐竜の生態を知ってしまっているが故に、スピノサウルスに蹂躙されるティラノサウルスが受け入れられなかったし、人間を持ち上げるプテラノドンにも疑問が湧いてしかたなかった。*1更に一作目や二作目にあった科学技術の発展に対する問題提起や、恐竜自体に対するワクワク感が失われてしまっているように思ってしまい、当時の自分としても、『Ⅲ』はあまり楽しめた映画では無かった。今から考えるとモンスター・パニック映画としては傑作の部類に入ると思うし、家族で観て楽しめる作りではあったので単に駄作とも言い切れない良作だと思うが、それでもシリーズの三作目として受け入れるには、出来が良くないと感じてしまったのだ。

 だから僕はそれからと言うものジュラシック・パークの「四作目」を願った。しかし、その後ずっと様々なごたごたがあったらしく、四作目の製作は難航している事を知った。三作目のジョー・ジョンストンが監督だとか、サイボーグ恐竜が出てきて戦争するだとか(今思えばこの要素は後に活かされたのだと知るのだけど)、色々な噂が浮かんでは消えていった。

 その長い時間の中で、ある一つの事件が起きる。『ジュラシック・パーク』原作者、マイクル・クライトン氏の早すぎる逝去だ。四作目の製作が難航している中で、偉大なる原作者が亡くなった。それが原因で「ジュラシックパークの四作目は、クライトン氏を悼んで創らない」と言い、計画は長期にわたって頓挫してしまった。だが、数年後、スピルバーグは再びジュラシックパークを製作すると公言し、そこからは実にとんとん拍子。題名が決まり、監督や俳優が決定し、ついには予告編まで。以前の難航ぶりが嘘の如く、まさに夢物語のように製作が進行し、こうして公開まで漕ぎ付けていった。その途中で、シリーズ重要人物であるジョン・ハモンドを演じていたリチャード・アッテンボロー氏も亡くなってしまい、サトラーを演じていたローラ・ダーンやイアン・マルカム役のジェフ・ゴールドブラムの再登板も無くなってしまったが、『ジュラシック・パーク』の四作目は新たに『ジュラシック・ワールド』としてリブートを果たしたのである。『Ⅲ』の公開から実に14年。小学三年生だった僕が大人になるには十分過ぎる時間だった。

ジュラシック・パーク』から『ジュラシック・ワールド』へ

 さて、読み飛ばしてくれた人もいただろうか。ともかく14年の時を経て公開した『ジュラシック・ワールド』。公開前から「これはリブート作品の位置づけ」と言うのが分かっていたのだが、観た感想としては、まさかここまで一作目を意識した作りだとは思わなくて、最初から最後まで涙が止まらなかった。最初、兄弟がイスラ・ヌブラルにフェリーで訪れ、島の全景が現れた所、そしてクレアとマスラニがヘリで島を周回する(ここはおそらく一作目のオマージュ)、ところでジョン・ウィリアムズのBGMが流れてきた瞬間、14年分の全てが報われた気持ちが奔流となって涙腺を直撃した。他にも、オマージュ点を数え上げればきりが無い位に過去作を意識した演出の連続で、しかもそれが決して「焼き直し」とはならずに「リブート」として成り立っているのが凄い。例えば、一作目の世界観において、あの時恐竜の復活に成功した時世間は沸きに沸いたが、今ではあの世界の子供にとって、恐竜を観に行くとは動物園のゾウを観に行くのと大差ない位の価値に成り下がってしまったという台詞がある。それは、まさしく現実でも作中でも同じ意味が言えることだと僕は思う。

 ジュラシックパーク以前、以後と考えると、恐竜映画の数は明らかに増大した。ストップモーションやきぐるみを多様した映画作りから、CGとアニマトロニクスの連携によりリアルな恐竜をこの世に呼び戻したスピルバーグを模倣し、多くの恐竜映画が濫立した。僕もジュラシックパークで覚えた恐竜の感動をもう一度味わいたいと、様々な恐竜映画を視てきた。だが、正直に言うと、そのどれもが陳腐なものに思えてしまったのだ。恐竜が適当な理由でこの世に蘇り、人間を食べ、そして人間に殺されてめでたしめでたし……という作品ばかりで、それらは多分、恐竜映画ではなく「怪獣映画」でしか無かった。中には見どころのある作品もあったが*2結局ジュラシック・パークに及ぶ作品は無かった。

 そういった比喩表現として、ジュラシック・ワールドの経営が巧くいっていない事が示される。開園後来場者数は落ち込み、経営陣はその打開策として様々な手を打っていた。その最たるものとして生み出されたのが「インドミナス・レックス」という人造恐竜だ。ティラノサウルス・レックスの遺伝子をベースにし、ルゴプス、カルノタウルス、マジュンガサウルス、ギガノトサウルスなどとにかく「凶暴」「デカイ」「歯が多い」など、見た目や凶暴性を重視した恐竜を、人の手で創りだしてしまった。おそらくこれは、昨今の映画業界において、ジュラシックパーク以降氾濫した恐竜映画の比喩表現で、恐竜がただ街を破壊したり凶悪な怪獣として扱われていた事を取りあげ、観客もそれを求めていたということを、映画の中で表現した存在なのかなと、個人的には思う。僕としては公開前「人造恐竜が映画に出る」という話を聞いた時、ひとりの恐竜ファンとして「実際に居た恐竜が観たいのであって、怪獣を観たいわけじゃないのに……」と愚痴を零すことがあったが、劇中でそれを理解した瞬間、物語におけるインドミナス・レックスの存在に凄く意味があるものだと気付いた。そう、インドミナス・レックスは純然たる「怪獣」として創られた恐竜だからだ。観客=視聴者に求められてきた、怪獣としての、恐竜。それがジュラシック・パークシリーズに登場する意味とは、一体何なのだろうか。

 ジュラシック・パークで受け継がれてきた概念として「人間は決して自然を支配することはできない」というメッセージ性が込められているが、インドミナス・レックスはそれを体現するような存在だ。過剰に属性を加えられたインドミナス・レックスは、ただ凶暴な存在ではなく知性を兼ね揃えた存在だとして、物語が始まってすぐに檻から脱走し、ワールドを恐怖の渦に叩きこむ。後に、あらゆる恐竜だけでなく、自然界に現存する動物の遺伝子も組み込まれていて、後に生体兵器として軍事転用される目論見として語られていた。もっと歯が多く、凶暴な存在に、擬態能力や体温調整能力、そしてヴェロキラプトルから受け継いだ高知性を兼ね揃えた存在――それはまさしく恐竜を超越した「怪獣」と言っても過言ではないだろう。従って、インドミナス・レックスは人間のコントロールから外れていく。かつてのパークの悲劇を繰り返すかのように。パークから、ワールドに移行するにつれ、かつての悲劇の二の舞にならないようにあらゆるセキュリティを駆使し改善したはずなのに、また同じような失敗をしてしまった理由、それは一体何なのだろうか。かのカオス理論哲学者イアン・マルカムがその場を見ていたら高らかに笑うかもしれない。なぜならかつてと同じように、自然を商品や見世物としか思っていない経営陣――「自然をおもちゃにし、いじくりまわしている」のは、十四年経っても同じだからだ。

数多くのオマージュ点

 さて、リブート的存在であり、一作目を意識して、パークからワールドへ移行していった事を事細かに描写してくれたこの映画に嬉しさが堪らないが、この映画の楽しい所と言えば、シリーズのオマージュ点を探す所だ。そもそも、主人公のオーウェンは一作目に登場した人気キャラクターであるマルドゥーンを意識している事間違いなしだし、ヒロインのクレア*3、そして彼らと行動を共にする二人の子供であるザックとグレイにしろ、一作目の主要メンバーと重ね合わせている事間違いなしである。ちなみに、子供達のザックとグレイの両親はお互いに不仲であることが序盤から匂わされ、離婚調停中だと言う事が示されている。これは原作版ジュラシック・パークのティムとレックスの家族関係と全く同じであり、恐竜オタクの弟とあまり興味の無い兄(姉)という構図としても全く同じだ。その彼らがフェリーで島を訪れ、イスラ・ヌブラルの全景が出る所、そしてクレアやマスラニ社長が島をヘリで移動する所でジョン・ウィリアムズのメインテーマが流れ出す所は前述した感動具合だ。前作におけるビジター・センター的な場所では、恐竜発掘体験が出来るようになっているのだが、これは一作目においてグラント博士がラプトルを発掘していた冒頭と全く同じだし、ホログラムにおいて恐竜復活の仕組みを分かり易く説明していたキャラクターも、一作目で出てきたミスター・DNAが出てきている。ホログラムではあるが、一作目で印象的だったディロフォサウルスの再登場もまたファンには嬉しい。

 他にも、パークの運営状況に不満を抱いているが、上司に聞きいれてもらえないパークの職員が出てくる。一作目のデニス・ネドリーのオマージュであり、同じくデブである。(もっともこちらは悪人ではない)彼は恐竜が大好きであり、ジュラシック・パークに憧れてワールドの職員に就職した背景が語られているが、インドミナス・レックスの存在や経営方針に対して疑問を抱いており、彼の語り口イコール物語に対する問題提起となっている。恐竜を愛する視聴者の疑問を体現してくれた存在と言えよう。

 ジャイロボールに乗りながら恐竜の群れの中を進んでいく様子も、一作目でガリミムスの中を逃げ惑うグラント博士達の姿を思わせる。一作目においてはレールに沿った車で観光するというので昼間にはあまり恐竜と出くわせなかったという欠点があったが、これを改善し出来るだけ自由自在に恐竜の群れの中を走っていけるという方法にしたのは凄くテーマパークらしくてワクワクした。ティラノサウルスの飼育方法も電気策ではなくガラス張りのケージの中から観賞する方法をとっていて、テーマパークとしては、より来客が恐竜と出会えるようにしているという点で改善されているのが分かる。一作目も「ここに行ってみたい!」と思っていたが、プレオープンで終わってしまっただけに、本オープンした恐竜テーマパークの姿をきちんと観れた事に、素直に感動した。子供恐竜と触れあう所なんか、観ててほのぼのしたし。

 そのジャイロボールが既定路線から外れてインドミナス・レックスに襲われるというのもまた一作目のパターンを踏襲しているし、そこから逃げ出してジャングルの中を逃げ惑う子供達というのもまた同じだ。しかし、僕が感動したのはここからだ。グレイとザックが逃げ惑う内に、ジャングルの中に見つけた、ひとつの朽ち果てた扉。長い年月を感じさせられるその扉を開けると、そこには、かつてのジュラシック・パークを象徴した、ビジターセンターの成れの果てがあった。かつてT-REXが暴れたことを示すように恐竜骨格は崩れ落ち、土に塗れた帯が落ちており、その帯を松明代わりに子供たちは進んでいく。更に奥にはパーク職員が利用していた赤いジープがあり、おまけにティムが使っていた暗視ゴーグルまで!怒涛の一作目アピールに感動して映画館で声すら上げそうになってしまった。そこで二人はジープを修理して、脱出に向かう。*4
 
 まぁ、いい加減オマージュ点が多い事を示して行くのはきりが無いので、印象的だったものを挙げたこの辺りにしておこう。ここからが本題の本題だ。

暴君、降臨

 中盤から終盤に至るにつれて、インドミナス・レックスの破壊行動はエスカレートしていく。翼竜ドームを破壊し、ディモルフォドンやプテラノドンが解き放たれた挙句に来場者達が襲われていく様はまさに戦慄のひとこと。更には対策として用いられた、訓練されていたはずのヴェロキラプトルでさえも、オーウェンの手から離れてインジェン社の特殊部隊を襲い始める。*5インドミナス・レックスには実はラプトルの遺伝子が盛り込まれていて、彼らとコミュニケーションを取る事で従える事に成功してしまったのだ。狩る側から狩られる側へと変わってしまったオーウェン達は、ラプトルとインドミナス・レックスの二大捕食者からも逃げ惑う事になるが、そこでオーウェンはもう一度賭けに出る。自らが育て上げ、友情をはぐくんできたラプトルと、もう一度対話することに挑戦したのだ。*6奇跡か必然か、オーウェンが一番特別視していたラプトルである「ブルー」は彼との絆を思い出したのか、インドミナス・レックスに反旗を翻す。だが、恐ろしい狩人であるラプトルでさえも、インドミナス・レックスには適わなかったそこでグレイが呟いた一言。「"We need more teeth"(もっと歯が多いヤツが要る)」*7そう、このジュラシック・ワールドには存在している。ヴェロキラプトルよりも、インドミナス・レックスよりも凶暴で強大な、かつて地球最大の捕食動物として6500万年前に君臨していた、暴虐君主の竜が。

 この瞬間、何かに気付いたようにクレアが発煙筒をひっつかんだ瞬間、僕は全てを察した。*8門が開いた瞬間、暗闇から現れる巨大な影――ティラノサウルス・レックスが、ジュラシック・ワールドに降臨した。*9もう、ほんとベタな位に熱い所で登場してくれて、この瞬間から僕の涙は止まらなかった。十四年前、魚食なはずの恐竜にティラノサウルスが理不尽な敗北をしてから*10というもの、僕はずっと、この展開を待ち望んでいた。此処が映画館という場所でなければ、歓喜の雄叫びを僕は上げていただろう。この瞬間の僕は、在りし日の如く、確かに恐竜少年に還っていたのだから。

 そう、インドミナス・レックスVSティラノサウルス・レックス。この戦いは「人類が創りだした最強」VS「自然が創りだした最強」と言う構図とも考えられる。映画的な観点から言うと「怪獣映画」と化してしまった恐竜映画の復権とも考えられる。インドミナス・レックスがモンスターパニックと化してしまった怪獣映画のメタファーだとしたら、ティラノサウルスはまさしく、ジュラシック・パークが生み出した恐竜映画の復権を体現する存在だ。そう、この瞬間僕は気付いた。『ジュラシック・ワールド』は、怪獣映画の皮を被った、まさしく恐竜映画だったのだ。人間が道楽の為に自らのエゴを投じて創り上げた、さながらフランケン・シュタインの如きモンスターであるインドミナス・レックス。例えばモンスターパニック映画であったら、この怪獣の登場は至極当然だろう。だが『ジュラシック・パーク』もとい『ジュラシック・ワールド』は「恐竜映画」だ。そう、この島に存在していいのは、恐竜に他ならない。恐竜VS怪獣。だからこそ、インドミナス・レックスとティラノサウルス・レックス*11が対決するのは道理だったのだろう。

 激戦の末、ティラノサウルスが敗北しそうになるが、ラプトルの加勢により一転攻勢。王者の風格を見せつけインドミナス・レックスをその強靭な顎と歯で薙ぎ倒す。結果的に、決着自体はプールから現れたモササウルス*12に奪われてしまったのだが、ティラノサウルスは十二分に、陸上最強の捕食者としての意地を見せた。物語の全てが終わった後、ティラノサウルスの咆哮で全てが終わったのは、まさしくこの恐竜自体が、物語を体現する存在だったという事を示していたのだろう。

最終的に、物語の結末として

 最終的にオーウェンとクレア、子供達は混乱の末に生き残るも、ワールドに恐竜は解き放たれ、多くの犠牲者が出てしまった。おそらくここから経営復活は難しいだろう。かつてのインジェン社と同じく、マスラニ社は衰退の一途を辿るのだろうと予想される。社長が亡くなってしまったのだから尚更だ。しかし、ここで気になるのがインジェン社の影だ。ヘンリー・ウーはまたしても生存しているし、そもそも、あの事件を通してインジェン社はまたしても何かを企んでいるようにしか思えない。あえなくインドミナス・レックスにはやられてしまったのだが、対恐竜用と思われる重武装の特殊部隊やヘリをも備え緊急時の即応性も考慮していた以上、恐竜の軍事転用の研究を推し進めているのは間違いないだろう。*13既に続編製作は決まっており、監督曰く「遺伝子技術が全世界に広がり、恐竜が誰でも復活可能な状況」の世界を描くと言う事らしい。果たしてその世界がどうなるのか、未だに想像がつかないが、リブート路線をそのまま推し進めるのならば『ロスト・ワールド』のように都市に恐竜が現れ暴れまわるような展開になるとも予想出来る。過去の失敗を踏まえて、マスラニ社やインジェン社は一体どういう方法で復権を狙うのか。

 しかし、僕は思うのだ。14年経って新たにジュラシック・パークの新作を見て息づく恐竜に感動した僕のように、あの世界の人間も、何度だって恐竜に魅せられているのだと思うのだ。例え何度失敗しても、何人犠牲者が出ても、ジュラシック・パーク*14は創られ続ける。それほどまでに、恐竜は人々を惹きつけ続ける存在なのだから。

*1:ぶっちゃけ今作でもそれは変わらないが、映像的見栄えとしてもう許した。

*2:ピーター・ジャクソン版『キング・コング』はかなり出来が良かったと思う。まぁ、あれは厳密に言うと恐竜映画ではなくなってしまうが

*3:「うざったい」という意見が多いが、ウザイ女はジュラシックパーク定番キャラだし、クレアは途中からたくましくなっていくので結構好き。

*4:このシーンはご都合主義みたいに思われているけど、一作目でレックスがパークのコンピュータをリブートしたのと同じ意味合いなのでは?と僕は思う

*5:森林の暗闇の中で武装した兵士たちがラプトルにやられていく様はまさに『ロスト・ワールド』のオマージュに見えた

*6:オーウェンはラプトルの誕生からずっと成長を見守ってきたという裏設定がある。結局ラプトル達はオーウェンでさえも従えきれなかったのだが、最後にオーウェンを仲間として認識したのは、この物語における僅かな希望なのかもしれない。人間は自然を支配は出来ないが、共存することは可能という。

*7:この台詞は字幕版では「もっと歯が必要だ」と訳されており正直、初見では理解できなかった(安定の戸田奈津子訳)。物語の中でインドミナス・レックスの強さを表現する際にヘンリー・ウーが歯の多さ(teeth)と示していたので、おそらくこの物語の中で単純な強さとして、歯の多さが示されているのだと思った。だからラプトルよりも、インドミナス・レックスよりも歯が多い恐竜がこの状況で求められていたのかなと思う。

*8:ジュラシック・パークシリーズファンならこの瞬間に分かるはずだ。発煙筒を振るイアン・マルカム。彼がおびきよせた恐竜と言ったら、アレしかない。

*9:どうやらこの個体はジュラシック・パーク一作目に登場した個体と同じようで、その証拠にラプトルに付けられた傷が残っている。長生きしているのは嬉しいのだが、野性に帰ったりまた捕まったり人造恐竜と戦わせられたりと、そろそろ彼女もうんざりしていそうだ。

*10:スピノサウルスの骨格を盛大に破壊しながら登場したティラノサウルスにはめっちゃ熱くなったけど正直笑ってしまった。

*11:「レックス」というのはラテン語で「王者」と言う意味。まさしく王者同士の対決だったのだ。

*12:モササウルスも海の王者と呼ばれているので、もしや三つ巴の構図だったのかもしれない?

*13:想像するに、パークの失敗からインジェン社はマスラニ社に買収されてしまうも、ワールドのオープン以降虎視眈眈と水面下で復権のチャンスを狙っていたに違いない。だからこそあそこまでの武装を用意し、遺伝子技術の軍事転用を狙っていたのだと。

*14:余談だが、ジュラシックワールドの公式サイトが凄く面白い。まるで現実にテーマパークがあるような雰囲気の紹介HPで、映画はその宣伝映像という位置づけになっている。見てれば観てるほど行きたくなる。 http://www.jurassicworld.jp/