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「君はどっちに付く?」『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』感想

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ-オリジナル・サウンドトラック

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ-オリジナル・サウンドトラック

シビル・ウォー (MARVEL)

シビル・ウォー (MARVEL)

マーベルコミック原作「キャプテン・アメリカ」シリーズの第3作。マーベルヒーローが集結した「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」後の物語となり、キャプテン・アメリカとアイアンマンという「アベンジャーズ」を代表する2人のヒーローの対立を描く。人類の平和を守るアベンジャーズは戦いは全世界へと広がるが、その人的・物的被害大きさから、アベンジャーズは国際的な政府組織の管理下に置かれ、無許可での活動を禁じられる。一般市民を危機にさらしてしまったことへの自責の念から、アイアンマンはその指示に従うが、「自らの行動は自らの責任で持つべき」という持論のキャプテン・アメリカは反発。2人の意見はすれ違い、一色触発の緊張感が高まっていく。キャプテン・アメリカ、アイアンマンらおなじみのアベンジャーズの面々に、アントマンやブラックパンサー、そしてスパイダーマンと新たなヒーローも続々参戦。

シビル・ウォー キャプテン・アメリカ : 作品情報 - 映画.com

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』を観てきました。ネタバレ込みの感想なのでご注意を。

 マーベル・シネマティック・ユニバースの最新作でありながらも『キャプテン・アメリカ』シリーズの三作目である今作。前作『ウインター・ソルジャー』がアメコミ原作映画でありながら、濃厚なアクションにミリタリー要素、そして9・11以後を思わせる現実の社会情勢に、ウォーターゲート事件対テロ戦争を連想させる政治的陰謀論を絡ませたポリティカル・スリラーとして相当上質な出来となっていたので、それを監督したルッソ兄弟が『シビル・ウォー』を撮るということで否応なしに期待が高まっていた。実際観てみると、単なるヒーロー映画ではなくシリーズで起きた出来事を存分に踏襲し、でありながらもヒーロー個人の内面にコミットした情緒溢れるキャラクター描写に加えて、存分に画面を縦横無尽するヒーローたちが登場するお祭り映画として、まさに今までのシリーズの良い所を集めた大傑作だったと思う。

スティーブ・ロジャーズ、そしてトニー・スターク

 原作ではスーパーヒューマン登録法を巡って、そして映画ではアベンジャーズが国際連合の統制下に置かれることについての是非について、陣営内で賛成派、反対派に分かれて争いあう羽目になってしまう物語だった。ニューヨーク、ワシントン、ソコヴィア、そしてラゴス。アベンジャーズが正義の為に戦っていた裏では多くの犠牲者が後を絶たず、世間は正義の味方に対して、底知れぬ恐怖を抱き始めていた。ゆえに世界は彼らがある程度管理されるべきと、世界中が協議したうえでアベンジャーズが出動するべきという「ソコヴィア協定」という決まりを提示した。
 
 まず真っ先に賛成したのはトニー・スタークだった。彼はウルトロン計画の失敗によりソコヴィアを崩壊させた原因を作りだしてしまった張本人であり、遺族にそれを責められたりして、力を持ちすぎた自分たちの行動に歯止めをかけようとしていた。国連という巨大組織の中に身を置けば、またしても自分たちが間違える可能性を最小限に押しとどめられるかもしれないという考え方だ。

 一方、それに反対したのがキャプテン・アメリカスティーブ・ロジャースだった。そもそも、スティーブは根本的に組織というものに不信感を抱いている。生まれてこの方信じていたアメリカが、実はヒドラという極悪組織の巣窟となっていたという前作『ウインター・ソルジャー』の出来事を踏まえて「もし仮に間違った命令だったらどうする」という、自分たちの力が悪用される危険性を唱えていた。キャプテン・アメリカもといスティーブ・ロジャースはアメリカを心の底から愛する真の愛国者であり、一度は国を護る為に自らの命さえも犠牲にした。しかし永い眠りから目覚めた後、アメリカ、そして世界に裏側には悪が根を張り、実を付けていた。だからこそキャップの判断基準は自らの内側に存在する。自らが愛した国、アメリカ。その国が間違い、悪しき方向に行こうとするなら自らが立ち向かい、正す他無い。だからこそキャップはSHIELDの内側に悪が存在すると気付いた時、組織を壊してまで国を正しい方向に導こうとしていた。

 さて、そもそも二人は、どういう経緯でヒーローになったのだろうか。ここを遡ることで、二人の行動原理が見えてくる。

 スティーブ・ロジャーズは貧弱な体付きだったものの国を愛する気持ちだけは人一倍ある青年で、そんな彼がスーパーソルジャー計画の被験体として選ばれたことから、人間を超えた身体能力を持つキャプテン・アメリカとして戦うことになる。超人になったことに驕ることなく、弱かった自分を乗り越えて、自らの信念を固く持ち続けて戦い、ヒドラの脅威からアメリカを護ったキャプテン・アメリカは、彼がいなくなった後も伝説として語り継がれてきた。そして、永い眠りから覚めた後も変わないスタンスで彼は自らが信じるものの為に戦い続けている。

 一方、トニー・スタークは元武器商人であり、自らが作り出した兵器によって大富豪とも言える富を築いていた。しかしその武器が実はテロリストに横流しされ、多くの人間を傷つけていたという事実を知った時から、彼は自分が作ったスーツを纏い、アイアンマンとして戦う決意をした。その後はアベンジャーズとしてテロリストや宇宙人など多くの人間から世界を救ったが、アイアンマンとして戦うことに対しトラウマを抱えてしまったり、かつて多くの人間を間接的に殺めてしまった罪はそう簡単に忘れられるものではなく、報復として愛する人を巻き込まれる恐怖と隣り合わせにもなってしまった。それに加え、自らが開発した人工知能によりソコヴィアを壊滅状態に陥れ、それにより世界中から糾弾される身となってしまった。

 つまり、キャプテン・アメリカは自らがかつて信じた正義を胸に抱え、常に前を見据えて、正しいものの為に戦い続けている。しかしアイアンマンは、過去の自分がしたことの贖罪、二度と自分、あるいは世界の傲慢による犠牲を出さない為に戦っていたのかもしれないと思う。

 人間はか弱い存在であり、誰もが必ず間違いを犯す。キャップは戦争に参加したことや、今までの戦い、そして裏の歴史を知ってしまったが為にそれを理解していて、それでも止まることは出来ないと鋼の意思を持ち続けている。一度の間違いで止まるよりも、それを踏まえてより多くの善を成すことが自分たちのさだめだと、キャップは糾弾のきっかけとなってしまったスカーレット・ウィッチを諭していた。しかしトニーはそんな彼女を危険視し、ヴィジョンの監視の元軟禁状態に置いていた。危険な能力を持つ超能力者であるとはいえ、彼女はまだ少女に過ぎない。結果的にそれはホークアイことクリント・バートンの離反をも招いてしまい、キャップ派とアイアンマン派の派閥の溝を深めていく。

自らが正しいと信ずるものに従う

 キャプテン・アメリカは最初から何もスタンスを変えていない。それは「自分が正しいと信じるもの、それが正義である」という理念だ。路地裏で不良に絡まれた時*1だって、アメリカの為に命を賭した時だって、自分が信じるアメリカが悪だと気付いた時にもそれは変わらない。今作は親友のバッキーがウインター・ソルジャーとしてテロに加担していた疑いがかけられ、世界的に指名手配されるが、彼の無実を信じて逃亡に手を貸してしまう。事実、物語の中盤でウインター・ソルジャーというヒドラが作り出した強化人間が複数存在していたという事実が発覚し、バッキーが真に無実ということが証明され、キャップの言い分が正しいことが判明する。今作、キャップが1944年の時点でお互いに行為を寄せていたペギー・カーターが天寿を全うするが、思い悩んでいたキャップに、彼女が遺した言葉*2が彼の忘れかけていた理念を思い起こさせてくれた*3。誰もが正しいということを、自分だけが間違っていると思う時、それが信じる価値のあるものならば世界中の誰もを敵に回しても貫き通せ。だからこそキャップは無実の親友を守る為にただ、走り続けた。

スタークの抱える矛盾と疑問

 しかし、中盤までバッキーは明らかにテロリストとして追われる存在であり、直接バッキーから「俺はやっていない」と証言を聞いたキャップ以外、彼の無実を知るものはいない。そんな彼を守る為に付き従うキャップは明らかに、過去の友人の為、つまり私情に流されて危険なテロリストを守っている大バカ者に過ぎない。そんなことを続けるキャップにトニーが賛同出来る訳もなく、挙句捕えられたキャップと協力者のサム・ウィルソンことファルコン、そしてバッキーだったが、何かのきっかけで突如バッキーはかつての自分、洗脳されていたウインター・ソルジャーとしての自分を取り戻してしまい、暴走の挙句再び逃走してしまい、トニーはもう一度キャップ含む一味を捕まえようという決意を新たにする。

 そもそも、トニー自身はもともと民間人であり、ワンマン天才社長として個人プレーが似合う存在で『アベンジャーズ』一作目の時も、自分は軍人ではなく民間人としての協力者だと言い、組織として働くことを良しとはしていなかった。そんな彼が自分たちが引き起こした事件の責任を感じて、自分たちは敢えて組織として監視され、統制されるべきだと言いだしたのは、彼の意識の変遷を感じずには居られなかった。そう、トニー・スタークの言うこと自体はいつだって間違ってはいない。ウルトロンを開発した時だって、SHIELDが崩壊した中で迫りくるテロリストやエイリアンの脅威を守ろうとしたことから始まっているわけだし、今作でキャップと対立する原因だって、譲歩案や和解の方法を彼の方から提示しようとした。トニーはいつだって、自分自身の出来る最大限の方法で平和を考えていた。何も考えていなかったわけではない。ただし、最後まで彼が捨てきれなかったものがある。それは自分自身のエゴイズムで、簡単にいえば他者を根本的に信頼しきれていないことだと思う。自分が作り出したスーツならば、自分が作り出した人工知能ならば、あるいは自分の判断ならばと、他人と譲歩する姿勢は見せるものの、結局は自分の判断が絶対だという考えを捨てきれない辺りが、トニーが根本的に信頼されない原因であり、他者に矛盾していると思われてしまう原因じゃないかと思う。

 今回の場合は多くの命を奪ったテロリストをキャップが庇っているということで、それを仲間だという理由で許すことは絶対に出来なかった。だからこそ、真実を知らないトニーはキャップとの埋まらない溝を抱えたまま、彼と対峙しなければならなくなった。途中でキャップから聞かされた真実を聞き入れもせず、結局は対峙に至ってしまうのは、もはや悲しい誤解の積み重ねでしかない。

結局、誰もが救われぬ被害者である

 今回の作品は、いわゆる「ヴィラン不在」とも考えられる。そもそも、アベンジャーズが国連傘下に入るというだけではただの論争に過ぎない。幾ら堅物の二人が居ると言っても譲歩の方法はいくらでもあったし、最後にはキャップが「本当は署名だってしたかった」という気持ちを吐露している。だがきっかけとなるのは、バッキーがテロの主犯として疑われ、彼を守る為にキャップが飛び出していったことである。そのきっかけを作り、バッキーに冤罪をかけたのがこの作品の黒幕であるヘルムート・ジモ大佐だ。ヒドラ残党が隠し持っていたウインター・ソルジャーの使用方法を盗み出した挙句、バッキーに変装し大規模なテロを仕掛け彼に濡れ衣を着せることで、アベンジャーズの仲間割れを誘った。しかし終盤、ジモは実はソコヴィア出身で、ウルトロン事件の際に愛する家族を失っていた――という過去が明かされる。愛する家族を奪ったアベンジャーズに復讐しようにも、超人集団の彼らに誰が敵うだろうか。誰が彼らを制御するのだろうか。出来るはずがない。だからこそジモはウインター・ソルジャーを利用してアベンジャーズの仲間割れを誘った。超人と相対できるのは、他ならぬ超人だからだ。

 しかし、バッキーへの濡れ衣を知り、心の底から詫びようと事件の根本的な解決を図ろうとしたトニーに対し、ジモは最後の一手を下す。トニー・スタークの両親が殺された1991年の映像、そこには彼の両親がウインター・ソルジャーと化したバッキーに殺された今際の時が映し出されていたのであった。両親を殺された際の孤独、そして幼い頃からキャプテン・アメリカと比較され続けたことにより鬱屈したコンプレックス、しかし彼はいまや大事な仲間ではあるが、その隣には、トニー・スタークの人生を狂わせた張本人であるバッキーがいる。幾ら彼が洗脳されヒドラの手先として自意識の無い状態で殺しをさせられていたとしても、もはやトニーはやり場のない怒りをバッキーにぶつけることしかできなかった。
 
 洗脳され、知らずうちに幾多の人間の命を奪ったことで否応なしに罪を背負わされたバッキー。その彼に両親を殺されたトニー、そしてトニーが作り出したウルトロンにより故郷の家族を奪われたジモ、そして自らが大切にしていたアベンジャーズの絆を引き裂かれたキャップ。悲劇が悲劇を生み、すべての人間が被害者となるこの物語の中で、ただ、唯一の希望があった。

復讐の連鎖を終わらせた黒豹

 ソコヴィア協定の署名式で起きたテロにおいて死亡したワガンダ国王の息子ティ・チャラは、父を殺した犯人であるバッキーを殺そうと、報復の為にブラック・パンサーとなり執拗にバッキーを追い詰め、キャップ達と衝突する。しかし物語の最後に、真犯人がジモであると知ると、自分は無実の人間を怒りに任せて殺そうとしていたのかと自責の念に駆られ、加えてジモの過去を聞くことで、彼もまた一連の事件の被害者である事を知る。父の命を奪った人間に絶対に報復するという憎しみに駆られていたブラックパンサーは、ジモを殺すことをせず、法の裁きに彼の処遇をゆだねることを決意した。まさしく、復讐者が復讐者を生み、さらなる恐怖の連鎖を生む物語に終止符を打ったのがティ・チャラだったのだ。父から受け継いだ平和を愛する精神を体現した彼は、この時まさに、ブラック・パンサーというヒーローとして成り立ったのだと思う。復讐を遂げキャップたちを狙うヴィランではなく、ワガンダの神の名を借りた正義の黒豹として、彼は復讐の連鎖を絶ち切ったのだ。

結局、物語の帰結として

 アベンジャーズは散り散りになり、仲間たちを投獄してしまったトニーの元にはもはや彼の作り出したヴィジョンと、半身不随になったローディのみしか存在しない。しかし、刑務所からかつての仲間たちが脱獄したという知らせと同時に、失踪したスティーブから手紙が来る。もし世界に危機が迫る時は自分たちを呼ぶと良い。その時はいつだって駆けつける――と。思想は違えど、世界を守りたいという気持ち自体はみな同じである。今回の事件で分かたれてしまったアベンジャーズだが、スティーブたちはワガンダにて潜伏し、世界に危機に立ち向かう構えだろう。いつかまた世界に危機が訪れ、世界が彼らを呼ぶ時、スティーブ・ロジャースもといキャプテン・アメリカは再びマスクを被り、こう叫ぶのかもしれない。「Avengers Assemble!(アベンジャーズ集合!)」と。

他にも良かったところとか

 難しいこと考えずに今回は良かった所が沢山ある*4。ゲスト程度だろうなと思っていたスパイダーマンの見せ方*5などは特に良くて、前二シリーズのピーター・パーカーと比較するとかなり若いにも関わらず*6、ウィットの効いた軽口やトリッキーな戦い方など、完全に僕らの知っている親愛なる隣人の戦い方で、安心感すら覚えた。同じくアントマンもまたコメディらしい口調で伸縮能力を生かした戦い方をするのだけど、映画で見た縮小能力だけじゃなく、理論上は出来るとされていた巨大化能力で戦うダイナミックさを披露してくれて大満足。そのアントマンを『帝国の逆襲』*7オマージュで倒すやり方なんかも映画ファンからしてニヤリとさせられる演出であること間違いなしで、その点も凄く良かった。単純に、今まで共通の敵を打ち倒していたアベンジャーズがお互いぶつかり合う夢の展開ということで、原作の謳い文句である「Whose Side Are You On??(きみはどちらに付く?)」ように、どちらの思想に肩入れするか、どちらが勝つかを考えながらファン同士で語り合うことで楽しめる物語であったとも思う。少し上映時間が長いのが難点だったが、上映時間が長くともダレている感じは全くなかったし、むしろ大迫力なシーンだらけでおなかいっぱいな気持ちだ。『ウインター・ソルジャー』に続いてまたしても大傑作を撮ってくれたルッソ兄弟監督に感謝の気持ちをささげたいと共に、のちに控えている『インフィニティ・ウォー』に備えて、今からより楽しみな気持ちを膨らませておきたい。

「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」あのヒーローが参戦!最新USトレーラー
 もちろん僕は前からキャップ派です。シリーズを観る度にキャップが大好きになる。

*1:アイアンマンとの戦いのとき、腕を上げた時のポーズが路地裏でのそれと全く同じなのが熱い。キャップは最初から最後まで何も変わらなっていないんですよ。それがいい。

*2:この言葉は原作では、スティーブ本人が語る言葉だったという。もしかしたら1945年辺りで彼がペギーに語った言葉を生涯抱き続けたペギーが、姪のシャロンに語ったのがこの言葉だったのかもしれない。

*3:この点、やはりシビル・ウォーは『キャプテン・アメリカ3』としての物語だったのだと思う。ペギーが築き上げた平和なアメリカを守り、そして彼女が亡くなった今、1945年当時のスティーブをつなぎとめる唯一の存在である親友バッキーを、彼は二度と失うわけにもいかなかった

*4:個人的にラムロウが大好きだったので、彼がヴィラン化したクロスボーンズが序盤で爆散したのが残念だった。彼には今作でも意地汚くキャップを追って欲しかった。あのスーツ超かっこいいし

*5:ヘッドカメラを付けて撮影した映像をyoutubeに投稿してるなどしてるのが現代に合わせたスパイダーマンらしさなのだなと感心した

*6:メイ伯母さんもピーターに合わせた若さなのだけど凄く綺麗でびっくりした。あんなおばさんが思春期の少年と同じ屋根の下で暮らしてるだなんて、何か間違いが起きないだろうか

*7:「古い映画だけけど知ってる?」というセリフがアベンジャーズの皆さんに対してジェネレーションギャップを感じさせて良かった。ところで、EP1~3に出てくるメイス・ウインドウって、SHIELDの元長官に激似だと思うんだけどその点あの人たちはどう解釈してるんだろうか