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402号室の鏡像

あるいはその裏側

銃と少年、少女と同性愛

疾走する思春期のパラベラム (ファミ通文庫)

疾走する思春期のパラベラム (ファミ通文庫)

 

アフリカン・ゲーム・カートリッジズ (角川文庫)

アフリカン・ゲーム・カートリッジズ (角川文庫)

 『疾走する思春期のパラベラム』を全巻読了して、深見真さんの小説が自分の中で相当染み付いてしまった事に気付いたので『アフリカン・ゲーム・カートリッジ』を一気に読み終えた今のテンションでブログの記事を更新するよ。

 著者である深見真さんは、ほぼ全ての作品で銃火器、格闘術、同性愛を描いている。数あるガンアクション、警察小説にて銃火器描写は数あれど、そこに同性愛という、半ばタブー視されてしまうような描写を書き込むのは果たして何故なのだろうか、という事で考えてみた。どうしてアクション描写に同性愛が混じるとこんなに面白いのか。

 『疾走する思春期のパラベラム』(以下『パラベラム』)と『アフリカン・ゲーム・カートリッジ』(以下『AGC』)に共通しているテーマ(『暗殺部』にもあるかもしれないけど、二巻しか出ていないので省略)として、「抑圧からの解放」というものがあると思う。「パラベラム」「銃使い」という特異能力者が起こす事件、差別。それに相乗しているのが、主人公達が持つコンプレックスだ。例えば『パラベラム』の主人公である佐々木一兎は、両親の離婚などたび重なる不幸により、生きる意味を失いかけていた。『AGC』の矢崎竜座も同じような虚無感の中で、特異能力を手に入れる。

 銃というのはフロイトの夢判断の中で『性』のイメージとして象徴されている。弾丸を吐き出す行為=射精(ペニス)の比喩とも言える。そんな中で同性愛者が銃を握り、人を撃つというのはどういう事なのか。多分それは社会的マイノリティである同性愛者が更なる剣=力を得て、更なる進歩をする(ペニスを獲得した女性=両性具有者への進化。両性具有者は古代から神格化されている)というメッセージ性が浮き出てくるんじゃないかなと、僕は深見真さんの小説を読んで連想した。

 社会的マイノリティという意味では、佐々木一兎や矢崎竜座など、虚無感や疎外感を覚えてしまった人間も同じだろう。そういった人間が銃を取り、人を撃つという行為は、抑圧の壁からの解放を意味しているように思える。マイノリティからの解脱。つまりは僕らが望んでいるような理想を、深見真さんは小説に昇華しているんじゃないかと。俺だって盗んだバイクで走りだして夜の校舎窓ガラス壊した上で、学校の教師をベレッタM93Rで蜂の巣に出来たらいいなとか。

 僕も銃使いになりたいとか思いながら妄想していた。

 

 

 ちなみに僕が銃使いになったらベレッタM9A1とPx4を主武装にする。