402号室の鏡像

あるいはその裏側

「戦車道には人生の大切なものが詰まっているんだよ」 『ガールズ&パンツァー 劇場版』感想

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

第63回戦車道全国大会で優勝を飾った大洗女子学園。平穏な日常が戻ってきたと思っていたある日、大洗でエキシビジョンマッチが開催されることになる。いまやすっかり町の人気者になった大洗女子戦車道チームには熱い視線が注がれるが……。

ガールズ&パンツァー 劇場版 : 作品情報 - 映画.com

本編を極上にスケールアップしたボリューム

 『ガールズ&パンツァー 劇場版』を見てきました。

 本編に凄くハマった後に劇場公開が決まってからずっと楽しみにしていて、延期など諸々の不安要素もあったかれど、端的に言って、その全ての不安要素を冒頭数分で吹き飛ばすほどの大傑作だと言う事を確信出来るほどの作品だった。テレビ版では元々日常系美少女アニメのように「萌え」を推したようなキャラクターが、硬派かつ無骨な戦車を操縦し熾烈なバトルを繰り広げると言うギャップが一話の開始冒頭から盛り込まれていて、僕の場合はまずそこでガルパンという作品に首ねっこを掴まれたのだけど、劇場版も同様、劇場の席に座って数分と経たずに、戦車同士が爆走するキャタピラ音と砲撃音、砲弾が耳を掠める風の音に、着弾後の爆発など完全に、この作品の空気に呑まれていた。公開して間もなくから「ガルパン劇場版は実質『マッドマックス 怒りのデス・ロード』*1だった……」とかいう一見わけわからん感想が溢れていたのだけど、本当に最初から最後まで戦車が走って撃って撃破されて後飛んで(!?)の繰り返しだったので、とにかく観ていてダレる場面が一切も無いあたりまさに怒りのデスロードだった。平地戦から山岳部、森林地帯の戦いから市街地戦にシフトして行けば、今度は大洗の聖地の中を縫うように闘う戦車たち。テレビ版よりも多くの協賛を得ているのか、名前入りの有名なホテルや病院、水族館やショッピングモールなど、まさに大洗の全てがバトルフィールドとなるほどのボリュームで、開始数分から手に汗握りっぱなしだった。というかいくら戦車道での損害は助成金が出るとはいえ、派手にブッ壊れ過ぎだろ!と頭の中で突っ込みたくなるくらいの派手な破壊描写や、どう考えても危険な廃墟での戦いなど*2、本当徹底的にロケーションに拘った戦い方で、閉所でのCQBや高所からの偵察など、通常の戦争映画では見られないまさに「戦車道」ならではのイレギュラーな戦車戦が見られて楽しかった。

ベタなくらいにベタな内容。だがそれがいい

 正直に言って、ドラマ性としては本編の焼き直しというか、繰り返しと言っても過言ではない。本編で大洗女子学園廃校の危機を救ったみほ達の努力空しく、公権力の横暴で無かったことになり、また廃校の危機に直面するという物語は完全に本編の繰り返しだし、そこで強豪を打倒さなければならないのもまた本編らしい、というかむしろこのジャイアントキリングこそが『ガルパン』の魅力である。ただ、テレビ版と劇場版で全く違うところがひとつある。今回の大洗女子学園高校というのは、並み居る強敵を打ち倒し、晴れて戦車道全国大会優勝校に輝いたという「実績」があるという所だ。その学校が栄光むなしく廃校になるということは、一体どういう事だろう、ひいてはそれは、戦車道自体の衰退に繋がるとして、かつて彼女らと関わった全てのものたちが、大洗の為に立ちあがるというベッタベタな熱さがある。それがとてもいい。プラウダ、聖グロリアーナ、サンダース、そして黒森峰……かつて大洗と戦い、しのぎを削った強敵が馳せ参じる熱さだけでなく、戦車道のプライドを守るものとして、戦車道連盟並びに西住家までもが大洗女子学園の為にひと肌脱ぐ*3という、まさにオールスター感溢れる内容が、もう闘う前から出来上がっていた訳だ。

西住流VS島田流の戦い

 今回の新キャラである島田愛里寿は、何処か西住みほと類似したキャラクターのように思えた。普段はかわいいものが大好きな年頃の少女*4にも関わらず、戦車道においては砲弾掠める戦場の中でも顔色ひとつ変えない冷静沈着な指揮官*5として振る舞うその姿はまさしく、名門家系を継ぐものとしての振る舞いを心得ているものとしてみほと対峙するキャラクターに相応しい存在だった。*6ただ今回の場合、幾ら名門同士の戦いと言っても、そこにしがらみなど一切存在しない。みほ達大洗女学園側には背負うものがあれど、大学強化指定選手の彼女らには背負うものなど一切無いのだ。あるとすれば強化指定選手としてのプライドだけ。それでも容赦なく大洗を叩き潰そうと迎え撃つその姿勢は、戦車道において一切手加減は無用という、彼女たち自身の戦車道における純粋な姿勢なのかもしれないと個人的には思った。そもそも、戦車道において、勝ち負けは重要な話ではない。武道という側面もある以上、なにより重要なのは勝敗より礼節を尊ぶその精神性だ。勝負にこだわるあのカチューシャでさえも、負けと言う結果を引きずらず、みほ達を勝者と認め今回味方として協力していたし、そういった個人的な感情に拘らず、純粋な勝負が出来る場として戦車道が描かれていた。そう、あの試合は大洗の運命を決める戦いであると同時に、純粋無垢な少女同士の戦車道だったのだ。だからこそお互い、遠慮もいらずに本気になれた。

西住まほシスコン過ぎ問題

 テレビ版で対立という結果になってしまった二人だが、今回劇場版ではものすごく仲良しな姉妹として描かれていたのでびっくりしたのだけど、よくよく考えてみるとテレビ版でも決して仲は悪くなかったよな……と思い直す。そもそも、みほが黒森峰を去った理由が戦車道中の事故によるもので、姉妹同士の確執というよりかは母親との確執の間にまほが挟まれてしまい、本心では妹を想っているものの、家系の名を継ぐものとして毅然と振る舞わなければならなかったので、本編では対立するライバルとして在ったのかなと思う。だからこそみほが実家に帰った時なんか憑きものが取れたような白ワンピで現れた時は「なんだこの破壊力は……」ってなってしまった。*7元々幼い頃から姉妹は大の仲良しで、お互いふたりで戦車に乗るくらい*8一緒にいたという事で、やっぱり家柄を除けば普通の家庭だったんだなという事が実感出来て安心した。というか黒森峰が味方に参戦した後でも、他校の皆が個性溢れる意見出しまくる中でも「隊長(みほ)の意見を聞こう」「隊長はどう思う」「隊長に従おう」とかなんかやたらと涼しい顔でみほを推しまくる辺り、本編以上にシスコン度が加速してて面白かった。黒森峰を離れて、そこから大洗で敵味方に分かれてしまって、今度こそ一緒にチームメイトとして戦車道が出来るっていうのが何よりうれしかったんだろうなというのがよく分かるし、何よりそこからのコンビネーションプレイが熱い。最初はお互い別部隊の司令塔として戦うが、後半敵味方が少なくなると合流、最後にはツーマンセル戦法として俊敏に動きまわる愛里寿の戦車に追随し、最後にはコンビネーション・アタックで勝機を手にした所なんか特に熱かったし、言葉を交わさなくとも分かる絆があったからこそ出来た連携だったんじゃないかなと思うと更に滾る決戦だった。

「戦車道には人生の大切なものが詰まっているんだよ」

 やたらと名言っぽい言葉を吐きまくるので知らない所でスピンオフの主役でも張っているかと思いきやただの新キャラだった継続高校の皆さんに突撃吶喊大好き知波単高校の皆さん。新キャラ*9に加え既存のキャラクターも相変わらずながら、些細な成長が見られたのが良かった。運転技術の向上に装填技術、状況分析能力に射撃技術、大洗だけとっても、まさしくみほの指揮だけでは無い、彼女が指揮するに値するぐらいプロフェッショナルな粋に突入しているのが見られて良かったし、そんな彼女達に感化させられて突撃脳だった知波単高校が戦術的な動きを覚えて初撃破まで持って行けたのには嬉しさを感じた。こういう戦いの中で少女たちが少しずつ成長していくのもガルパンだと思うし、劇場版と言う二時間程度の時間でそれが表現されていたのは素晴らしかった。やはり戦車道には人生の大切なものが詰まっている。

続編があるとしたら

 どうやら水島監督は続編に意欲的な感じらしく、万策尽きない程度にまだまだガルパンは続いて欲しい限り。今回、文部科学省の役人が二年後に開催される戦車道世界大会の話を示唆していたので、後はオリンピックの話とかも絡めてやっていけば、例えばみほやまほが日本代表に選出される世界大会とかも観られるかもしれないと、凄くワクワクする。他にもみほが黒森峰に居た時代の話とか、他の高校の話のスピンオフとか、まだまだ個人的にはコミカライズなどは追い切れてないけれど、ガルパンという作品が続くのならば、末永く彼女達の物語を追っていきたいと、そう素直に思える劇場版だった。ガルパンに関わった全てのスタッフ、そして大洗の皆様がた全てに感謝したい。そんな素晴らしい作品をありがとうございました。

パンツァー・フォー!

*1:特に戦車がジャンプして自走砲を破壊する辺り完全にウォーボーイズで、心の中のニュークスが「よく死んだ!」と叫んでいた気がする

*2:今回ばかりは爆発とか崩落とか倒壊とか戦車内の安全だけじゃどうしようもなさそうな事故が起きそうな予感がするけれど、この辺り戦車道的な安全管理はどうしているのだろうか。ツッこんではいけないお約束なのだろうか

*3:結局、西住母はまだみほの事を認めてはいないのだろうけど、大洗女子学園が西住流の指揮で勝利したという結果だけは認めているんじゃないかと思った。その結果が汚されてしまうということは、西住家の名前に傷が付くと言う事。断じてそれは許されない。

*4:最後の一騎打ちの時にクマ型ロボットが通り過ぎた所で、ふたりとも気を取られてしまったという部分が、二人とも戦車を度外視すれば年相応の少女だという事を表現していると同時に、島田愛里寿と西住みほが本質的に似た存在であることを示唆しているように思えた。

*5:愛里寿も凄いけど、いきなり今までのライバルを仲間として率いて尚且つ勝利にまで導いて涼しい顔しているみぽりんは、やはり何処か常人とは違う部分がある。衛宮切嗣的な、感情と理性を切り離して考えられる存在なのだろうか

*6:もっとも彼女の場合、母とは良好な関係のようだが

*7:普段黒森峰の真っ黒な制服着てるっていうのもあったけど、あの夏の日感やばいですよ

*8:どうやら田舎での移動はトラックではなく戦車が常識らしい。

*9:個人的にはローズヒップさんがお気にいりです。なんというか、おしとやかなのに性格悪いのが素敵。あとアイマス声優だし

僕はこの瞬間を、14年待った。『ジュラシック・ワールド』感想

Jurassic WorldJurassic World
Original Soundtrack

Backlot Music
売り上げランキング : 2827

Amazonで詳しく見る by AZlink
ジュラシック・パーク [Blu-ray]ジュラシック・パーク [Blu-ray]
リチャード・アッテンボロー,サム・ニール,ローラ・ダーン,スティーブン・スピルバーグ

ジェネオン・ユニバーサル
売り上げランキング : 290

Amazonで詳しく見る by AZlink

世界的な恐竜のテーマパーク、ジュラシック・ワールド。恐竜の飼育員オーウェンクリス・プラット)が警告したにもかかわらず、パークの責任者であるクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は遺伝子操作によって新種の恐竜インドミナス・レックスを誕生させる。知能も高い上に共食いもする凶暴なインドミナス。そんな凶暴なインドミナスが脱走してしまい……。

解説・あらすじ - ジュラシック・ワールド - 作品 - Yahoo!映画

僕にとっての『ジュラシック・パーク

 まず最初に、前置きとして少しばかり自分の事を語らせてほしい。さっさと感想記事が読みたい人は次の見出しに行ってくれても全く構わない。暇な人は、少しばかり僕の過剰な自意識の主張を聞いてくれると在り難い。僕が産まれて初めて観た映画は『ジュラシック・パーク』だと記憶している。(もしかしたら『E・T』だったかもしれないがそれはさておき)1991年産まれの僕は当時幼稚園入園前、年相応に戦隊モノにハマっていて、その中でもお気に入りだったのが『恐竜戦隊ジュウレンジャー』だった。ゴジラティラノサウルスの区別もつかないような子供だったけど、とりあえずその時点で恐竜と言うものに興味を持った僕の為に、母親がビデオ屋から借りてきてくれた映画が『ジュラシック・パーク』だった。最初に『ジュラシック・パーク』を見た時、幼少期の僕はただ、ただ圧倒されていたのを鮮明に覚えている。最初にスクリーンにブラキオサウルスが出てきた時、僕の視点とグラント博士のそれは完全にリンクしていて、その瞬間から、僕は怪獣ではなく『恐竜』というものに魅せられてしまって、ダビングしたビデオのテープが擦り切れるまで、何度も何度も繰り返し観たのを覚えている。続編の『ロスト・ワールド』も然りで、島を飛び出して大都会で暴れ回るT-REXにワクワクさせられっぱなしだった。当時の僕を知る人に聞けば、僕はあの頃「恐竜博士」で、図鑑に載っている恐竜なら何でも暗唱出来る位の恐竜オタクで、将来の夢は勿論古生物学者だった。
 
 そんな僕が小学三年生になった時『ジュラシック・パークⅢ』が公開された。一作目と二作目を劇場で観る事が出来なかった僕は、初めて見るジュラシックパーク体験としてワクワクしながら劇場に足を運んだのを覚えている。

 だけど、残念ながら。子供ながらに僕が『ジュラシックパークⅢ』に覚えた感想は、明らかな「失望」だったのだ。実際の恐竜の生態を知ってしまっているが故に、スピノサウルスに蹂躙されるティラノサウルスが受け入れられなかったし、人間を持ち上げるプテラノドンにも疑問が湧いてしかたなかった。*1更に一作目や二作目にあった科学技術の発展に対する問題提起や、恐竜自体に対するワクワク感が失われてしまっているように思ってしまい、当時の自分としても、『Ⅲ』はあまり楽しめた映画では無かった。今から考えるとモンスター・パニック映画としては傑作の部類に入ると思うし、家族で観て楽しめる作りではあったので単に駄作とも言い切れない良作だと思うが、それでもシリーズの三作目として受け入れるには、出来が良くないと感じてしまったのだ。

 だから僕はそれからと言うものジュラシック・パークの「四作目」を願った。しかし、その後ずっと様々なごたごたがあったらしく、四作目の製作は難航している事を知った。三作目のジョー・ジョンストンが監督だとか、サイボーグ恐竜が出てきて戦争するだとか(今思えばこの要素は後に活かされたのだと知るのだけど)、色々な噂が浮かんでは消えていった。

 その長い時間の中で、ある一つの事件が起きる。『ジュラシック・パーク』原作者、マイクル・クライトン氏の早すぎる逝去だ。四作目の製作が難航している中で、偉大なる原作者が亡くなった。それが原因で「ジュラシックパークの四作目は、クライトン氏を悼んで創らない」と言い、計画は長期にわたって頓挫してしまった。だが、数年後、スピルバーグは再びジュラシックパークを製作すると公言し、そこからは実にとんとん拍子。題名が決まり、監督や俳優が決定し、ついには予告編まで。以前の難航ぶりが嘘の如く、まさに夢物語のように製作が進行し、こうして公開まで漕ぎ付けていった。その途中で、シリーズ重要人物であるジョン・ハモンドを演じていたリチャード・アッテンボロー氏も亡くなってしまい、サトラーを演じていたローラ・ダーンやイアン・マルカム役のジェフ・ゴールドブラムの再登板も無くなってしまったが、『ジュラシック・パーク』の四作目は新たに『ジュラシック・ワールド』としてリブートを果たしたのである。『Ⅲ』の公開から実に14年。小学三年生だった僕が大人になるには十分過ぎる時間だった。

ジュラシック・パーク』から『ジュラシック・ワールド』へ

 さて、読み飛ばしてくれた人もいただろうか。ともかく14年の時を経て公開した『ジュラシック・ワールド』。公開前から「これはリブート作品の位置づけ」と言うのが分かっていたのだが、観た感想としては、まさかここまで一作目を意識した作りだとは思わなくて、最初から最後まで涙が止まらなかった。最初、兄弟がイスラ・ヌブラルにフェリーで訪れ、島の全景が現れた所、そしてクレアとマスラニがヘリで島を周回する(ここはおそらく一作目のオマージュ)、ところでジョン・ウィリアムズのBGMが流れてきた瞬間、14年分の全てが報われた気持ちが奔流となって涙腺を直撃した。他にも、オマージュ点を数え上げればきりが無い位に過去作を意識した演出の連続で、しかもそれが決して「焼き直し」とはならずに「リブート」として成り立っているのが凄い。例えば、一作目の世界観において、あの時恐竜の復活に成功した時世間は沸きに沸いたが、今ではあの世界の子供にとって、恐竜を観に行くとは動物園のゾウを観に行くのと大差ない位の価値に成り下がってしまったという台詞がある。それは、まさしく現実でも作中でも同じ意味が言えることだと僕は思う。

 ジュラシックパーク以前、以後と考えると、恐竜映画の数は明らかに増大した。ストップモーションやきぐるみを多様した映画作りから、CGとアニマトロニクスの連携によりリアルな恐竜をこの世に呼び戻したスピルバーグを模倣し、多くの恐竜映画が濫立した。僕もジュラシックパークで覚えた恐竜の感動をもう一度味わいたいと、様々な恐竜映画を視てきた。だが、正直に言うと、そのどれもが陳腐なものに思えてしまったのだ。恐竜が適当な理由でこの世に蘇り、人間を食べ、そして人間に殺されてめでたしめでたし……という作品ばかりで、それらは多分、恐竜映画ではなく「怪獣映画」でしか無かった。中には見どころのある作品もあったが*2結局ジュラシック・パークに及ぶ作品は無かった。

 そういった比喩表現として、ジュラシック・ワールドの経営が巧くいっていない事が示される。開園後来場者数は落ち込み、経営陣はその打開策として様々な手を打っていた。その最たるものとして生み出されたのが「インドミナス・レックス」という人造恐竜だ。ティラノサウルス・レックスの遺伝子をベースにし、ルゴプス、カルノタウルス、マジュンガサウルス、ギガノトサウルスなどとにかく「凶暴」「デカイ」「歯が多い」など、見た目や凶暴性を重視した恐竜を、人の手で創りだしてしまった。おそらくこれは、昨今の映画業界において、ジュラシックパーク以降氾濫した恐竜映画の比喩表現で、恐竜がただ街を破壊したり凶悪な怪獣として扱われていた事を取りあげ、観客もそれを求めていたということを、映画の中で表現した存在なのかなと、個人的には思う。僕としては公開前「人造恐竜が映画に出る」という話を聞いた時、ひとりの恐竜ファンとして「実際に居た恐竜が観たいのであって、怪獣を観たいわけじゃないのに……」と愚痴を零すことがあったが、劇中でそれを理解した瞬間、物語におけるインドミナス・レックスの存在に凄く意味があるものだと気付いた。そう、インドミナス・レックスは純然たる「怪獣」として創られた恐竜だからだ。観客=視聴者に求められてきた、怪獣としての、恐竜。それがジュラシック・パークシリーズに登場する意味とは、一体何なのだろうか。

 ジュラシック・パークで受け継がれてきた概念として「人間は決して自然を支配することはできない」というメッセージ性が込められているが、インドミナス・レックスはそれを体現するような存在だ。過剰に属性を加えられたインドミナス・レックスは、ただ凶暴な存在ではなく知性を兼ね揃えた存在だとして、物語が始まってすぐに檻から脱走し、ワールドを恐怖の渦に叩きこむ。後に、あらゆる恐竜だけでなく、自然界に現存する動物の遺伝子も組み込まれていて、後に生体兵器として軍事転用される目論見として語られていた。もっと歯が多く、凶暴な存在に、擬態能力や体温調整能力、そしてヴェロキラプトルから受け継いだ高知性を兼ね揃えた存在――それはまさしく恐竜を超越した「怪獣」と言っても過言ではないだろう。従って、インドミナス・レックスは人間のコントロールから外れていく。かつてのパークの悲劇を繰り返すかのように。パークから、ワールドに移行するにつれ、かつての悲劇の二の舞にならないようにあらゆるセキュリティを駆使し改善したはずなのに、また同じような失敗をしてしまった理由、それは一体何なのだろうか。かのカオス理論哲学者イアン・マルカムがその場を見ていたら高らかに笑うかもしれない。なぜならかつてと同じように、自然を商品や見世物としか思っていない経営陣――「自然をおもちゃにし、いじくりまわしている」のは、十四年経っても同じだからだ。

数多くのオマージュ点

 さて、リブート的存在であり、一作目を意識して、パークからワールドへ移行していった事を事細かに描写してくれたこの映画に嬉しさが堪らないが、この映画の楽しい所と言えば、シリーズのオマージュ点を探す所だ。そもそも、主人公のオーウェンは一作目に登場した人気キャラクターであるマルドゥーンを意識している事間違いなしだし、ヒロインのクレア*3、そして彼らと行動を共にする二人の子供であるザックとグレイにしろ、一作目の主要メンバーと重ね合わせている事間違いなしである。ちなみに、子供達のザックとグレイの両親はお互いに不仲であることが序盤から匂わされ、離婚調停中だと言う事が示されている。これは原作版ジュラシック・パークのティムとレックスの家族関係と全く同じであり、恐竜オタクの弟とあまり興味の無い兄(姉)という構図としても全く同じだ。その彼らがフェリーで島を訪れ、イスラ・ヌブラルの全景が出る所、そしてクレアやマスラニ社長が島をヘリで移動する所でジョン・ウィリアムズのメインテーマが流れ出す所は前述した感動具合だ。前作におけるビジター・センター的な場所では、恐竜発掘体験が出来るようになっているのだが、これは一作目においてグラント博士がラプトルを発掘していた冒頭と全く同じだし、ホログラムにおいて恐竜復活の仕組みを分かり易く説明していたキャラクターも、一作目で出てきたミスター・DNAが出てきている。ホログラムではあるが、一作目で印象的だったディロフォサウルスの再登場もまたファンには嬉しい。

 他にも、パークの運営状況に不満を抱いているが、上司に聞きいれてもらえないパークの職員が出てくる。一作目のデニス・ネドリーのオマージュであり、同じくデブである。(もっともこちらは悪人ではない)彼は恐竜が大好きであり、ジュラシック・パークに憧れてワールドの職員に就職した背景が語られているが、インドミナス・レックスの存在や経営方針に対して疑問を抱いており、彼の語り口イコール物語に対する問題提起となっている。恐竜を愛する視聴者の疑問を体現してくれた存在と言えよう。

 ジャイロボールに乗りながら恐竜の群れの中を進んでいく様子も、一作目でガリミムスの中を逃げ惑うグラント博士達の姿を思わせる。一作目においてはレールに沿った車で観光するというので昼間にはあまり恐竜と出くわせなかったという欠点があったが、これを改善し出来るだけ自由自在に恐竜の群れの中を走っていけるという方法にしたのは凄くテーマパークらしくてワクワクした。ティラノサウルスの飼育方法も電気策ではなくガラス張りのケージの中から観賞する方法をとっていて、テーマパークとしては、より来客が恐竜と出会えるようにしているという点で改善されているのが分かる。一作目も「ここに行ってみたい!」と思っていたが、プレオープンで終わってしまっただけに、本オープンした恐竜テーマパークの姿をきちんと観れた事に、素直に感動した。子供恐竜と触れあう所なんか、観ててほのぼのしたし。

 そのジャイロボールが既定路線から外れてインドミナス・レックスに襲われるというのもまた一作目のパターンを踏襲しているし、そこから逃げ出してジャングルの中を逃げ惑う子供達というのもまた同じだ。しかし、僕が感動したのはここからだ。グレイとザックが逃げ惑う内に、ジャングルの中に見つけた、ひとつの朽ち果てた扉。長い年月を感じさせられるその扉を開けると、そこには、かつてのジュラシック・パークを象徴した、ビジターセンターの成れの果てがあった。かつてT-REXが暴れたことを示すように恐竜骨格は崩れ落ち、土に塗れた帯が落ちており、その帯を松明代わりに子供たちは進んでいく。更に奥にはパーク職員が利用していた赤いジープがあり、おまけにティムが使っていた暗視ゴーグルまで!怒涛の一作目アピールに感動して映画館で声すら上げそうになってしまった。そこで二人はジープを修理して、脱出に向かう。*4
 
 まぁ、いい加減オマージュ点が多い事を示して行くのはきりが無いので、印象的だったものを挙げたこの辺りにしておこう。ここからが本題の本題だ。

暴君、降臨

 中盤から終盤に至るにつれて、インドミナス・レックスの破壊行動はエスカレートしていく。翼竜ドームを破壊し、ディモルフォドンやプテラノドンが解き放たれた挙句に来場者達が襲われていく様はまさに戦慄のひとこと。更には対策として用いられた、訓練されていたはずのヴェロキラプトルでさえも、オーウェンの手から離れてインジェン社の特殊部隊を襲い始める。*5インドミナス・レックスには実はラプトルの遺伝子が盛り込まれていて、彼らとコミュニケーションを取る事で従える事に成功してしまったのだ。狩る側から狩られる側へと変わってしまったオーウェン達は、ラプトルとインドミナス・レックスの二大捕食者からも逃げ惑う事になるが、そこでオーウェンはもう一度賭けに出る。自らが育て上げ、友情をはぐくんできたラプトルと、もう一度対話することに挑戦したのだ。*6奇跡か必然か、オーウェンが一番特別視していたラプトルである「ブルー」は彼との絆を思い出したのか、インドミナス・レックスに反旗を翻す。だが、恐ろしい狩人であるラプトルでさえも、インドミナス・レックスには適わなかったそこでグレイが呟いた一言。「"We need more teeth"(もっと歯が多いヤツが要る)」*7そう、このジュラシック・ワールドには存在している。ヴェロキラプトルよりも、インドミナス・レックスよりも凶暴で強大な、かつて地球最大の捕食動物として6500万年前に君臨していた、暴虐君主の竜が。

 この瞬間、何かに気付いたようにクレアが発煙筒をひっつかんだ瞬間、僕は全てを察した。*8門が開いた瞬間、暗闇から現れる巨大な影――ティラノサウルス・レックスが、ジュラシック・ワールドに降臨した。*9もう、ほんとベタな位に熱い所で登場してくれて、この瞬間から僕の涙は止まらなかった。十四年前、魚食なはずの恐竜にティラノサウルスが理不尽な敗北をしてから*10というもの、僕はずっと、この展開を待ち望んでいた。此処が映画館という場所でなければ、歓喜の雄叫びを僕は上げていただろう。この瞬間の僕は、在りし日の如く、確かに恐竜少年に還っていたのだから。

 そう、インドミナス・レックスVSティラノサウルス・レックス。この戦いは「人類が創りだした最強」VS「自然が創りだした最強」と言う構図とも考えられる。映画的な観点から言うと「怪獣映画」と化してしまった恐竜映画の復権とも考えられる。インドミナス・レックスがモンスターパニックと化してしまった怪獣映画のメタファーだとしたら、ティラノサウルスはまさしく、ジュラシック・パークが生み出した恐竜映画の復権を体現する存在だ。そう、この瞬間僕は気付いた。『ジュラシック・ワールド』は、怪獣映画の皮を被った、まさしく恐竜映画だったのだ。人間が道楽の為に自らのエゴを投じて創り上げた、さながらフランケン・シュタインの如きモンスターであるインドミナス・レックス。例えばモンスターパニック映画であったら、この怪獣の登場は至極当然だろう。だが『ジュラシック・パーク』もとい『ジュラシック・ワールド』は「恐竜映画」だ。そう、この島に存在していいのは、恐竜に他ならない。恐竜VS怪獣。だからこそ、インドミナス・レックスとティラノサウルス・レックス*11が対決するのは道理だったのだろう。

 激戦の末、ティラノサウルスが敗北しそうになるが、ラプトルの加勢により一転攻勢。王者の風格を見せつけインドミナス・レックスをその強靭な顎と歯で薙ぎ倒す。結果的に、決着自体はプールから現れたモササウルス*12に奪われてしまったのだが、ティラノサウルスは十二分に、陸上最強の捕食者としての意地を見せた。物語の全てが終わった後、ティラノサウルスの咆哮で全てが終わったのは、まさしくこの恐竜自体が、物語を体現する存在だったという事を示していたのだろう。

最終的に、物語の結末として

 最終的にオーウェンとクレア、子供達は混乱の末に生き残るも、ワールドに恐竜は解き放たれ、多くの犠牲者が出てしまった。おそらくここから経営復活は難しいだろう。かつてのインジェン社と同じく、マスラニ社は衰退の一途を辿るのだろうと予想される。社長が亡くなってしまったのだから尚更だ。しかし、ここで気になるのがインジェン社の影だ。ヘンリー・ウーはまたしても生存しているし、そもそも、あの事件を通してインジェン社はまたしても何かを企んでいるようにしか思えない。あえなくインドミナス・レックスにはやられてしまったのだが、対恐竜用と思われる重武装の特殊部隊やヘリをも備え緊急時の即応性も考慮していた以上、恐竜の軍事転用の研究を推し進めているのは間違いないだろう。*13既に続編製作は決まっており、監督曰く「遺伝子技術が全世界に広がり、恐竜が誰でも復活可能な状況」の世界を描くと言う事らしい。果たしてその世界がどうなるのか、未だに想像がつかないが、リブート路線をそのまま推し進めるのならば『ロスト・ワールド』のように都市に恐竜が現れ暴れまわるような展開になるとも予想出来る。過去の失敗を踏まえて、マスラニ社やインジェン社は一体どういう方法で復権を狙うのか。

 しかし、僕は思うのだ。14年経って新たにジュラシック・パークの新作を見て息づく恐竜に感動した僕のように、あの世界の人間も、何度だって恐竜に魅せられているのだと思うのだ。例え何度失敗しても、何人犠牲者が出ても、ジュラシック・パーク*14は創られ続ける。それほどまでに、恐竜は人々を惹きつけ続ける存在なのだから。

*1:ぶっちゃけ今作でもそれは変わらないが、映像的見栄えとしてもう許した。

*2:ピーター・ジャクソン版『キング・コング』はかなり出来が良かったと思う。まぁ、あれは厳密に言うと恐竜映画ではなくなってしまうが

*3:「うざったい」という意見が多いが、ウザイ女はジュラシックパーク定番キャラだし、クレアは途中からたくましくなっていくので結構好き。

*4:このシーンはご都合主義みたいに思われているけど、一作目でレックスがパークのコンピュータをリブートしたのと同じ意味合いなのでは?と僕は思う

*5:森林の暗闇の中で武装した兵士たちがラプトルにやられていく様はまさに『ロスト・ワールド』のオマージュに見えた

*6:オーウェンはラプトルの誕生からずっと成長を見守ってきたという裏設定がある。結局ラプトル達はオーウェンでさえも従えきれなかったのだが、最後にオーウェンを仲間として認識したのは、この物語における僅かな希望なのかもしれない。人間は自然を支配は出来ないが、共存することは可能という。

*7:この台詞は字幕版では「もっと歯が必要だ」と訳されており正直、初見では理解できなかった(安定の戸田奈津子訳)。物語の中でインドミナス・レックスの強さを表現する際にヘンリー・ウーが歯の多さ(teeth)と示していたので、おそらくこの物語の中で単純な強さとして、歯の多さが示されているのだと思った。だからラプトルよりも、インドミナス・レックスよりも歯が多い恐竜がこの状況で求められていたのかなと思う。

*8:ジュラシック・パークシリーズファンならこの瞬間に分かるはずだ。発煙筒を振るイアン・マルカム。彼がおびきよせた恐竜と言ったら、アレしかない。

*9:どうやらこの個体はジュラシック・パーク一作目に登場した個体と同じようで、その証拠にラプトルに付けられた傷が残っている。長生きしているのは嬉しいのだが、野性に帰ったりまた捕まったり人造恐竜と戦わせられたりと、そろそろ彼女もうんざりしていそうだ。

*10:スピノサウルスの骨格を盛大に破壊しながら登場したティラノサウルスにはめっちゃ熱くなったけど正直笑ってしまった。

*11:「レックス」というのはラテン語で「王者」と言う意味。まさしく王者同士の対決だったのだ。

*12:モササウルスも海の王者と呼ばれているので、もしや三つ巴の構図だったのかもしれない?

*13:想像するに、パークの失敗からインジェン社はマスラニ社に買収されてしまうも、ワールドのオープン以降虎視眈眈と水面下で復権のチャンスを狙っていたに違いない。だからこそあそこまでの武装を用意し、遺伝子技術の軍事転用を狙っていたのだと。

*14:余談だが、ジュラシックワールドの公式サイトが凄く面白い。まるで現実にテーマパークがあるような雰囲気の紹介HPで、映画はその宣伝映像という位置づけになっている。見てれば観てるほど行きたくなる。 http://www.jurassicworld.jp/

『サイバーネット』観たよ

サイバーネット [DVD]サイバーネット [DVD]
ジョニー・リー・ミラー,アンジェリーナ・ジョリー,フィッシャー・スティーブンス,イアン・ソフトリー

20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント
売り上げランキング : 139400

Amazonで詳しく見る by AZlink

 11歳の天才ハッカー、デイドは、ウォール街のコンピュータをクラッシュさせ、FBIのブラック・リストに挙げられた。18歳になった彼のまわりには、コンピュータを自由自在に操る連中が集まり、高校生活をエンジョイしていた。ある日仲間がハッカー・キングと呼ばれるプラハにはめられ、犯罪の片棒を担がされてしまう。デイドらは、サイバーネットを使って、世界中のネット仲間を集め、反撃に転じる。ネットワーク上での、激しいバトルが始まった。

サイバーネット - Wikipedia

 このあらすじを読んで少しでも自分の中の中学二年生が疼いてしまった諸君、悪い事は言わないのでこの映画を見ましょう。男子なら誰しもがインターネットの魔術師となり、画面の向こうのアホどもを手玉に取る妄想をしたはずだろうけど(そりゃそうだよな?)、この映画はそうした中学生男子の妄想をダイレクトに具現化した内容となっていてそこが凄く楽しい。とにかく楽しい。まず最初から、テレビ局に侵入して自分の観たい番組に取り換えようとした主人公が、待ち構えてきたもう一人のハッカーと一対一で電脳バトルするシーンから大盛り上がりだし、後は学校生活でハメられたお返しに、学校のスプリンクラーをいじって相手をびしょ濡れにさせるとか、天才技術をティーンエイジャーらしい動機で使いまくるのも厨二病的にアガるシーンが多い。ローラーブレードで登校とか、ハッカー仲間とラップトップを開き合ってお互いに作戦を練るとか、ティーンエイジャーのライフスタイルに電脳空間が直結しているのと、そもそも彼らがハッキングという犯罪に手を染める理由が「カッコいいから」「箔が付くから」というのもまったくもって少年少女らしいし、警察がライフル持って踏み込んできてもビビるだけで何にも反省してなさそうな所がまったくこいつらときたら!って感じにさせてくれる。ハッカー仲間がお互いをハンドルネームで呼び合うのもまた、周囲とは違う特別な能力を持つもの同士、自分達を評価し合っている表れともいえるし、そういう思春期的描写と痛快なハッキング行為が巧くかみ合っていて、観ていて凄く気持ちが良い。

 そもそも、かつてウォール街をハックした伝説の存在『ゼロ・クール』としてハッカー仲間の間で崇められている主人公の設定からして、滅茶苦茶カッコ良いんだけど、やっぱり「異名」と「決め台詞」があるだけで随分とカッコ良さがキマってくる。こういう所が非常に少年漫画的というか、直感的に見てて楽しいなと思わせるので、こういう所でサイバー的、SF的難解さをグッと中和出来ているんだと思う。ジャンル分けするなら『スモール・ソルジャーズ』や『グーニーズ』みたいな少年少女が協力して戦ったり冒険したりするような映画で、こういうジャンルが好きなボンクラ厨二諸君には非常にオススメ出来る映画。ちなみに、アンジェリーナ・ジョリーのデビュー作で、彼女のロリおっぱいが拝めるのでそういう意味でもまた。

どうやら日本放映版には緒方恵美三木眞一郎が出ている吹き替え版があるらしいのだけど、DVD版には収録されていない哀しさ。ブルーレイで出てくれたら再録してくれないかしら。

『CABIN』観たよ

キャビン スペシャル・プライス [Blu-ray]

キャビン スペシャル・プライス [Blu-ray]

夏休みに山奥へとバカンスへ出かけた大学生5人。古ぼけた山小屋の地下で見つけた謎の日記を読んだ時、
何者かが目覚め、一人、また一人と殺されていく。しかし、その裏に若者たちが「定番のシナリオ通り」死んでいくよう、
すべてをコントロールしている謎の組織があった。その組織の目的は? 若者たちの運命は―? その先には、
世界を揺るがす秘密が隠されていた…。

Amazon.co.jp | キャビン スペシャル・プライス [Blu-ray] DVD・ブルーレイ - クリステン・コノリー, クリス・ヘムズワース, アンナ・ハッチソン, フラン・クランツ, ジェシー・ウィリアムズ, リチャード・ジェンキンス, ブラッドリー・ウィットフォード, ブライアン・ホワイト, ドリュー・ゴダード

 ツイッターやらブログやらでちらほらと「SCPみたい」「特殊部隊全滅モノ」とか話題に出てて、僕の好きなもの詰まってそうな内容なのでいざ思い立ってレンタル屋から借りてきた。内容としては、あらすじにあるように、ホラー映画にありがちな、山荘に遊びに来た若者がゾンビに襲われる話。だけどこの映画は冒頭から、その若者たちが何か特殊な機関に監視されて、陰謀に巻き込まれていそうな様子が描写される。なんでも機関の陰謀により山荘に導かれて、何らかの儀式の生贄にされるためにモンスターをけしかけられ殺されそうになる上に、機関の職員たちの賭けごとの対象になっていると言う散々っぷり。

 そう、どっかで観たような山荘に、いかにもなビッチと脳筋とガリ勉と処女とオタクが泊まり、どっかで観たようなモンスターに襲われ、どっかで観たような組織に監視されてるという「どっかで見た」で構成されてるのがこの映画である。もはやテンプレートと化してしまったホラー映画の「お約束」を逆手に取り、そう言ったお約束はこういう機関が起こしてるんだよ!という皮肉な理由付けをしているのがこの映画である。例えばホラー映画でセックスし始める男女、大体こういう奴は最初に死ぬのだが、実は機関がフェロモンを空気中に流し込んで淫乱にしているという理由があったのだ。他にも、団結して脅威に立ち向かえばいいのに個別に行動したがる登場人物も、薬品によって判断能力を鈍らされていたり、ホラー映画にありがちな事は全てその機関が糸を引いていたのだ……という設定になっている。この山荘以外にも、日本やロシア、イギリスでも同時刻に機関による儀式が行われており、日本では小学生に貞子的幽霊がけしかけられている……という始末。ここまでは序盤であり『CUBE』『SAW』みたいなソリッド・シチュエーションホラーを模倣したものである。

 メタフィクション的構成が非常に見事で、つまる所、機関の職員=ホラー映画のお約束を楽しむ僕ら視聴者という構成になっている。ありがちな行動に期待し、ありがちな結果に満足する。あらゆるホラー映画により積み重ねられた伝統といっても良い展開の繰り返しを楽しんでいる視聴者ではあるが、ちょっと待ってほしい。でもやっぱり新しい展開、意外性を心の何処かで求めてはいないか……?




 ここからネタバレ。





 機関が生贄を支えていたのは「旧支配者」という存在。定期的に、五人の生贄を儀式形式で捧げなければ世界は滅亡すると言うお話。まぁぶっちゃけクトゥルフな怪物を封印する為に、機関が設立され、そのためにゾンビから狼男、殺人鬼や機械生命体などの怪異が収容されていたと言うお話である。最終的に山荘から逃げのびた男女達は機関に侵入し、怪物たちを解き放って大カタストロフを展開した挙句、生き残って儀式は失敗、旧支配者が蘇り、世界を滅亡させるというオチ。

 結局、メタ的な構造が絡みに絡んだ本当に良く出来た映画で、最後に巨人の手が世界を終わらせるというのも「普遍的な内容ばっかじゃ視聴者は満足しないんだぜ!」という映画ファンたちの声無き声の現れだったのかという事を、製作者達が示している気しかしない。だって考えてみると、世界でいくつも行われていたはずの儀式が、全て同じタイミングで失敗すると言う事など有り得るだろうか?儀式の成功率が高かった日本でさえも、貞子的な幽霊は封印されてしまったじゃないか。つまるところ、僕らはお約束なホラー映画に飽き飽きしていて、そんなものしか作れない製作陣は映画業界ごとブッ壊れちまえよ!という声があの旧支配者だったんだと。
 
 メタ的な視点を抜きで考えると、個人的に気になったのはやっぱり特殊部隊全滅シーン。収容されていた怪物怪異たちが一斉に解き放たれ、鎮圧に向かった特殊部隊は無残に引き裂かれ血みどろの地獄絵図と化す。でも、個人的には流石に化け物相手に軽装備過ぎないかと言う疑問が残っていた。アサルトライフル程度の武装じゃあれほどの数の怪物相手に勝てるワケも無いし、そもそもボタン一発で怪物が全員解放されるという警備体制もガバガバ過ぎる。職員たちも混乱にまったく対処出来ずに惨殺されてたし、対処用のガス発生装置も速効電気系統やられて死んでたし。

 つまり、個人的な解釈としては初めはSCP財団のように崇高な理念を以って設立された機関で、大幅な予算と優秀な人材を以って世界中の怪異を収容し、そして旧支配者封印の為の施設を建造したのではないかと考える。しかし、年月が経つに連れ官僚的な組織の仕事がどんどんルーチン化し、何も危険が起こらない故に緊急対処の為の予算は削減、武装は軽度なものしか装備されなくなり、職員の危険意識も薄れていった。賭けごとをしていたのも楽観的な視点が定着してしまったことによるだろう。そんなことが全世界の組織で起こり、積み重なっていき、最終的な大カタストロフに繋がったのではないかと考えられる。

 そういう表向きのストーリーラインでも凄く面白い映画だし、勿論本来の楽しみ方のメタ的な視点でも楽しめる意欲作だと思った。脚本がジョス・ウィードンという後に『アベンジャーズ』を監督する人なのだけど、出てくる怪物も、まさにホラー版アベンジャーズといった所であらゆるホラー作品に出てきた怪物を意識している豪華っぷり。機関の所長がシガニー・ウィーバーってのも超おもしろいので、全てのホラー映画を愛する人に見て欲しい作品だと思う。

 この予告だけは許さん。貼っといてなんだけどネタバレ満載なので、未見の人は絶対観るなよ!というかDVDパッケも割とネタバレなんだよな……

『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』セカンドシーズン先行上映に行って来たのだけど

あまりに最高だったのでこの思いを箇条書きにしていこうと思う。

スペシャルエディションという事でおそらくテレビではカットされる部分がめっちゃ入ってて美味しかった。
イリヤ、キャスター関連の物語がふんだんに盛り込まれてた。
・ここでキャスターの前マスターの話を盛り込んでくるのか!しれっと新設定追加してくるな!
・前マスター(名前は忘れた)は人間としてはクズだけど魔術師としてはいつも通り僕らにはおなじみな感覚で安心した。魔術の求道の為には人命さえ厭わないタイプ。
・人間の命を魔術の触媒にして科学的な工房を作るという、現代解釈的な魔術描写が個人的にツボ。魔術師はあれくらいキチガイな方がむしろ普通なんですよ。
・メディアさんは子供にやさしい。
・というか子供にやさしいのもあるけど、何よりキャスターにとって簡単な魔術が、あの魔術師が躍起になって人命まで犠牲にしていると言う汚いやり方でやっているのが見ていられなかったのだろう。
・要するにあのやり方は「美しくない」
・魔術師のみなさんは時計塔全員でキャスターにやさしくしてあげれば、もっとはやめに根源の渦に辿り着けると思うんだ。
・案の定ブッ殺される前マスター。だけど前マスターはクズだから、ランサーのマスターにキャスター抹殺命令をおねがいしていた。
・それでキャスターはランサーに襲撃を受けるんだけど、この傷のせいでボロボロになって、葛木先生に出会うわけだ。まさかそんな裏設定がしれっとあるとは
・んで、新OPではランサーがキャスターを追いかける構図になってるんだけど、今のシーンと繋がるわけです。うまいなー。ほんと
・Zeroから見た人に配慮してか、イリヤが如何にして切嗣や士朗に対しての怒りを燃やしていたかというのが追加されてた。
・具体的にはアハト翁に刷り込まれた時の描写とか。おそらくアハト翁の言葉なのだけど、描写として黒化アイリとなっていたのがすげえ巧いというかきつい。
・アインツベルンのホムンクルスが消耗品として描写されて、その果ての悲願にイリヤが居て、そのために苦痛さえも厭わない魔術師の異常性がイリヤの小さな背中に背負わされていたかと思うと。
・てか魔術回路を身体に仕込むのって一回一回全身を切開しないといけないわけ……
・「バーサーカーは強いね」のシーンは完璧
・てかそれに至るまでバーサーカーを巧く操れなかったイリヤ。頑なに魔術を流し込むだけじゃ操れなかった強靭な英霊がデレたのが、彼女を守る為というのがまたね。
・狼に襲われたイリヤの叫び声が露骨にリアルで怖くなったり。
・セラリズがかわいい。特に帽子を外したセラの可愛さはSランク宝具。
・腕が取れるリズに、斬首されるセラ。絶対カットされるだろうけど、正直興奮した。
・ワカメは相変わらずワカメで安心した。
イリヤを守る為に防戦一方に成らざるを得ないバーサーカーの戦いっぷりに感動。自分に喰らっているだけでなく、イリヤに向けられて放たれた宝具を弾いたり掴んだりしているのが細かい。
・天の鎖で拘束されて、ついに力尽きたバーサーカーイリヤにも剣が突きつけられて、ついに終わりかと思った瞬間にバーサーカー復活。
・まさかの展開にギルっちもガチでびっくり。イリヤが力尽きるのが後ゼロコンマ一秒遅ければ、ギルを殺せてたかもしれない。
・ギルの「最後に自分の神話を越えたか」というセリフは、奈須きのこが書いたセリフらしいが、流石原作者、バーサーカーの凄さとギルの器の大きさを同時に描写してる。
・あと、士朗がイリヤが襲われている姿を見て飛び出していく所を、凛が捕まえるところが凄い良かった。叫び出す士朗の口を必死で押さえて止めると言うシーン。
・「頭では分かっているが体が動き出してしまう士朗」「その士朗の性格を分かって懸命に止める凛」凛が士朗の性格を分かっていないと出来ないと思う。
・多分「頼むから飛び出さないでよね……」とか身構えていたから捕まえられたんだろうけど。
・それでも止まらないのが衛宮士朗という男である。あれだけ忠告されても飛び出さざるを得ないのは、それが彼の生きざまだからだろう。

 まぁ、これ以上にも細かい所も沢山あるけど、簡潔に言うなら「原作ファンにも新規ファンにも両方満足してもらえるような」と言う物語が関係者各位から出ていたのが印象的だった。原作ファンでも楽しめるような追加要素に、キャラの真髄を理解しての描写、アニメだけの人にもキャラの深みを堪能してもらう為の掘り下げエピソード。その二つを両立した上で「衛宮士朗」と言う少年を書くとして、この物語を作り上げていくという製作側の気概が感じられて嬉しかった。士朗というキャラは内面が複雑なだけであって、原作をやっていても全てを理解することは難しい。三浦監督は原作者の奈須きのこと何度も何度も繰り返し意見を重ねて士朗という少年のかたちを作り上げていったと言っており、そんな士朗が今後どういう選択を取り、どう自らの正義に向き合っていくのか。これだけキャラクターを人間として愛してくれているスタッフならば、完璧な終着点に導いてくれるのは間違いないだろう。

 それだけ、今後の期待が膨らんでいくことは間違いない。来週の本放送が一層楽しみに成る先行上映会だった。