402号室の鏡像

あるいはその裏側

2015年に読んだオススメ本

今年読んだ中で面白かった小説をベスト5形式で振り返ってみたい。是非皆さんにも読んでみて欲しいので、ネタバレは含まずに書きます。一応、今年出たというより今年に読んだ本なので、古い本もあるけどご容赦を。

2015年に読んだ本ベスト5

1 チャーリー・ヒューマン『鋼鉄の黙示録』

鋼鉄の黙示録 (創元SF文庫)

鋼鉄の黙示録 (創元SF文庫)

 南アフリカを舞台にナード的気質の主人公がオカルト世界にズブズブと嵌り込んでいく内にアメコミ的クリーチャーや政府極秘機関ひいては自分の出生から宇宙的規模の話に広がっていくのがあまりに最高過ぎて脳汁が止まらなかった。クトゥルーとかエヴァを連想させる世界観の広がり方とか、ゾンビ相手にショットガンぶっ放して行くボンクラ感とか、とにかく最高に最高だったので、超伝奇オカルトバトルとかそういうの好きな人は絶対全員読んでくれと言う話。

2 吉上亮『パンツァークラウンフェイセズ

 大規模災害から復興した日本に出来た商業実験都市イーヘヴンで繰り広げられる、サイバーパンク強化外骨格同士のバトルに加え民間軍事企業や傭兵が跋扈していく様子がカッコイイし、翻訳風味の小気味いい文体で心地よいルビ振りをしてくれてるのが快感な小説。SF界隈にて伊藤計劃以後の文脈で語られがちな小説でAmazonレビューは不当に低くなりがちだけどその実この物語の真髄は近未来仮面ライダーである。特撮知識があれば所々にニヤリとさせられる演出や、そもそも「同じコンセプトで開発された兄弟機同士の一騎打ち」のようなベタなシチュエーションバトルが好きな人にとっては絶対お勧め。

3 藤原祐レジンキャストミルク

本当に面白い本というのは最初の一ページで凄さが分かるというけれど、この本がその例に該当すると思う。のっけから正直訳分からん厨二ルビ振りワードの全開で脳味噌を掻き回されていく感覚でおそらく読者がふるいにかけられるのだろうけど、僕の場合あの強烈な世界観に魅せられてしまって、すぐに読み終わってしまった。日常のすぐ裏側に異常が忍びよっているゼロ年代現代伝奇風味の味わいにきちんとギャルゲやラノベの文脈でギャグも挿入されているのが本当に巧くてまさしく、非日常と日常の塩梅が絶妙。だからこそバトルシーンが映えるし、その日常を失いたくない/失った時の絶望感というのがひとしお訴えかけてくるそんな感覚。良い年して厨二病をこじらせてしまった諸君、この小説を読め。

4 らきるち『絶深海のソラリス

 深海×異能力×パニックホラーをラノベで実現させるとは滅茶苦茶凄い作品だと思う。本来深海を舞台にしたモンスターパニックと言ったらハリウッドのB級が定番だろうし、ありふれ過ぎて話題にもならないだろうけど、それをラノベ的美少女と絡ませるのが妙案というか、その発想があったか!という感覚でニヤリとさせられた。序盤でラノベ的展開でフラグを立てまくったヒロイン達が後半深海モンスターに襲撃されて酷い目に遭いながらも、持ち前の異能で撃退していく様も熱いし、それすらも適わない展開になってくるとほんとここからどうなるんだ……と、まさしく先の読めず、一気に読み終えてしまった記憶が強い。個人的にオチが最高なのでぜひ。

5 辻村深月『ハケンアニメ!』

ハケンアニメ!

ハケンアニメ!

 「正直、自分の好きだった辻村深月は終わった」と思っていた時が僕にはあった。ジュブナイル感の強かった作風から恋愛や感動にシフトした作風になってから、あまり好きではなくなった作者で、この作品についても周りが話題にしていなかったりだとか、自分の好きなクリエイターの創作秘話みたいな話じゃなかったりしたら、手に取る事は無かったと思う。(あと当時『SHIROBAKO』というアニメが放映してたこともあった)だけれどこの作品を読んでから辻村深月についての評価は一変した。アニメ製作にかける情熱、世間に理解されないながらもオタクであり続けることのプライドや誇り、ビジネスとしてのアニメ製作、そして地元密着型のタイアップ……など、昨今のアニメ事情を汲んだクリエイター魂に、大人同士の深い人間関係など、漫画的ながらもリアルな人間模様が書いてあって凄く面白かった。自分の中で辻村深月は終わったのではなく、思春期から大人へと、純粋に作風が成長したのだと、素直に認められるようになったきっかけにもなる素晴らしい小説だった。

本当はお勧め映画でも書きたいのだけど、少し時間がないのでこの辺りで……それではみなさん、よいお年を。

2015年を振り返って

 色んな事に挑戦し、色んな事に挫折して、苦しみ抜きながらもなんとかの着地を得た一年だった。

 なりたいものにはなれなかったし、自分にその素質や実力が足りない事が分かってしまったのが辛いのだけど、これから先人生を生きていく中で、本当になりたいものになる為に、今やらなければならない事は何かということを少しずつ見極めながら、来年から社会人やっていきたいと思う。多分、辛いことやきつい事も多い2016年になるとは思うけれど、どうにかして足掻いていきたいな、とか思う。
 
 ただ、つらいことだけじゃなくて、ツイッターとかで仲良くなった人と実際に遊びに行ったり飲んだりして、布教したりされたりで作品の幅とか人間関係の広がりを得た年でもあったので、そういう意味でも色んな人と関わり合って行きたい。その為にツイッターとかブログとか、SNS的な繋がりもこれまで以上に大事にしていきたい。もっと創作仲間とかも欲しいしね。

 抱負としては
・作家デビュー(前提として、その為に賞やら投稿何やらで一年で三本以上長編を書きあげたい)
同人活動、同人イベントデビュー(アイマスやら何やらで、好きなことで同人イベントに出てみたい。その為の英気を去年は失っていたので、今年から生き返ったつもりでやってみたい)
・更に同人ショップに委託できるようなペースとクオリティを目指したい。
・小説投稿サイトにコンスタントに更新出来るような、連載形式の作品も書いてみたい。

 こんな所ですかね。社会人になって時間は削れど、それで夢を妥協してしまっては元も子も無いので、あくまで二十代のうちに物書きデビューという野望だけは忘れずに生きていきたい。

「遠い昔、遥か彼方の銀河系で……」『スター・ウォーズ フォースの覚醒』感想

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 映画を超えた史上空前のエンターテイメント『スター・ウォーズ』、その新たなる3部作の第一弾。
 ジョージ・ルーカススティーブン・スピルバーグ―ハリウッドが生んだ偉大なる巨星たちの才能を継ぐ、J.J.エイブラムスの「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」がベールを脱ぐ。はるか彼方の銀河系で繰り広げられる、家族の愛と喪失の壮大な物語。その歴史は、新たなるヒロイン、新たなる仲間たちによって、≪新たなる3部作≫として、真新しい1ページを開く。
家族を知らず砂漠の惑星で孤独に生きるヒロイン、レイの運命が、新型ドロイドのBB-8、戦うことに疑問を抱く兵士フィン、そして、フォースの暗黒面の担い手、カイロ・レンらと交わる時、銀河の命運を賭けた戦いの渦中へと導かれる。
 果たして、真のフォースに目覚める者は、誰か…?その行く末を今、世界は固唾を飲んで待っている。
 ──その時あなたは、新たなる伝説の目撃者となる。

スター・ウォーズ|STAR WARS|

新たなる伝説の始まり

 『スターウォーズ フォースの覚醒』を観てきました。ネタバレ込みの感想記事なのでご注意を。

 僕が初めてスターウォーズという作品に触れたのがおそらく幼稚園か小学校入学位の年齢で、確かEP1公開時の盛り上がりを肌で感じていた世代だったと記憶している。テレビの再放送で見てからハマりにハマり、マスタークワイ=ガンのライトセーバーを買ってもらったりもして、まだ小さいながらもあの世界観に惹きつけられていたのは間違いない。ニンテンドー64で出てた『帝国の影』とか『出撃!ローグ中隊』やポッドレーサーのゲームなんかも楽しんでいたし、そこからEP2が公開して、その後EP3が公開した。僕はこの時初めて劇場でスターウォーズを鑑賞する体験が出来たのだけれど、正直その十年後に、まさか最新作をこの目で観られる日が来るとは思っても見なかった。旧三部作に加えプリクエル三部作でアナキン、そしてルークの物語は閉じて、その後あの銀河がどうなるかだなんて、想像すれど現実に作品が作られるだなんて、つい先日まで現実的な話では無かったのだけど、いつの間にやら公開日が来てしまっていた。

あの日と変わらない感動が、そこにはあった。

 そんな事を思いながら、僕は胸の高鳴りを抑えながら劇場の席に座った。予告編*1が終わった瞬間「遠い昔、遥か彼方の銀河系で……」の青い文字が出た次の瞬間『STAR WARS』のタイトルロゴがバーン!と視界一杯に広がり、そしてメインテーマと共に今作のあらすじ*2が出てくるこの流れ。まさしく僕が初めてスター・ウォーズをテレビの再放送で見た頃、そして初めて劇場でEP3を見た時と全く同じ感動が、そこにはあった。内容の如何にせよ、スター・ウォーズという作品はあのタイトルとジョン・ウィリアムズのメインテーマの時点で百点あげられる作品なのだと言うのはひいき目過ぎるだろうか……そんな事を想わされる程に、僕の心は震えていた。

ジェダイ、シス、トルーパー、パイロット、そして歴史に名を残した登場人物達

 考察サイトや感想でも良く言われているが、振り返って見ると『フォースの覚醒』という物語はEP4の流れをなぞっているのは間違いない。砂漠に住む若者が、アストロメク・ドロイドと出会い、運命に翻弄されるままに宇宙への大冒険に出ることになり、そして自らの出生に関わる戦いに巻き込まれていく……というプロットは、EP7においても同じだ。だけれど違うのは、この物語は多くの登場人物の視点、ジェダイだけではない、さまざまな人々の場所から語られているということだと僕は感じた。 EP1〜EP6に至るまでは、登場人物が多けれど、基本的にはルークやアナキンの視点で一貫して物語が語られ、その中でレイアやハン・ソロダース・ベイダーの物語が次々と語られていき、物語が肉付けされていったように思えた。

 しかし今回のEP7では、のっけから多くの登場人物が物語を縦横無尽する。レジスタンスの拠点にてファースト・オーダーの襲撃に抵抗するエースパイロットであるポー、その彼が捕まった際、オーダーのやり方に疑問を抱いたストーム・トルーパーのフィン。フィンとポーの大脱出劇から今度は砂漠で誰かを待ちながら暮らすレイと出会い、そこからまさかのミレニアム・ファルコン号の登場。宇宙への冒険に出たと思ったら、ついに過去の英雄ハン・ソロと出会う。そして黒幕として暗躍するシスの暗黒卿、カイロ・レン……とのように、最初から多くの人物が各々の物語を生きている。主軸となっているのはフィンとレイではあるが、脇役と言いきってしまうには勿体ない過ぎる程の物語が登場人物ひとりひとり*3に与えられており、彼ら単独だけでスピンオフを製作出来る程の濃い味付けだったことが印象的だった。新しい登場人物は勿論のこと、ハン・ソロやレイアをはじめとした旧シリーズの登場人物も変わらない名役として登場しており、新キャラの役目を喰う事なく、それでいて強い存在感を示している絶妙なバランスだったことも、EP7の良い所だ。まぁ、何が言いたいかというと、旧三部作でルークが担っていた、人間としての成長やエースパイロットとしての活躍、ダークサイドへの誘惑やフォースの目覚めという役割を多くの人々に分散させていたんじゃないかと言う事で、まさに全体としての物語を底上げしているように思えた。最初から少しずつ登場人物が増えていき、最後の決戦で敵味方が縦横無尽する、この群像劇テイストこそ、まさにスター・ウォーズ作品の魅力である。
 

『フォースの覚醒(THE FORCE AWAKENS)』と言うタイトルの意味

 『フォースの覚醒(THE FORCE AWAKENS)』というタイトルが示すように、EP7と言う物語は主人公であるフィン、そしてレイ。この二人がかつて失われた力である「フォース」に触れ、冒険を通じてその才能に覚醒していく物語だというのは明らかだ。レイに関しては分かりやすく、今作では明らかに成らなかったものの、彼女がおそらくジェダイの血族であることは明白で*4最初は全くそういった素振りを見せないものの、ミレニアム・ファルコンを初搭乗で難なく乗りこなしオーダーのTIE・ファイターを振りきったり、また捕まった際もカイロ・レンのフォースに拮抗し、更に彼の精神に這入り込むまでの強さを見せた。拷問に耐えた所かトルーパーを精神操作し脱走*5、カイロ・レンとの一対一の戦いでも、最初は凄腕のカイロに圧倒されていたものの、フォースの流れを味方に付けると達人の如きライトセーバー捌きで*6彼を圧倒し、まさしくかつてのルークやアナキンのような強さで暗黒面の戦士を打ち倒すまでに成長した。成長性で言えば暗黒面の戦士をたった数日で倒すまでの実力を得たという意味で、アナキンやルークを超える才能の持ち主として、レイは『覚醒』したのかもしれない。

 フィンに関しては明確にフォースを感じるまでは行かなかったものの、戦闘経験が薄いにも関わらずTIE・ファイターやミレニアム・ファルコンのブラスターで次々と敵機を撃墜したりして、EP4のルークを彷彿とさせる活躍ぶりを見せていた。本来はオーダーのやり方に恐怖や疑問を抱く脱走兵のポジションで、当初はただ単にオーダーから逃げる事を考えていただけだったが、ポーやレイ、ソロやレジスタンスの各々と一緒に行動するうちに、正義の使命感に目覚めていく意味での「覚醒」かもしれないし、レイ程では無いもののライトセーバーを使用したりで、将来的にジェダイへの覚醒する可能性も十二分にある程に、高潔な精神の持ち主だと感じた。彼自身、自分の身もとや名前も分からないほどの幼少時にオーダーに誘拐されトルーパーとしての訓練を受けたと言う事でその出生にも謎があり、もしかしたらスカイウォーカーとは別に、フォースの強い家系の生まれなのかもしれない。そう言った意味でも続編で期待出来るキャラクターでもある。

ダース・ベイダーから、そしてカイロ・レンへ

 予告編から印象的だったシスの暗黒卿、カイロ・レン。マスクを被ったその姿はまさしくかつて銀河で最強を誇った暗黒卿であるダース・ベイダーを彷彿とさせ、十手型ライトセーバーと共に話題沸騰の存在だった。その正体に関して多くの憶測を呼んだが、実際作品内で明かされて見ると、やはりスカイウォーカーの血族であるとして、予想の範疇内ではあったもののかなり衝撃的だった。*7ベン・ソロと言う名前でルークに修行を受けたが暗黒面の誘惑に負けてしまった存在として描かれており、更にかつての存在であるダース・ベイダーに心酔しているという描写も印象的だ。ルークに修行を受けたが実際に影響を受けたのはアナキン・スカイウォーカーであり、更にダークサイドに居ながらも未だライトサイドの影響を受けており、その矛盾や自信の能力の足りなさに苦悩している存在として、絶対的な強さがあったベイダーとは違う、苦悩する人間らしさがあった。ミステリアスな存在であったベイダーとは違い、正体自体も早目に明かされるし*8、またベイダーを知っている僕ら視聴者側からしてみれば、絶対的な悪役ベイダー卿というより、善と悪の間で揺れ動くアナキン・スカイウォーカーを連想するのが近いのではないかと思う。甘いマスクを持ちながらも気性は荒く、自分自身に納得がいかない様子はEP3のアナキンを彷彿とさせ、彼がどのような人生を送ってきたのかを考えさせられてしまう。新たな世代を担うジェダイとして、英雄の血族として、弟子として。成長と才能を過剰に期待されていたそんな自分だったからこそ、アナキンに自己を投影し、ベイダーに憧れるようになっていったのかもしれない。そして暗黒面の誘惑を受けたのかもしれないと思うと、単なる悪役として片付けられないほどのキャラクターになってくる。ハン・ソロとの関係*9に関しても、またルークとベイダーという親子関係を意識しているのは間違いないだろう。とにかく、ダース・モールやドゥークー伯爵、ベイダーやシディアスと言った今までのシスとは全く違う「人間らしい」悪役が生まれたのは間違いない。ベイダーの如きダークサイドを突き進むとしても、アナキンのようなジェダイになるにしても、これからが楽しみな悪役が生まれてくれたのだ。

『新たなる希望』と『帝国の逆襲』を一緒に観たような感覚

 前述したように、導入部分は間違いなくEP4をなぞっているのだけど、とにかく過去作を意識させられる演出は非常に多かった。砂漠の惑星から始まり、帝国の戦艦から脱出、更に水と緑の惑星にレジスタンス基地があったり雪原での空中戦や惑星破壊兵器への潜入破壊と、EP4だけじゃなくEP5まで贅沢に盛り込んだようなゴージャスさがあった。僕は基本的に反乱軍の歩兵戦やX-ウイングを始めとした空中戦大好き人間なので、エンドアやホスの戦いを描いた『帝国の逆襲』がシリーズの中で一番好みだったこともあり、今回はそういった意味でも大満足だった。メカニックに関しても、例えば改良型のX-ウイングはレジスタンス仕様の落ち着いたカラーリングに、更にエース仕様というのが一発で分かる黒とオレンジ色のポー専用機などミリタリー面でもこだわり抜いた描写で、更にそれを駆るレジスタンスのパイロット達も、ポーを始めとして歴戦のエースだというのが分かる。物語としても、序盤でフィンと一緒に脱出したはずのポーが行方不明になり、死んだと思っていたらフィン達の危機にX-ウイング編隊で駆けつけ、撃墜王の名を欲しいままにするほどの活躍を魅せてくれた。勿論それだけでは無く、ミレニアム・ファルコンとTIE・ファイターのチェイスに加えてライトセーバーバトルも充実であり、不慣れだったレイが圧倒されるだけではなく、戦いの中でカイロ・レンに負けないほどに成長していくと言う事で、正直かなり燃える展開だった。それにも関わらず、旧三部作を見た時とは全く違い、現代の映画として新しい感覚で物語を捉えられるというのは凄い事だ。過去の映画の続編という位置づけながらも、全く新しい映画としても成り立っていると思うと、ふと懐かしさと新鮮さが同時に込み上げて来て、本当に不思議な気分に思えてくる。

ハン・ソロの死、そして新たなる物語の始まり

 正直、この物語で一番衝撃を受けたのがハン・ソロの死だった。*10ハリソン・フォードが再びスター・ウォーズに出演するというのが一番の盛り上がりだったし、更にレイアも揃うということで夫婦での共演、物語の途中からはカイロ・レンの父親だったということが判明し、まさにハン・ソロはもう一人の主人公と言っても過言ではないほどの重要人物だった。そんな彼がいとも簡単に殺されてしまったことに、僕は衝撃を受けたと共に、この物語が本当に前に歩み出していくのだということを、ひしひしと感じた。オリジナルキャストでは無く、新たな物語としてこれからレイやフィンが新たな歴史を背負っていくこと。かつて誰かを守る為に亡くなった高潔な戦士オビ=ワンやクワイ=ガン、そしてアナキンのように、ハン・ソロは若者達を救うために戦い、そして自分の責任を果たす為にカイロ・レンもとい、ベン・ソロに正面から向き合った。勿論、監督もシリーズの中でトップクラスに人気だったハン・ソロというキャラクターを殺すのには勇気と決断があっただろう。しかしそれは、ルーカス三部作からの決別を含め、作品やキャスト共々、新たなるスターウォーズ・サーガを生み出す為に、必要だったことなのかもしれない。

そして、エピソード8へ。

 R2D2とBB8が持っていた地図を合わせると、失踪したルーク・スカイウォーカーの居場所が遂に分かった。昏睡するフィンに別れを告げ、大切な友人を失ったチューバッカと共に、ミレニアム・ファルコンを駆りルークの元に向かうレイ。緑と水の惑星に向かうと、そこにはフードを被った壮年の男性が。そう、彼こそかつて銀河を救った英雄、ルーク・スカイウォーカーその人なのだ――と言う一番物語が面白くなりそうな所で、EP7は幕を閉じる。おそらくはかつてのヨーダの役割をルークが担い、マスターとしてレイを修行する流れになるのだと思うのだが、ここから先は全く予想が付かない。レイ自身の血統の秘密や、かつてのカイロ・レンのようにレイが暗黒面に誘われる流れにもなりそうだし、昏睡状態のフィンが目を覚ましたら一体どうなるのか、そして敗北を喫したカイロ・レンが再び敵として立ちはだかるのか、それとも新たなる脅威が現れるのか……と思うと、今から心のワクワクが鳴りやまない。しかし、新三部作の一作目でこの素晴らしさなのだ。今はEP7の余韻を胸に置きながら、僕らはただ、フォースに身をゆだねるだけでいい。

「“May the Force be with you.”(フォースと共にあらんことを)」

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本当にこいつらがカッコ良かったんで欲しいんですよ……誰か買ってください(媚)
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*1:吹き替えで観たのだけど、全く演技に安心できるキャストで芸能人テロとかなくてほっとした。ちなみにルフィも出なかった

*2:正直「ルーク・スカイウォーカーが失踪した」という一言で始まるあらすじの時点で勝ちだと思う。あれほど活躍した英雄が消えたというのに「えっ、何で!?」と不覚にもワクワクさせられてしまった。

*3:個人的にはトルーパー指揮官のキャプテン・ファズマが好き。あのくっ殺姫騎士感は大事にしてあげたい。シリーズ初の女トルーパーで有能なはずなのにポンコツなのもかわいい。やはりポンコツはトルーパーの系譜なのか

*4:カイロ・レンに拮抗し、打ち倒す程のフォースを覚醒させた才能から、スカイウォーカーの血族であることは間違いないだろう。ルークの娘、もしくはカイロ・レンの姉か妹、つまりソロ家の娘なのではないか。旧三部作を意識しているならばソロ家の双子で、カイロ・レンが彼女の家族と明かすシーンがあるかもしれない

*5:どうやらここで精神操作されたトルーパーの中身は007で有名なダニエル・クレイグだったらしい。あまりにポンコツなので全然わからなかった。

*6:このライトセーバーはかつてアナキンが使っていたもので、ルークがオビ・ワンから貰い、デス・スターで落としたものだが、一体どこで回収されていたのだろうか。それも気になる

*7:続編的位置づけの小説版においてはルークの息子ベン・スカイウォーカーやハン・ソロとレイアの間に双子がいたとして、もしかしたらそれを意識しての話だったのかもしれない。だとすれば尚更カイロ・レンとレイの双子説が極まってくるのだが

*8:正直正体を早めに明かしたのは英断だと思う。大体この時代のジェダイと言えばスカイウォーカーの血族だし、それを引っ張ってもファンには見透かされてしまうだろうし

*9:暗黒面に堕ちるのを防ぐ為にルークに修行を任せたと言っていたが、スリルを求めて密輸業に復帰していたハン・ソロを思うにやはり子育てに関してもレイアやルークに任せきりな人間だったのだと思う。父親として不適合そうなのは旧三部作を見ていても思ったが、だからこそ最後に丸腰で、父親としてベンに向き合おうとしたのだろう。もっとも、それが遅すぎたのだが。

*10:とりあえず、高い所から落ちたというのはルークのように生存フラグかもしれないが、ライトセーバー突き刺さってるし、惑星爆発してるし、ねえ

「戦車道には人生の大切なものが詰まっているんだよ」 『ガールズ&パンツァー 劇場版』感想

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

第63回戦車道全国大会で優勝を飾った大洗女子学園。平穏な日常が戻ってきたと思っていたある日、大洗でエキシビジョンマッチが開催されることになる。いまやすっかり町の人気者になった大洗女子戦車道チームには熱い視線が注がれるが……。

ガールズ&パンツァー 劇場版 : 作品情報 - 映画.com

本編を極上にスケールアップしたボリューム

 『ガールズ&パンツァー 劇場版』を見てきました。

 本編に凄くハマった後に劇場公開が決まってからずっと楽しみにしていて、延期など諸々の不安要素もあったかれど、端的に言って、その全ての不安要素を冒頭数分で吹き飛ばすほどの大傑作だと言う事を確信出来るほどの作品だった。テレビ版では元々日常系美少女アニメのように「萌え」を推したようなキャラクターが、硬派かつ無骨な戦車を操縦し熾烈なバトルを繰り広げると言うギャップが一話の開始冒頭から盛り込まれていて、僕の場合はまずそこでガルパンという作品に首ねっこを掴まれたのだけど、劇場版も同様、劇場の席に座って数分と経たずに、戦車同士が爆走するキャタピラ音と砲撃音、砲弾が耳を掠める風の音に、着弾後の爆発など完全に、この作品の空気に呑まれていた。公開して間もなくから「ガルパン劇場版は実質『マッドマックス 怒りのデス・ロード』*1だった……」とかいう一見わけわからん感想が溢れていたのだけど、本当に最初から最後まで戦車が走って撃って撃破されて後飛んで(!?)の繰り返しだったので、とにかく観ていてダレる場面が一切も無いあたりまさに怒りのデスロードだった。平地戦から山岳部、森林地帯の戦いから市街地戦にシフトして行けば、今度は大洗の聖地の中を縫うように闘う戦車たち。テレビ版よりも多くの協賛を得ているのか、名前入りの有名なホテルや病院、水族館やショッピングモールなど、まさに大洗の全てがバトルフィールドとなるほどのボリュームで、開始数分から手に汗握りっぱなしだった。というかいくら戦車道での損害は助成金が出るとはいえ、派手にブッ壊れ過ぎだろ!と頭の中で突っ込みたくなるくらいの派手な破壊描写や、どう考えても危険な廃墟での戦いなど*2、本当徹底的にロケーションに拘った戦い方で、閉所でのCQBや高所からの偵察など、通常の戦争映画では見られないまさに「戦車道」ならではのイレギュラーな戦車戦が見られて楽しかった。

ベタなくらいにベタな内容。だがそれがいい

 正直に言って、ドラマ性としては本編の焼き直しというか、繰り返しと言っても過言ではない。本編で大洗女子学園廃校の危機を救ったみほ達の努力空しく、公権力の横暴で無かったことになり、また廃校の危機に直面するという物語は完全に本編の繰り返しだし、そこで強豪を打倒さなければならないのもまた本編らしい、というかむしろこのジャイアントキリングこそが『ガルパン』の魅力である。ただ、テレビ版と劇場版で全く違うところがひとつある。今回の大洗女子学園高校というのは、並み居る強敵を打ち倒し、晴れて戦車道全国大会優勝校に輝いたという「実績」があるという所だ。その学校が栄光むなしく廃校になるということは、一体どういう事だろう、ひいてはそれは、戦車道自体の衰退に繋がるとして、かつて彼女らと関わった全てのものたちが、大洗の為に立ちあがるというベッタベタな熱さがある。それがとてもいい。プラウダ、聖グロリアーナ、サンダース、そして黒森峰……かつて大洗と戦い、しのぎを削った強敵が馳せ参じる熱さだけでなく、戦車道のプライドを守るものとして、戦車道連盟並びに西住家までもが大洗女子学園の為にひと肌脱ぐ*3という、まさにオールスター感溢れる内容が、もう闘う前から出来上がっていた訳だ。

西住流VS島田流の戦い

 今回の新キャラである島田愛里寿は、何処か西住みほと類似したキャラクターのように思えた。普段はかわいいものが大好きな年頃の少女*4にも関わらず、戦車道においては砲弾掠める戦場の中でも顔色ひとつ変えない冷静沈着な指揮官*5として振る舞うその姿はまさしく、名門家系を継ぐものとしての振る舞いを心得ているものとしてみほと対峙するキャラクターに相応しい存在だった。*6ただ今回の場合、幾ら名門同士の戦いと言っても、そこにしがらみなど一切存在しない。みほ達大洗女学園側には背負うものがあれど、大学強化指定選手の彼女らには背負うものなど一切無いのだ。あるとすれば強化指定選手としてのプライドだけ。それでも容赦なく大洗を叩き潰そうと迎え撃つその姿勢は、戦車道において一切手加減は無用という、彼女たち自身の戦車道における純粋な姿勢なのかもしれないと個人的には思った。そもそも、戦車道において、勝ち負けは重要な話ではない。武道という側面もある以上、なにより重要なのは勝敗より礼節を尊ぶその精神性だ。勝負にこだわるあのカチューシャでさえも、負けと言う結果を引きずらず、みほ達を勝者と認め今回味方として協力していたし、そういった個人的な感情に拘らず、純粋な勝負が出来る場として戦車道が描かれていた。そう、あの試合は大洗の運命を決める戦いであると同時に、純粋無垢な少女同士の戦車道だったのだ。だからこそお互い、遠慮もいらずに本気になれた。

西住まほシスコン過ぎ問題

 テレビ版で対立という結果になってしまった二人だが、今回劇場版ではものすごく仲良しな姉妹として描かれていたのでびっくりしたのだけど、よくよく考えてみるとテレビ版でも決して仲は悪くなかったよな……と思い直す。そもそも、みほが黒森峰を去った理由が戦車道中の事故によるもので、姉妹同士の確執というよりかは母親との確執の間にまほが挟まれてしまい、本心では妹を想っているものの、家系の名を継ぐものとして毅然と振る舞わなければならなかったので、本編では対立するライバルとして在ったのかなと思う。だからこそみほが実家に帰った時なんか憑きものが取れたような白ワンピで現れた時は「なんだこの破壊力は……」ってなってしまった。*7元々幼い頃から姉妹は大の仲良しで、お互いふたりで戦車に乗るくらい*8一緒にいたという事で、やっぱり家柄を除けば普通の家庭だったんだなという事が実感出来て安心した。というか黒森峰が味方に参戦した後でも、他校の皆が個性溢れる意見出しまくる中でも「隊長(みほ)の意見を聞こう」「隊長はどう思う」「隊長に従おう」とかなんかやたらと涼しい顔でみほを推しまくる辺り、本編以上にシスコン度が加速してて面白かった。黒森峰を離れて、そこから大洗で敵味方に分かれてしまって、今度こそ一緒にチームメイトとして戦車道が出来るっていうのが何よりうれしかったんだろうなというのがよく分かるし、何よりそこからのコンビネーションプレイが熱い。最初はお互い別部隊の司令塔として戦うが、後半敵味方が少なくなると合流、最後にはツーマンセル戦法として俊敏に動きまわる愛里寿の戦車に追随し、最後にはコンビネーション・アタックで勝機を手にした所なんか特に熱かったし、言葉を交わさなくとも分かる絆があったからこそ出来た連携だったんじゃないかなと思うと更に滾る決戦だった。

「戦車道には人生の大切なものが詰まっているんだよ」

 やたらと名言っぽい言葉を吐きまくるので知らない所でスピンオフの主役でも張っているかと思いきやただの新キャラだった継続高校の皆さんに突撃吶喊大好き知波単高校の皆さん。新キャラ*9に加え既存のキャラクターも相変わらずながら、些細な成長が見られたのが良かった。運転技術の向上に装填技術、状況分析能力に射撃技術、大洗だけとっても、まさしくみほの指揮だけでは無い、彼女が指揮するに値するぐらいプロフェッショナルな粋に突入しているのが見られて良かったし、そんな彼女達に感化させられて突撃脳だった知波単高校が戦術的な動きを覚えて初撃破まで持って行けたのには嬉しさを感じた。こういう戦いの中で少女たちが少しずつ成長していくのもガルパンだと思うし、劇場版と言う二時間程度の時間でそれが表現されていたのは素晴らしかった。やはり戦車道には人生の大切なものが詰まっている。

続編があるとしたら

 どうやら水島監督は続編に意欲的な感じらしく、万策尽きない程度にまだまだガルパンは続いて欲しい限り。今回、文部科学省の役人が二年後に開催される戦車道世界大会の話を示唆していたので、後はオリンピックの話とかも絡めてやっていけば、例えばみほやまほが日本代表に選出される世界大会とかも観られるかもしれないと、凄くワクワクする。他にもみほが黒森峰に居た時代の話とか、他の高校の話のスピンオフとか、まだまだ個人的にはコミカライズなどは追い切れてないけれど、ガルパンという作品が続くのならば、末永く彼女達の物語を追っていきたいと、そう素直に思える劇場版だった。ガルパンに関わった全てのスタッフ、そして大洗の皆様がた全てに感謝したい。そんな素晴らしい作品をありがとうございました。

パンツァー・フォー!

*1:特に戦車がジャンプして自走砲を破壊する辺り完全にウォーボーイズで、心の中のニュークスが「よく死んだ!」と叫んでいた気がする

*2:今回ばかりは爆発とか崩落とか倒壊とか戦車内の安全だけじゃどうしようもなさそうな事故が起きそうな予感がするけれど、この辺り戦車道的な安全管理はどうしているのだろうか。ツッこんではいけないお約束なのだろうか

*3:結局、西住母はまだみほの事を認めてはいないのだろうけど、大洗女子学園が西住流の指揮で勝利したという結果だけは認めているんじゃないかと思った。その結果が汚されてしまうということは、西住家の名前に傷が付くと言う事。断じてそれは許されない。

*4:最後の一騎打ちの時にクマ型ロボットが通り過ぎた所で、ふたりとも気を取られてしまったという部分が、二人とも戦車を度外視すれば年相応の少女だという事を表現していると同時に、島田愛里寿と西住みほが本質的に似た存在であることを示唆しているように思えた。

*5:愛里寿も凄いけど、いきなり今までのライバルを仲間として率いて尚且つ勝利にまで導いて涼しい顔しているみぽりんは、やはり何処か常人とは違う部分がある。衛宮切嗣的な、感情と理性を切り離して考えられる存在なのだろうか

*6:もっとも彼女の場合、母とは良好な関係のようだが

*7:普段黒森峰の真っ黒な制服着てるっていうのもあったけど、あの夏の日感やばいですよ

*8:どうやら田舎での移動はトラックではなく戦車が常識らしい。

*9:個人的にはローズヒップさんがお気にいりです。なんというか、おしとやかなのに性格悪いのが素敵。あとアイマス声優だし

僕はこの瞬間を、14年待った。『ジュラシック・ワールド』感想

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世界的な恐竜のテーマパーク、ジュラシック・ワールド。恐竜の飼育員オーウェンクリス・プラット)が警告したにもかかわらず、パークの責任者であるクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は遺伝子操作によって新種の恐竜インドミナス・レックスを誕生させる。知能も高い上に共食いもする凶暴なインドミナス。そんな凶暴なインドミナスが脱走してしまい……。

解説・あらすじ - ジュラシック・ワールド - 作品 - Yahoo!映画

僕にとっての『ジュラシック・パーク

 まず最初に、前置きとして少しばかり自分の事を語らせてほしい。さっさと感想記事が読みたい人は次の見出しに行ってくれても全く構わない。暇な人は、少しばかり僕の過剰な自意識の主張を聞いてくれると在り難い。僕が産まれて初めて観た映画は『ジュラシック・パーク』だと記憶している。(もしかしたら『E・T』だったかもしれないがそれはさておき)1991年産まれの僕は当時幼稚園入園前、年相応に戦隊モノにハマっていて、その中でもお気に入りだったのが『恐竜戦隊ジュウレンジャー』だった。ゴジラティラノサウルスの区別もつかないような子供だったけど、とりあえずその時点で恐竜と言うものに興味を持った僕の為に、母親がビデオ屋から借りてきてくれた映画が『ジュラシック・パーク』だった。最初に『ジュラシック・パーク』を見た時、幼少期の僕はただ、ただ圧倒されていたのを鮮明に覚えている。最初にスクリーンにブラキオサウルスが出てきた時、僕の視点とグラント博士のそれは完全にリンクしていて、その瞬間から、僕は怪獣ではなく『恐竜』というものに魅せられてしまって、ダビングしたビデオのテープが擦り切れるまで、何度も何度も繰り返し観たのを覚えている。続編の『ロスト・ワールド』も然りで、島を飛び出して大都会で暴れ回るT-REXにワクワクさせられっぱなしだった。当時の僕を知る人に聞けば、僕はあの頃「恐竜博士」で、図鑑に載っている恐竜なら何でも暗唱出来る位の恐竜オタクで、将来の夢は勿論古生物学者だった。
 
 そんな僕が小学三年生になった時『ジュラシック・パークⅢ』が公開された。一作目と二作目を劇場で観る事が出来なかった僕は、初めて見るジュラシックパーク体験としてワクワクしながら劇場に足を運んだのを覚えている。

 だけど、残念ながら。子供ながらに僕が『ジュラシックパークⅢ』に覚えた感想は、明らかな「失望」だったのだ。実際の恐竜の生態を知ってしまっているが故に、スピノサウルスに蹂躙されるティラノサウルスが受け入れられなかったし、人間を持ち上げるプテラノドンにも疑問が湧いてしかたなかった。*1更に一作目や二作目にあった科学技術の発展に対する問題提起や、恐竜自体に対するワクワク感が失われてしまっているように思ってしまい、当時の自分としても、『Ⅲ』はあまり楽しめた映画では無かった。今から考えるとモンスター・パニック映画としては傑作の部類に入ると思うし、家族で観て楽しめる作りではあったので単に駄作とも言い切れない良作だと思うが、それでもシリーズの三作目として受け入れるには、出来が良くないと感じてしまったのだ。

 だから僕はそれからと言うものジュラシック・パークの「四作目」を願った。しかし、その後ずっと様々なごたごたがあったらしく、四作目の製作は難航している事を知った。三作目のジョー・ジョンストンが監督だとか、サイボーグ恐竜が出てきて戦争するだとか(今思えばこの要素は後に活かされたのだと知るのだけど)、色々な噂が浮かんでは消えていった。

 その長い時間の中で、ある一つの事件が起きる。『ジュラシック・パーク』原作者、マイクル・クライトン氏の早すぎる逝去だ。四作目の製作が難航している中で、偉大なる原作者が亡くなった。それが原因で「ジュラシックパークの四作目は、クライトン氏を悼んで創らない」と言い、計画は長期にわたって頓挫してしまった。だが、数年後、スピルバーグは再びジュラシックパークを製作すると公言し、そこからは実にとんとん拍子。題名が決まり、監督や俳優が決定し、ついには予告編まで。以前の難航ぶりが嘘の如く、まさに夢物語のように製作が進行し、こうして公開まで漕ぎ付けていった。その途中で、シリーズ重要人物であるジョン・ハモンドを演じていたリチャード・アッテンボロー氏も亡くなってしまい、サトラーを演じていたローラ・ダーンやイアン・マルカム役のジェフ・ゴールドブラムの再登板も無くなってしまったが、『ジュラシック・パーク』の四作目は新たに『ジュラシック・ワールド』としてリブートを果たしたのである。『Ⅲ』の公開から実に14年。小学三年生だった僕が大人になるには十分過ぎる時間だった。

ジュラシック・パーク』から『ジュラシック・ワールド』へ

 さて、読み飛ばしてくれた人もいただろうか。ともかく14年の時を経て公開した『ジュラシック・ワールド』。公開前から「これはリブート作品の位置づけ」と言うのが分かっていたのだが、観た感想としては、まさかここまで一作目を意識した作りだとは思わなくて、最初から最後まで涙が止まらなかった。最初、兄弟がイスラ・ヌブラルにフェリーで訪れ、島の全景が現れた所、そしてクレアとマスラニがヘリで島を周回する(ここはおそらく一作目のオマージュ)、ところでジョン・ウィリアムズのBGMが流れてきた瞬間、14年分の全てが報われた気持ちが奔流となって涙腺を直撃した。他にも、オマージュ点を数え上げればきりが無い位に過去作を意識した演出の連続で、しかもそれが決して「焼き直し」とはならずに「リブート」として成り立っているのが凄い。例えば、一作目の世界観において、あの時恐竜の復活に成功した時世間は沸きに沸いたが、今ではあの世界の子供にとって、恐竜を観に行くとは動物園のゾウを観に行くのと大差ない位の価値に成り下がってしまったという台詞がある。それは、まさしく現実でも作中でも同じ意味が言えることだと僕は思う。

 ジュラシックパーク以前、以後と考えると、恐竜映画の数は明らかに増大した。ストップモーションやきぐるみを多様した映画作りから、CGとアニマトロニクスの連携によりリアルな恐竜をこの世に呼び戻したスピルバーグを模倣し、多くの恐竜映画が濫立した。僕もジュラシックパークで覚えた恐竜の感動をもう一度味わいたいと、様々な恐竜映画を視てきた。だが、正直に言うと、そのどれもが陳腐なものに思えてしまったのだ。恐竜が適当な理由でこの世に蘇り、人間を食べ、そして人間に殺されてめでたしめでたし……という作品ばかりで、それらは多分、恐竜映画ではなく「怪獣映画」でしか無かった。中には見どころのある作品もあったが*2結局ジュラシック・パークに及ぶ作品は無かった。

 そういった比喩表現として、ジュラシック・ワールドの経営が巧くいっていない事が示される。開園後来場者数は落ち込み、経営陣はその打開策として様々な手を打っていた。その最たるものとして生み出されたのが「インドミナス・レックス」という人造恐竜だ。ティラノサウルス・レックスの遺伝子をベースにし、ルゴプス、カルノタウルス、マジュンガサウルス、ギガノトサウルスなどとにかく「凶暴」「デカイ」「歯が多い」など、見た目や凶暴性を重視した恐竜を、人の手で創りだしてしまった。おそらくこれは、昨今の映画業界において、ジュラシックパーク以降氾濫した恐竜映画の比喩表現で、恐竜がただ街を破壊したり凶悪な怪獣として扱われていた事を取りあげ、観客もそれを求めていたということを、映画の中で表現した存在なのかなと、個人的には思う。僕としては公開前「人造恐竜が映画に出る」という話を聞いた時、ひとりの恐竜ファンとして「実際に居た恐竜が観たいのであって、怪獣を観たいわけじゃないのに……」と愚痴を零すことがあったが、劇中でそれを理解した瞬間、物語におけるインドミナス・レックスの存在に凄く意味があるものだと気付いた。そう、インドミナス・レックスは純然たる「怪獣」として創られた恐竜だからだ。観客=視聴者に求められてきた、怪獣としての、恐竜。それがジュラシック・パークシリーズに登場する意味とは、一体何なのだろうか。

 ジュラシック・パークで受け継がれてきた概念として「人間は決して自然を支配することはできない」というメッセージ性が込められているが、インドミナス・レックスはそれを体現するような存在だ。過剰に属性を加えられたインドミナス・レックスは、ただ凶暴な存在ではなく知性を兼ね揃えた存在だとして、物語が始まってすぐに檻から脱走し、ワールドを恐怖の渦に叩きこむ。後に、あらゆる恐竜だけでなく、自然界に現存する動物の遺伝子も組み込まれていて、後に生体兵器として軍事転用される目論見として語られていた。もっと歯が多く、凶暴な存在に、擬態能力や体温調整能力、そしてヴェロキラプトルから受け継いだ高知性を兼ね揃えた存在――それはまさしく恐竜を超越した「怪獣」と言っても過言ではないだろう。従って、インドミナス・レックスは人間のコントロールから外れていく。かつてのパークの悲劇を繰り返すかのように。パークから、ワールドに移行するにつれ、かつての悲劇の二の舞にならないようにあらゆるセキュリティを駆使し改善したはずなのに、また同じような失敗をしてしまった理由、それは一体何なのだろうか。かのカオス理論哲学者イアン・マルカムがその場を見ていたら高らかに笑うかもしれない。なぜならかつてと同じように、自然を商品や見世物としか思っていない経営陣――「自然をおもちゃにし、いじくりまわしている」のは、十四年経っても同じだからだ。

数多くのオマージュ点

 さて、リブート的存在であり、一作目を意識して、パークからワールドへ移行していった事を事細かに描写してくれたこの映画に嬉しさが堪らないが、この映画の楽しい所と言えば、シリーズのオマージュ点を探す所だ。そもそも、主人公のオーウェンは一作目に登場した人気キャラクターであるマルドゥーンを意識している事間違いなしだし、ヒロインのクレア*3、そして彼らと行動を共にする二人の子供であるザックとグレイにしろ、一作目の主要メンバーと重ね合わせている事間違いなしである。ちなみに、子供達のザックとグレイの両親はお互いに不仲であることが序盤から匂わされ、離婚調停中だと言う事が示されている。これは原作版ジュラシック・パークのティムとレックスの家族関係と全く同じであり、恐竜オタクの弟とあまり興味の無い兄(姉)という構図としても全く同じだ。その彼らがフェリーで島を訪れ、イスラ・ヌブラルの全景が出る所、そしてクレアやマスラニ社長が島をヘリで移動する所でジョン・ウィリアムズのメインテーマが流れ出す所は前述した感動具合だ。前作におけるビジター・センター的な場所では、恐竜発掘体験が出来るようになっているのだが、これは一作目においてグラント博士がラプトルを発掘していた冒頭と全く同じだし、ホログラムにおいて恐竜復活の仕組みを分かり易く説明していたキャラクターも、一作目で出てきたミスター・DNAが出てきている。ホログラムではあるが、一作目で印象的だったディロフォサウルスの再登場もまたファンには嬉しい。

 他にも、パークの運営状況に不満を抱いているが、上司に聞きいれてもらえないパークの職員が出てくる。一作目のデニス・ネドリーのオマージュであり、同じくデブである。(もっともこちらは悪人ではない)彼は恐竜が大好きであり、ジュラシック・パークに憧れてワールドの職員に就職した背景が語られているが、インドミナス・レックスの存在や経営方針に対して疑問を抱いており、彼の語り口イコール物語に対する問題提起となっている。恐竜を愛する視聴者の疑問を体現してくれた存在と言えよう。

 ジャイロボールに乗りながら恐竜の群れの中を進んでいく様子も、一作目でガリミムスの中を逃げ惑うグラント博士達の姿を思わせる。一作目においてはレールに沿った車で観光するというので昼間にはあまり恐竜と出くわせなかったという欠点があったが、これを改善し出来るだけ自由自在に恐竜の群れの中を走っていけるという方法にしたのは凄くテーマパークらしくてワクワクした。ティラノサウルスの飼育方法も電気策ではなくガラス張りのケージの中から観賞する方法をとっていて、テーマパークとしては、より来客が恐竜と出会えるようにしているという点で改善されているのが分かる。一作目も「ここに行ってみたい!」と思っていたが、プレオープンで終わってしまっただけに、本オープンした恐竜テーマパークの姿をきちんと観れた事に、素直に感動した。子供恐竜と触れあう所なんか、観ててほのぼのしたし。

 そのジャイロボールが既定路線から外れてインドミナス・レックスに襲われるというのもまた一作目のパターンを踏襲しているし、そこから逃げ出してジャングルの中を逃げ惑う子供達というのもまた同じだ。しかし、僕が感動したのはここからだ。グレイとザックが逃げ惑う内に、ジャングルの中に見つけた、ひとつの朽ち果てた扉。長い年月を感じさせられるその扉を開けると、そこには、かつてのジュラシック・パークを象徴した、ビジターセンターの成れの果てがあった。かつてT-REXが暴れたことを示すように恐竜骨格は崩れ落ち、土に塗れた帯が落ちており、その帯を松明代わりに子供たちは進んでいく。更に奥にはパーク職員が利用していた赤いジープがあり、おまけにティムが使っていた暗視ゴーグルまで!怒涛の一作目アピールに感動して映画館で声すら上げそうになってしまった。そこで二人はジープを修理して、脱出に向かう。*4
 
 まぁ、いい加減オマージュ点が多い事を示して行くのはきりが無いので、印象的だったものを挙げたこの辺りにしておこう。ここからが本題の本題だ。

暴君、降臨

 中盤から終盤に至るにつれて、インドミナス・レックスの破壊行動はエスカレートしていく。翼竜ドームを破壊し、ディモルフォドンやプテラノドンが解き放たれた挙句に来場者達が襲われていく様はまさに戦慄のひとこと。更には対策として用いられた、訓練されていたはずのヴェロキラプトルでさえも、オーウェンの手から離れてインジェン社の特殊部隊を襲い始める。*5インドミナス・レックスには実はラプトルの遺伝子が盛り込まれていて、彼らとコミュニケーションを取る事で従える事に成功してしまったのだ。狩る側から狩られる側へと変わってしまったオーウェン達は、ラプトルとインドミナス・レックスの二大捕食者からも逃げ惑う事になるが、そこでオーウェンはもう一度賭けに出る。自らが育て上げ、友情をはぐくんできたラプトルと、もう一度対話することに挑戦したのだ。*6奇跡か必然か、オーウェンが一番特別視していたラプトルである「ブルー」は彼との絆を思い出したのか、インドミナス・レックスに反旗を翻す。だが、恐ろしい狩人であるラプトルでさえも、インドミナス・レックスには適わなかったそこでグレイが呟いた一言。「"We need more teeth"(もっと歯が多いヤツが要る)」*7そう、このジュラシック・ワールドには存在している。ヴェロキラプトルよりも、インドミナス・レックスよりも凶暴で強大な、かつて地球最大の捕食動物として6500万年前に君臨していた、暴虐君主の竜が。

 この瞬間、何かに気付いたようにクレアが発煙筒をひっつかんだ瞬間、僕は全てを察した。*8門が開いた瞬間、暗闇から現れる巨大な影――ティラノサウルス・レックスが、ジュラシック・ワールドに降臨した。*9もう、ほんとベタな位に熱い所で登場してくれて、この瞬間から僕の涙は止まらなかった。十四年前、魚食なはずの恐竜にティラノサウルスが理不尽な敗北をしてから*10というもの、僕はずっと、この展開を待ち望んでいた。此処が映画館という場所でなければ、歓喜の雄叫びを僕は上げていただろう。この瞬間の僕は、在りし日の如く、確かに恐竜少年に還っていたのだから。

 そう、インドミナス・レックスVSティラノサウルス・レックス。この戦いは「人類が創りだした最強」VS「自然が創りだした最強」と言う構図とも考えられる。映画的な観点から言うと「怪獣映画」と化してしまった恐竜映画の復権とも考えられる。インドミナス・レックスがモンスターパニックと化してしまった怪獣映画のメタファーだとしたら、ティラノサウルスはまさしく、ジュラシック・パークが生み出した恐竜映画の復権を体現する存在だ。そう、この瞬間僕は気付いた。『ジュラシック・ワールド』は、怪獣映画の皮を被った、まさしく恐竜映画だったのだ。人間が道楽の為に自らのエゴを投じて創り上げた、さながらフランケン・シュタインの如きモンスターであるインドミナス・レックス。例えばモンスターパニック映画であったら、この怪獣の登場は至極当然だろう。だが『ジュラシック・パーク』もとい『ジュラシック・ワールド』は「恐竜映画」だ。そう、この島に存在していいのは、恐竜に他ならない。恐竜VS怪獣。だからこそ、インドミナス・レックスとティラノサウルス・レックス*11が対決するのは道理だったのだろう。

 激戦の末、ティラノサウルスが敗北しそうになるが、ラプトルの加勢により一転攻勢。王者の風格を見せつけインドミナス・レックスをその強靭な顎と歯で薙ぎ倒す。結果的に、決着自体はプールから現れたモササウルス*12に奪われてしまったのだが、ティラノサウルスは十二分に、陸上最強の捕食者としての意地を見せた。物語の全てが終わった後、ティラノサウルスの咆哮で全てが終わったのは、まさしくこの恐竜自体が、物語を体現する存在だったという事を示していたのだろう。

最終的に、物語の結末として

 最終的にオーウェンとクレア、子供達は混乱の末に生き残るも、ワールドに恐竜は解き放たれ、多くの犠牲者が出てしまった。おそらくここから経営復活は難しいだろう。かつてのインジェン社と同じく、マスラニ社は衰退の一途を辿るのだろうと予想される。社長が亡くなってしまったのだから尚更だ。しかし、ここで気になるのがインジェン社の影だ。ヘンリー・ウーはまたしても生存しているし、そもそも、あの事件を通してインジェン社はまたしても何かを企んでいるようにしか思えない。あえなくインドミナス・レックスにはやられてしまったのだが、対恐竜用と思われる重武装の特殊部隊やヘリをも備え緊急時の即応性も考慮していた以上、恐竜の軍事転用の研究を推し進めているのは間違いないだろう。*13既に続編製作は決まっており、監督曰く「遺伝子技術が全世界に広がり、恐竜が誰でも復活可能な状況」の世界を描くと言う事らしい。果たしてその世界がどうなるのか、未だに想像がつかないが、リブート路線をそのまま推し進めるのならば『ロスト・ワールド』のように都市に恐竜が現れ暴れまわるような展開になるとも予想出来る。過去の失敗を踏まえて、マスラニ社やインジェン社は一体どういう方法で復権を狙うのか。

 しかし、僕は思うのだ。14年経って新たにジュラシック・パークの新作を見て息づく恐竜に感動した僕のように、あの世界の人間も、何度だって恐竜に魅せられているのだと思うのだ。例え何度失敗しても、何人犠牲者が出ても、ジュラシック・パーク*14は創られ続ける。それほどまでに、恐竜は人々を惹きつけ続ける存在なのだから。

*1:ぶっちゃけ今作でもそれは変わらないが、映像的見栄えとしてもう許した。

*2:ピーター・ジャクソン版『キング・コング』はかなり出来が良かったと思う。まぁ、あれは厳密に言うと恐竜映画ではなくなってしまうが

*3:「うざったい」という意見が多いが、ウザイ女はジュラシックパーク定番キャラだし、クレアは途中からたくましくなっていくので結構好き。

*4:このシーンはご都合主義みたいに思われているけど、一作目でレックスがパークのコンピュータをリブートしたのと同じ意味合いなのでは?と僕は思う

*5:森林の暗闇の中で武装した兵士たちがラプトルにやられていく様はまさに『ロスト・ワールド』のオマージュに見えた

*6:オーウェンはラプトルの誕生からずっと成長を見守ってきたという裏設定がある。結局ラプトル達はオーウェンでさえも従えきれなかったのだが、最後にオーウェンを仲間として認識したのは、この物語における僅かな希望なのかもしれない。人間は自然を支配は出来ないが、共存することは可能という。

*7:この台詞は字幕版では「もっと歯が必要だ」と訳されており正直、初見では理解できなかった(安定の戸田奈津子訳)。物語の中でインドミナス・レックスの強さを表現する際にヘンリー・ウーが歯の多さ(teeth)と示していたので、おそらくこの物語の中で単純な強さとして、歯の多さが示されているのだと思った。だからラプトルよりも、インドミナス・レックスよりも歯が多い恐竜がこの状況で求められていたのかなと思う。

*8:ジュラシック・パークシリーズファンならこの瞬間に分かるはずだ。発煙筒を振るイアン・マルカム。彼がおびきよせた恐竜と言ったら、アレしかない。

*9:どうやらこの個体はジュラシック・パーク一作目に登場した個体と同じようで、その証拠にラプトルに付けられた傷が残っている。長生きしているのは嬉しいのだが、野性に帰ったりまた捕まったり人造恐竜と戦わせられたりと、そろそろ彼女もうんざりしていそうだ。

*10:スピノサウルスの骨格を盛大に破壊しながら登場したティラノサウルスにはめっちゃ熱くなったけど正直笑ってしまった。

*11:「レックス」というのはラテン語で「王者」と言う意味。まさしく王者同士の対決だったのだ。

*12:モササウルスも海の王者と呼ばれているので、もしや三つ巴の構図だったのかもしれない?

*13:想像するに、パークの失敗からインジェン社はマスラニ社に買収されてしまうも、ワールドのオープン以降虎視眈眈と水面下で復権のチャンスを狙っていたに違いない。だからこそあそこまでの武装を用意し、遺伝子技術の軍事転用を狙っていたのだと。

*14:余談だが、ジュラシックワールドの公式サイトが凄く面白い。まるで現実にテーマパークがあるような雰囲気の紹介HPで、映画はその宣伝映像という位置づけになっている。見てれば観てるほど行きたくなる。 http://www.jurassicworld.jp/