402号室の鏡像

あるいはその裏側

辻村深月『鍵のない夢を見る』『ツナグ』

ツナグ (新潮文庫)

ツナグ (新潮文庫)

鍵のない夢を見る

鍵のない夢を見る

 

 大学の図書館に二冊とも揃っていたので一気読みしました。『鍵のない夢を見る』は正直読み終えた直後は殆ど響くものが無く、「これが直木賞?」と首を傾げざるを得ないもやもやとした読後感を抱いていたので、その良さに気付かされたのは、『ツナグ』を読んでいる途中でした。

 ぶっちゃけ、何で面白くないかと言うと、俺が男だからだと思います。ええ、何にしろ一言で言うと『鍵のない夢を見る』は。「クズ男に理想を押し付けた女性達が見る将来の偶像」の話だからです。辻村深月はこれを書くのが物ッ凄く巧い。読後に滲み出してくる泥濘とした不快感は、男性視点で女性の理想を理解していたからなんだなーと思う。理想像とした自慰的な小説とは違う、リアリティを追及した上での男女関係が、『鍵のない夢を見る』に書いてあったことに、後で気付いた僕はきっと恋愛脳とは程遠い脳内構造をしているのでしょう。そもそもからして女性、苦手だし。

『鍵のない夢を見る』時に抱いた不快感にはもう一つある。「自分の好きだった辻村深月は終わった」と思ってしまったからというもの。処女作の『冷たい校舎の時は止まる』や『名前探しの放課後』に書かれた、痛みを伴う思春期の記憶に魅せられた僕は、作品を経るごとに減っていく少年少女の物語に、寂しさを感じていた。だからこそ、文章から染み出る現実感に堪えられなかったのかもしれない。

 しかし、『ツナグ』が再確認させた。かつてとは違う形ではあるものの、辻村深月は少年少女の葛藤を書き上げていた。

 死者と生者を繋ぐ「使者(ツナグ)」を中心とした物語は、女性、少女、中年男性を経由し、最後に少年へと回帰する物語になっている。「死」という概念は、センシティブな思春期に多大な影響を与え、あるいは破壊してしまうまでの力を持っている。成長か破滅か、どちらにも取れる選択を少年少女が通り過ぎることで、精神的な成長を書いていた。

 『ツナグ』の実質的な主人公とも言える、歩美という少年は、かつて著者が『名前探しの放課後』で書いた依田いつかと僕の中でどうしても被ってしまう。それは当たり前だが、辻村深月が確かに辻村深月であることの証明だった。

 

 面白かったよ。これからも辻村深月を好きで居続けよう。

 

 次は多分村上春樹を読みます。書評は得意じゃないけど書き続けよう。

 

名前探しの放課後(上) (講談社文庫)

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名前探しの放課後(下) (講談社文庫)

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