402号室の鏡像

あるいはその裏側

「ようこそ『恐竜の世界』へ」『ジュラシック・ワールド/炎の王国』感想、考察

ジュラシック・ワールド/炎の王国 (小学館文庫)

ジュラシック・ワールド/炎の王国 (小学館文庫)

ジュラシック・ワールド インドラプトル FVW27

ジュラシック・ワールド インドラプトル FVW27

ハイブリッド恐竜インドミナス・レックスとT-REXの激しいバトルで崩壊した「ジュラシック・ワールド」があるイスラ・ヌブラル島の火山に、噴火の予兆が見られた。恐竜たちを見殺しにするのか、彼らを救うべきか。テーマパークの運営責任者だったクレア(ブライス・ダラス・ハワード)と恐竜行動学の専門家であるオーウェンクリス・プラット)は、悩みながらも恐竜救出を決意し島へ向かうが、火山が噴火してしまい……。

ジュラシック・ワールド/炎の王国 (2018) - シネマトゥデイ

 公開日に不安と期待が入り混じった気持ちで見に行って、先日4DX上映で二回目を鑑賞してからようやく記事を書くことが出来た。僕がいかにジュラシックパーク厄介勢というのは
lilith2nd.hatenablog.com
 是非一度、こちらの記事を読んでみて欲しいのだけど、結論から言うと今作『炎の王国』は個人的にかなり見所のある作品だと思ったので、シリーズを改めて振り返る意味でも語っていきたい。ネタバレ満載なので、未見の方はスルー推奨。

「二作目」として、そして『ワールド』最新作として

 今作『炎の王国』は、ジュラシックシリーズ五作目として、そして三部構成の二作目としての位置づけで、ナンバリングを意識した作品作りをしている。

 崩壊後のパークで野生化した恐竜、それを保護しようとする人間たちとは反対に、恐竜を捕獲して金儲けに使おうとする悪徳ハンター達、都市に輸送されその先で脱走する恐竜、そしてお馴染みカオス理論学者であrイアン・マルカム博士の再登場など、シリーズ二作目である『ロスト・ワールド』を意識したプロットは勿論、『パーク』の続編でありながら『ワールド』の二作目として意識した演出が、今作には多く見られる。前半は噴火の影響で溶岩に飲み込まれつつあるイスラ・ヌブラル島の終焉を描き、*1後半では島を出てロックウッド卿の屋敷に舞台を移す。こちらでは一層『ワールド』らしさを強調しつつ、今作でメガホンを取ったJ・A・バヨナ監督お得意のスパニッシュ・ホラーらしき演出が多く見られる。前作でパークを崩壊に導いたインドミナス・レックス、そして更に高い知能と社会性を併せ持つヴェロキラプトルの遺伝子を併せ持つ生物兵器インドラプトルが、洋館という閉鎖空間にて人々を恐怖のどん底に陥れる。前半のディザスター映画的雰囲気から後半にいたるまでガラリと変わる作風がこの作品の魅力であり、恐竜が持ちうるロマンとホラーの要素、両方の特性を併せ持つジュラシックシリーズの映画らしい出来に仕上がっている。

インドラプトルという新たなる脅威

 前作におけるインドミナス・レックスに引き続き、人間のエゴと欲望により創造された人工恐竜インドラプトルが引き起こす恐怖は、ジュラシックパークの一作目で印象深かった、ヴェロキラプトルの姿*2を連想させる。ヴェロキラプトル以上にエイリアンやクリーチャーのような無機質な恐怖感を掻き立てられる外見のインドラプトルは、人間の指示に従う生物兵器としてプログラムされている。しかしその知性を用いて檻から逃げ出したインドラプトルは案の定、人間の制御下から解き放たれ、多くの人間を襲う。これは結局、毎度のことではあるが「自然は人間に制御出来ない」ということの現れなのだと個人的には感じた。例えどのように遺伝子を改造し、人間の言うことを聞くようプログラムしようとも、結局根底に存在するのは生物としての本能であり、それを幾ら理論で封じ込めようとしても動物である以上、無駄なのだと。ジュラシックパークの崩壊から、繰り返し語られているにも関わらず案の定人間は愚かな過ちを繰り返し、再度多くの犠牲を出してしまう。パークにおけるラプトルが檻から脱走し、集団で人間を襲ったように、更にその特性が強化されたインドラプトルも同じく、より凶暴化した存在として人を襲う。恐竜の面影を残しながらどこかその振る舞いは人間的であり、知能を持った存在が明確な意思を伴い迫り来る恐怖が、毎度おなじみ恐竜に追われる子役であるメイジー・ロックウッドの視点で描かれている。子供にとっては侵されざる聖域である「ベッドの中」にまで迫り来るインドラプトルの姿は恐竜を超えた「悪魔」のようなおぞましさまで感じるほど、悪い夢を見ているような生理的な嫌悪感を覚える存在であり、新たに生み出された人工恐竜としてのインパクトは抜群だった。

ヴェロキラプトルというもう一つの「主役」

 そして、インドラプトルの脅威に対抗する存在が、遺伝子の提供元であるヴェロキラプトル「ブルー」。前作ジュラシックワールドにおいては、人類に次ぎ地球史上二番目に賢い動物であり、中でも最も社会性や協調性を見せた個体として、ブルーの存在が強調されている。今作品では前作に引き続き、ヴェロキラプトルを調教し、恐竜が高い知能を持ち社会性を有することを証明したオーウェン・グレイディーとブルーの関係性が中心になりストーリーが語られる。ブルーはヴェロキラプトルの中でもとりわけ知能が高い存在として幼少期から注目されており、オーウェンとブルーが築き上げてきた信頼関係を元に証明された研究結果が、インドラプトルの高い知性に反映されている。これはインドミナス・レックスとティラノサウルス・レックスの関係性に似ており、つまり、オーウェンとブルーは間接的にインドラプトルの「産みの親」と言っても過言ではない。意識せずとも彼らの存在がインドラプトルという怪物を創り上げてしまったのは間違いなく、そんな彼らが計らずもインドラプトルと対峙することになったのはまた必然と言えたのかもしれない。シリーズ的に言えばヴェロキラプトルはシリーズを通して、狡猾かつ獰猛な狩人として、人間を恐怖に陥れてきた。しかしここに来て、ブルーはオーウェンの危機を救い、インドラプトル相手に勇敢に戦い、そして勝利した。シリーズの裏側でTレックスと共に魅力を放ち続けてきたヴェロキラプトルが、改めてジュラシックシリーズの花形なのだと証明した瞬間である。オーウェンとブルーの築き上げてきた『絆』それこそが、人間と自然が共存出来るというささやかな『希望』なのかもしれない。

何度と無く繰り返された警鐘、そして代償

 この作品ではベンジャミン・ロックウッドという老人とその孫娘であるメイジーがストーリーに欠かせない要因として語られる。
 ジュラシックパーク創立者ジョン・ハモンドの盟友として語られるベンジャミン・ロックウッドは、かつてロックウッド財団の屋敷の地下で日々遺伝子研究に明け暮れ、ハモンドと共に多くの歳月を経て、恐竜復活を成し遂げた偉人である。しかしロックウッドはその過程で最愛の娘を亡くし、その失意の元、最大禁忌である「人間のクローン」に手を染めてしまう。そのことに対して激怒したハモンドはロックウッドをプロジェクトから追い出し、同じ夢を追った友情は潰えてしまい、ハモンドはその後独力でジュラシックパークの創立を成し遂げた。実は創られたクローンの正体は、ロックウッドの孫娘として語られていた少女メイジーだった。元から恐竜が大好きな子供だったメイジーは、自身はロックウッドの娘、つまり自分が母と思っていた女性のクローンであることを知ってしまう。メイジーもまた、人間のエゴと欲望が元で生み出された生命であり、クローンの恐竜と全く同じ存在と言える。メイジーは無理矢理連れてこられた挙げ句、最後にはガスで死に至ろうとしている恐竜に対して同情や共感に近い念を持つ。人間により生み出された挙げ句、人間の好き勝手に弄ばれる存在は、命の在り方として決して正しくはない。本来自由であり、誰に抑圧されるわけでもない自然に生きるべきである恐竜を、メイジーは最後、自らの手で、外界に解き放ってしまう。

 一見、それは安易な行動に見える。恐竜が世に放たれてしまえば、環境や生態系の変化は計り知れず、あるいは街に出れば人間の被害が出るかもしれない。果たして恐竜が人間の世界で生きていけるのか、適応出来るのかすら分からない中で、メイジーが取った行動は衝動的な思慮の浅さを感じられる。しかし、彼女の行動は果たして誰に止める権利があったのだろうか。メイジーは幼少期からずっと、屋敷の中で育てられてきた。十歳を超える年齢にも関わらず、もしかしたら学校にすら行っていないどころか彼女はクローン人間だ。下手をすれば戸籍すら持っていない可能性だって考えられる。ロックウッドの禁忌に触れた行動により生み出されたメイジーが自由になりたいという願いは、恐竜だって抱いたものかもしれない。鳥かごの中で自由を失い、外の世界を知らない人生。少なくとも彼女の選択が間違いだったとしても、それを「普通の人間」が断罪する権利はどこにも無いのだ。そして、人間は自らのエゴが生み出した代償を、払うべき時が来たのかもしれない。

「ようこそ『ジュラシックワールド』へ」

「人は自然を服従させることは出来ない、しかし理解し、共存することが出来る」という事はジュラシックシリーズで何度も語られたことではあるが、今作ではその「共存」という調和が人間の行動によってついに乱れてしまったことが示唆されている。人は自然の理を乱し、生命を創造するという神の領域にまで足を踏み入れてしまった。その代償により、何度もしっぺ返しを受けてきた。パークは二度も経営破綻し、挙げ句の果てに再び都会に恐竜が解き放たれる始末。今作のラストでは恐竜たちがアメリカの土地に解き放たれ、陸・海・空の全てに恐竜や古代生物が存在するという自体に陥っている。それだけでは無く、オークションで武器商人や悪徳富豪たちに渡った恐竜や、再び生き残ったヘンリー・ウーにより持ち出された遺伝子の存在は、全世界に恐竜ないし遺伝子技術の存在が行き渡ってしまったことを表している。

 つまり、全世界にて恐竜が生まれる存在が示唆され、再び愚かな人間が、恐竜を支配しようとしそのしっぺ返しを受ける可能性が大いに出てきたということだ。序盤、そして終盤に挿入されるイアン・マルカム博士のコメント。幾度となくマルカム博士は「自然をおもちゃにし、いじくりまわしている」と語っている。愚かにも人間は遺伝子技術を手に入れてから過ちを繰り返し続けている。核兵器に比喩されるように、よく分かっていないものをよく分かっていないまま使う内に、破滅への道を進んでいた――実はそれは、既に地球の主導権が人類ではなく、恐竜に移り変わっていく過程なのかもしれない。それを考えるとエンドロール後に流れる映像で、ラスベガス上空を飛び回るプテラノドンの姿*3がとても印象的に見える。もはや恐竜はただの「公園」に収まる存在ではなく、新たなる「世界」を築き上げようとしている。『Fallen kingdom』*4=直訳で『王国の没落』を意味する原題は、溶岩に沈んだイスラ・ヌブラル島を指すと共に、もしかしたら人類が地球上に築き上げてきた王国の没落を示唆しており、地球が6500万年の時を経て再び恐竜のものになろうとしている。それこそが『ジュラシック・パーク』から『ジュラシック・ワールド』=即ち「恐竜の世界」を示唆するタイトルへ進化を遂げた、真なる意味なのかもしれない。

それでも、僕らは恐竜が大好きだから

 ジュラシック・ワールドは三部作を予定していると言うことで、果たして次回作は一体どうなるのだろうかと楽しみな気持ちで今から待ちきれない気持ちでいっぱいなのだが、常に旧作を意識した作風で僕らを懐かしさに浸らせながら、毎度新たな試みで度肝を抜いてきた『ワールド』制作陣は、シリーズの最終幕を締め括るラストに一体どんな『恐竜の世界』を魅せてくれるのだろうか。全世界に広がった遺伝子技術、人間たちと恐竜は一体どんな関係性を地球上に作り上げるのだろうか。共存か、あるいはどちらかの絶滅か。しかし僕個人としては、ある一点に希望を抱きたいと思っている。前作に引き続き、危険な目に巻き込まれたオーウェンと、自身の出自や事件の渦中を幼い身で体験したメイジーオーウェンは言う。「きみは、恐竜が好きかい?」怯えながらも頷くメイジーに「ぼくも大好きだ」と返したオーウェン

 みんな恐竜が大好きだ。大人も子供も、恐竜は僕らの胸にあるロマンを何よりも沸き立たせてくれる、最高の存在だ。だからこそ、ジョン・ハモンドは子供の頃の夢を老いて尚忘れずに、ジュラシックパークを作った。それが例え失敗だったとしても、夢を叶える過程で歪んだ思想が混じっていたとしても、その理念だけは間違ったものではない。

 願わくば新たに生み出される『ジュラシック・ワールド』が、人間と恐竜が共に歩み寄れる世界であるように。かつてジュラシック・パークに魅せられた一人の恐竜少年として、今はただ、完結作を心待ちにしたい。

*1:イスラ・ヌブラルが火山島であるという設定はマイクル・クライトンの原作でもあった要素で、SEGAアーケードゲームでも表現されている。あのアーケードゲームが子供の頃は凄く好きだった

*2:床をコツコツと鉤爪で叩く所や爪でドアを開ける所や、メイジーが狭い扉に入り込んで走ってきたインドラプトルから逃れるシーンなど、一作目のヴェロキラプトルを連想させるシーンが凄く多かった

*3:このカットはコナン・ドイル原作の『失われた世界』のラストをオマージュしたものに間違いない。ジュラシックパークの元ネタであり、更に二作目『ロスト・ワールド』の題名の元でもある『失われた世界』は、南米ギアナ高地に生き残っていた古代の世界を冒険する物語で、そのラストでは証拠に持ち帰った翼竜が脱走し、ロンドン上空を飛び回るという場面がある。このネタを持ってくるというバヨナ監督の手腕に思わずニヤリとさせられた

*4:敢えて本文では書かなかったけどクソ芸能人吹き替えに加え『炎の王国』とか言うクソ邦題を付けた配給担当を小一時間問い詰めたいと思っている。普通に『フォーレン・キングダム』とかオマージュを込めて『ロスト・キングダム』とかでも十分分かり易くなったと思うし『炎の王国』では本文でも語ったダブルミーニングが機能しなくなってしまう。というか炎の王国要素は前半で終了なんですが、それは……?

近況、最近面白かった作品とか、色々。

 ふと、取り留めのない文章を書きたくてここに戻ってきた。
 以前から時間が結構経過して、社会生活を始めたり、一年半くらいで挫けて転職したり、その過程で同人活動を始めたり、かといって転職先でも早速辞めたくなるという社会不適合者っぷりを炸裂させているあたり僕は結局、腐っても僕に過ぎないんだなということを実感する。それでも、映画を見たり小説を読んだりアニメを見たりと、趣味自体は変わらず続けていられる所を見ると、まだ僕という人間は生きていられるというのを少しだけ、実感したりする。社会生活の摩擦の中で自分自身のアイデンティティが擦り切れてしまいそうになる中で、面白い、楽しいと思える何かに出会えた時、僕は僕自身の断片を取り戻せたような、まだ生きて居られているという感じの、よく分からない安心感を覚える。

 そんなわけで、だらだらと、書いていきたい。

DEVILMAN crybaby

DEVILMAN crybaby Original Soundtrack

DEVILMAN crybaby Original Soundtrack

 ここ最近で一番インパクトの強かったアニメと言えばこれだなぁ、と思う。デビルマンと言えば例のOPとかクソ映画で有名かもしれないけれど、それ以前に永井豪のあの漫画の衝撃的な展開が一番有名だと思う。悪魔の力を持ちながら、人間の為に戦うデビルマンの業を背負った戦いは、今現在もいろんな形でサブカルチャーに対して大きな影響を及ぼしている。そんなデビルマンが『四畳半神話大系』などで有名な湯浅政明監督により現代風にリメイクされた作品が『DEVILMAN crybaby』。
 Netflix限定配信という限られた土壌だからか、僕の周りではあまり話題になっていないけれど、正直度肝を抜かれるくらい僕の中に刺さる作品だった。現代に即した内容ながらも漫画版に非常に忠実なアニメ化で、だからこそストーリー自体はオチまで分かり切っている。それでも頭をぶん殴られたくらいに衝撃を受けた。主人公不動明と、その幼馴染の飛鳥了。そしてガールフレンドの牧村美樹。crybaby=泣き虫というタイトルが示すように、元々弱虫な明がデビルマンになることにより、戦う強さを獲得するという側面の裏側で「誰かのため=ヒトのために泣くことが出来る」不動明自身の本当の強さ、涙を流す悪魔という、絶望の中でもヒトを信じることを忘れない純粋な感情というものがすごく端的に表現されていたような気がする。悪魔になった明を信じ、疑心暗鬼の世の中で人の善性を信じ、そして暴徒と化した人間に殺される牧村美樹。人間の善性を尊びながらも、暴力が全てを根こそぎ呑み込んでいき、その破滅でさえも最後には大きなうねりに呑み込まれてしまう。本来グロテスクな表現が多い原作なれど、湯浅監督のコミカルな絵柄で希釈されていて大分見易くなっている。直接的なグロテスクは減ったけれども「えげつない」と思わせる表現と展開の連続で、精神的な恐怖とか、ビジュアルだけの作品じゃないところがCrybabyの凄いところだと思う。Netflixはオリジナル海外ドラマとか、日本のアニメとか、国内外でとにかくすごいことをやっていて、国内利権に縛られたテレビ局とかアニメ業界の悪癖とかに負けない、一つのムーブメントになってほしいと思う。

A.I.C.O. Incarnation』

君は今…人間じゃない――。
人工生体の研究中に起きた大事故“バースト”によって、人工生命体が暴走した近未来の日本。“バースト”で家族を失った15歳の少女・橘アイコの身体に隠された<秘密>とは…?アニメーションスタジオ・ボンズと、『翠星のガルガンティア』などの村田和也監督がタッグを組んで贈るオリジナルバイオSFアクション。

君は今、人間じゃない―『A.I.C.O. Incarnation』15秒予告編 - YouTube

 Netflixオリジナル作品繋がりで。人間の脳でさえも簡単に移植でき、義体技術が発達したおかげで人間の体自体にも本質的な意味はなくなった高度な医療科学世界にて「本物の自分であること」を突き詰めた作品であると思う。橘アイコが両親を助ける為に「バースト」の発生源であるプライマリー・ポイントを目指す過程で自らの秘密に気付いてしまい、中学生の幼き身で世界さえも左右する決断を迫られるっていうのと、実質的主人公的立ち位置の神崎雄哉のアイコに対する一見疑問にも思える振る舞いがとても面白い。あと、人工生体に汚染された場所ではグロ肉が生命全てを容赦なく襲うブロブ的環境になっているのだけど、そこに潜入して貴重なデータなどを回収する「ダイバー」の存在が面白くて、常に攻撃に対して免疫を獲得する人工生体に対し、ダイバーが逐一薬品の組成とかを組み替えて弾丸を生成する戦闘のバリエーションが考えられていて面白いなと思った。アイコと神崎、彼らを護衛するダイバーとの関係性の変化も面白い作品なので、お勧め。

『アンナチュラル』

アンナチュラル Blu-ray BOX

アンナチュラル Blu-ray BOX

本作は、設立して2年弱の不自然死究明研究所(英:Unnatural Death Investigation Laboratory)= 通称UDIラボという架空の研究機関(公益財団法人)を舞台に展開する[2]。UDIラボとは、日本における不自然死(アンナチュラル・デス)の8割以上が解剖されないままという先進国の中で最低の水準という解剖率の状態を改善するために設立され、国の認可を受け全国初の死因究明に特化した調査を行い、警察や自治体から依頼された年間約400体の遺体を解剖調査しているという設定である。ここに勤める法医解剖医の三澄ミコトを中心に、ベテラン法医解剖医の中堂系、三澄班臨床検査技師の東海林夕子、三澄班記録員の久部六郎、所長の神倉保夫らが協力し合いつつ、毎回さまざまな「死」を扱いながら、その裏側にある謎や事件を解明していく

アンナチュラル - Wikipedia

 邦ドラマを見たのは本当に久しぶりだった。色んな人がお勧めしていたし、海外ドラマで司法解剖モノとかは結構好きな題材だったので、日本で司法解剖を扱う作品が出てくるっていうのが目新しくて、丁度テレビで最終回が放映された後のタイミングで見てみたのだけど、正直一話から度肝を抜かれた。石原さとみ市川実日子などのベテランキャストら演ずる、主人公のミコトを始めとした、UDIラボの濃いメンツと邦ドラマらしいおちゃらけた雰囲気の中にある、キャラクターひとりひとりの薄暗い過去。「不自然死=Unnatural death」を扱う中で、例えばインターネット社会やブラック企業など社会問題に対する問題提起などをうまくシナリオに挿入している辺りも、一話完結の中ですごく完成度が高い作品だと思う。基本的には一話で話が纏まるが、全体を通して、中堂系というベテランながら一見偏屈な解剖医の過去に殺された恋人に関する事件が背景として、終盤のシナリオに収束していく。
 最終話へのオチの付け方が本当にうまくて、一話から最後までどれも見逃せないくらいに伏線の配置やキャラクターの構成がよく出来ていて、見ていて無駄な部分やマンネリを感じることがほとんど無かった。僕が特に好みなのが、いじめを扱った七話で、インターネット社会における劇場型犯罪と現代のいじめ事情を両方扱って、そして「自殺」に関する個々人の考え方が強烈に出ていた。いじめに遭った二人の男子が選んだ選択と、残された少年が抱いたサバイバーズ・ギルト。劇場型犯罪として全国ネットへの配信を行った少年が、ミコトに対して突きつけた挑戦を通し、少年の抱えた思いが痛いまでに伝わってくる。
 『アンナチュラル』の主題は「死者は何も言わない。しかし遺体はモノを語る」というものだと個人的には思っていて、死体を解剖して隠された真実を突き止めるのがUDIラボの使命なのだけど、けれど遺体に残るのはあくまで証拠。死者がどういう思いを抱えているか、今、仮に死後の世界で何を思っているかは誰にも分からない。最後の最後、自死を選ぼうとした少年に対して告げたミコトの言葉「あなたの人生は、あなたのものだよ」そして中堂の「死んだ奴は答えてくれない。この先も、許されるように、生きろ」というのが、この作品全体の答えであり、そしてほのかに漂う「やさしさ」なのだと僕は思った。
 あと主題歌の『Lemon』がとてもいい場面で挿入歌として流れてくるのがずるい。最近流行ってる米津玄師、気に食わねえ……と逆張りしてたけど手のひらを返した。すまん米津玄師。LOSERとかピースサインも正直好きだ。

いぬやしき

「もしある日突然、強大な力を手に入れたら――?」世界を震撼させたSFアクション「GANTZ」を描いた奥浩哉の最新作が満を持して遂にアニメ化!

トップページ | TVアニメ「いぬやしき」 公式サイト

 前々からちょいちょい集めていたけど最近実写化されると聞いたので、完結を機に一気読み。最初は犬屋敷VS獅子神の展開になると思っていたけれど、まさか最後にあんな展開にもっていくとは思わなかった。多少強引な纏め方はGANTZに通ずるものがあるけれど、GANTZみたいに長々と引き延ばしたわけではなく、全十巻ですっきりと終わらせると思えば、あのラストもすごくきれいなオチの付け方ということで納得が出来る。さえない中年男性が、何も出来ずに告げられた余命三か月。しかし自分の体がサイボーグと化してしまって得た力にて一体何をするのか。反面、同じ境遇ながらも全く違う選択肢を選んでしまった少年獅子神に対して、どういう向き合い方を取るのか。ふつうは少年がヒーローでオジさんがヴィランというのがアメコミ的展開でありがちかと思うのだけど、アメコミ的ハリウッド展開を日本という舞台で堂々と展開し、そして中年のさえないおじさんがヒーローという超斬新のアプローチをして成立してるこの作品はほんとに凄い。色々なSF漫画があるけれど、こういう、日本を舞台にしたスケールの大きなアクション作品を漫画でやれるのは、日本では奥浩哉だけだと思う。GANTZも凄い作品だったけど、いぬやしきも最高だった。実写化も巧く行きそうだし、奥浩哉の次回作を本当に楽しみにしている。

なるたる

小学6年生の玉依シイナは小学校最後の夏休みに祖父母の住む島に行き、海で溺れかけたところを星の形をした変わった生き物『ホシ丸』に助けられる。ホシ丸は少年少女の意識とリンクし、変幻自在の能力を発揮する「竜の子」の一体であった。他の「竜の子」の持ち主(リンク者)との出会いのエピソードを挟みながら、シイナは「竜の子」を用いて世界をリセットしようとするリンク者たちの戦いに巻き込まれていく。

なるたる - Wikipedia

 ミミズジュースで有名な作品。『ぼくらの』の作者で鬱っ気が強いのは確かだけれど、直接的なグロテスクではなく、精神的にキリキリと締め上げてくるような不快感や痛みを伴う表現が、一種の魅力である作品だと思う。主人公のシイナを取り囲む複雑な家庭環境、人間関係だけでなく、自衛隊在日米軍などを取り囲んだ「竜の子」に関する国家ぐるみの陰謀、そして竜の子の持ち主であるリンク者たちの出会いが、ひいては人類という種、そして地球という惑星自体を包括するスケールの大きい物語に収束してくる。よく「セカイ系」とは言うけれど、僕はやっぱり、例えば人間関係とかヒト個人個人のミクロなやり取りが、世界全体を巻き込むマクロな事件に発展する物語が凄く好きなんですけど、この辺前述したデビルマンとか、エヴァとか、そういう作品群に似たものを感じる。物語全体に存在する大きな「うねり」のようなものに小学生のシイナが巻き込まれていって、彼女が少女から『女性』に変わる過程で様々なものを見、体験して、そして選んだ答えが最終巻なのだと思うと、それはどこか物悲しくも、微笑ましくもある不思議な作品だと思う。新装版が最近出て、それを電子版で読んだので、おすすめです。

とりあえずブワーっと書いてみた。

 このあたりでおしまい。結構時間はかかったけれど久しぶりにこういう物語の感想とか、以前に見たものを思い出してまとめる作業というのはすごく楽しくて、結構達成感がある。やっぱり、僕は作家を目指している身なのでマンガにしろアニメにしろ何にしろ、ただ漠然と享受しているだけではただ流れてしまうので「何が」「どこが」「どう」面白かったのか自分の中で反芻して、アウトプットすることで得られるものは気付けるものはやっぱりあるのだと思う。
 出来るだけ、精神が安定している時はアウトプットしたいとは思っているので、お付き合いいただければ幸いです。

最後に宣伝

 同人誌を友人の西織さんたちと書き始めました。FateとかGrandOrderなどTYPE MOONに関する小説同人誌です。K-BOOKS様で委託通販させて頂いておりますので、よかったら覗いていってください。
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以下、サンプルです。

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ISF3お疲れ様でした。お礼とあとがきの代わりに。

 ISF3参加された方、一般サークルの両方ともお疲れ様でした。

 今回も相変わらず、仕事なので不参加でしたが僕の寄稿させていただいた二作品とも大盛況だったようで何よりです。買っていただいた参加者の皆様、本当にありがとうございました。あまりツイッターでは作品の内容を語っていないので、せっかくなので本編では語っていない作品の後書き的なものを書かせていただきます。

 まず、サカミネさん主催の「七尾百合子カップリングSSアンソロジー『百合の百束』」に寄稿させていただいた『涙の跡が乾く前に』という作品のお話。
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 とにかく、メジャーな組み合わせは僕でなくとも誰かが書くと思ったので、すばゆりやゆりあんは選ばなかった。かといって本編でミリオンスターズとの絡みは見ているので、じゃあ誰かというと765オールスターズの誰かになると思ったのだけど、その中で、思春期真っ只中の百合子の悩みを聞いてあげられる大人ということで、自然と音無小鳥との絡みが浮かびました。

 雰囲気としては新海誠監督の『秒速5センチメートル』を目指した感じで、かつて綺麗だと夢見た光景が今は薄汚れて見えてしまって、そんな自分を嫌悪している百合子に、大人らしい落ち着いた物腰で救いの手を差し伸べてあげる小鳥。社会の酸いも甘いも知っただろう大人の彼女だからこそ、先の見えない未来に思い悩む少女に新たな可能性を拓いてあげられる。

 なんというか、僕自身社会に出ていろいろと苦労したり、そうして見えなくなってしまったものや、逆に見えてきたものがあって、そういう大人と子供の視点を重ね合わせた作品になったと思うので、考えれば『今の自分』でないと書けなかった作品なのだと思う。こういう作品を書けてよかった。

 主筆のサカミネさん、改めて、こういう作品を書く機会を頂けて本当にありがとうございました。

 次。「時計草」にて頒布された『風が運ぶ路』に寄稿させていただいた『ウォーキング・ウィズ・ミリオンデッド』という短編のお話。

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 一応自サークルでの頒布なのだけど、相方のかみやさんが出した頒布物に寄稿させて頂くという形で書いたミリオン×ゾンビという作品。一見異質な作品に見えるけどきちんとミリオンライブのエピソード内に元ネタはあって、そのあたりはきちんと二次創作という体を取っているつもり。

 かといって参考にしたのがロメロの『ゾンビ』とか『ドーン・オブ・ザ・デッド』とか『ウォーキング・デッド』に『ゾンビランド』なのでぶっちゃけミリオンライブ要素よりゾンビ大好き精神の方が上回っていると思う。それについては反省。とはいえ「もし、ミリオンライブのアイドルがゾンビアポカリプス」のような非常事態に巻き込まれてしまったら」という状態でシミュレートしたつもりなので、キャラクターの行動原則自体は守れているのかなと思っている。何もできなかったいたいけな少女が、愛しい人の死を超えて、自ら生き延びることを選択して、それでも失われそうになった希望のさなか、暗闇に光る星を見つけて、自らも輝ける希望の存在になろうというお話なので、一応、アイマス的な原則は守ろうとしている。と思う。

 とにかく、アイマスという世界でゾンビアポカリプスをやりたかったのでそのあたりは楽しく書けた。本当は高坂海美との絡みでバディもの形式に書きたかったのだけど、一応百合子本ということで断念。うみみとゾンビの組み合わせ、絶対に面白いと思うので機会を見つけて書きたい。

 とりあえず、今のところはこのくらいで。次に参加するイベントなどは未定なのだけど、やっぱり二次創作や同人活動はとても楽しいのでミリオンライブ含めいろいろと継続していくつもり。個人的にはFGOで書きたいのだけど、何をやるかもどうしたいかも決まっていないのでその辺も考えていきたい。

 何か合同のお話ですとか、小説を書く案件などありましたらお気軽に連絡ください。お返事させていただきます。

【告知】5/20(土)開催ISF3にて頒布予定の『風が運ぶ路』に短編『ウォーキング・ウィズ・ミリオンデッド』を寄稿させて頂きました。

 先日に引き続き告知です。

 主筆のかみやさんにお誘い頂きまして、2017年5月20日に開催される「IDOL STAR FESTIV@L 03」にて、サークル「時計草」で頒布予定の新刊『風が運ぶ路』に、短編『ウォーキング・ウィズ・ミリオンデッド』を寄稿させて頂きました。生きる屍が蔓延る終末世界にて、七尾百合子が生き延びる小説です。冒頭二ページをサンプルとして掲載させていただいております。よろしくお願いします。

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【告知】5/20(土)開催ISF3にて頒布予定の「七尾百合子カップリングSSアンソロジー『百合の百束』」に短編『涙の跡が乾く前に』を寄稿させて頂きました。

 告知です。

 主筆のサカミネさんにお誘い頂きまして、2017年5月20日に開催される「IDOL STAR FESTIV@L 03」にて頒布予定の「七尾百合子カップリングSSアンソロジー『百合の百束』」に、短編『涙の跡が乾く前に』を寄稿させて頂きました。

 アイドルとして活躍し始めてしばらくした七尾百合子が、何処か満足出来ない日常に鬱屈してしまい、その胸中を音無小鳥に吐露する短編です。

 冒頭4ページをサンプルとして公開させて頂きます。
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