402号室の鏡像

あるいはその裏側

ISF3お疲れ様でした。お礼とあとがきの代わりに。

 ISF3参加された方、一般サークルの両方ともお疲れ様でした。

 今回も相変わらず、仕事なので不参加でしたが僕の寄稿させていただいた二作品とも大盛況だったようで何よりです。買っていただいた参加者の皆様、本当にありがとうございました。あまりツイッターでは作品の内容を語っていないので、せっかくなので本編では語っていない作品の後書き的なものを書かせていただきます。

 まず、サカミネさん主催の「七尾百合子カップリングSSアンソロジー『百合の百束』」に寄稿させていただいた『涙の跡が乾く前に』という作品のお話。
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 とにかく、メジャーな組み合わせは僕でなくとも誰かが書くと思ったので、すばゆりやゆりあんは選ばなかった。かといって本編でミリオンスターズとの絡みは見ているので、じゃあ誰かというと765オールスターズの誰かになると思ったのだけど、その中で、思春期真っ只中の百合子の悩みを聞いてあげられる大人ということで、自然と音無小鳥との絡みが浮かびました。

 雰囲気としては新海誠監督の『秒速5センチメートル』を目指した感じで、かつて綺麗だと夢見た光景が今は薄汚れて見えてしまって、そんな自分を嫌悪している百合子に、大人らしい落ち着いた物腰で救いの手を差し伸べてあげる小鳥。社会の酸いも甘いも知っただろう大人の彼女だからこそ、先の見えない未来に思い悩む少女に新たな可能性を拓いてあげられる。

 なんというか、僕自身社会に出ていろいろと苦労したり、そうして見えなくなってしまったものや、逆に見えてきたものがあって、そういう大人と子供の視点を重ね合わせた作品になったと思うので、考えれば『今の自分』でないと書けなかった作品なのだと思う。こういう作品を書けてよかった。

 主筆のサカミネさん、改めて、こういう作品を書く機会を頂けて本当にありがとうございました。

 次。「時計草」にて頒布された『風が運ぶ路』に寄稿させていただいた『ウォーキング・ウィズ・ミリオンデッド』という短編のお話。

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 一応自サークルでの頒布なのだけど、相方のかみやさんが出した頒布物に寄稿させて頂くという形で書いたミリオン×ゾンビという作品。一見異質な作品に見えるけどきちんとミリオンライブのエピソード内に元ネタはあって、そのあたりはきちんと二次創作という体を取っているつもり。

 かといって参考にしたのがロメロの『ゾンビ』とか『ドーン・オブ・ザ・デッド』とか『ウォーキング・デッド』に『ゾンビランド』なのでぶっちゃけミリオンライブ要素よりゾンビ大好き精神の方が上回っていると思う。それについては反省。とはいえ「もし、ミリオンライブのアイドルがゾンビアポカリプス」のような非常事態に巻き込まれてしまったら」という状態でシミュレートしたつもりなので、キャラクターの行動原則自体は守れているのかなと思っている。何もできなかったいたいけな少女が、愛しい人の死を超えて、自ら生き延びることを選択して、それでも失われそうになった希望のさなか、暗闇に光る星を見つけて、自らも輝ける希望の存在になろうというお話なので、一応、アイマス的な原則は守ろうとしている。と思う。

 とにかく、アイマスという世界でゾンビアポカリプスをやりたかったのでそのあたりは楽しく書けた。本当は高坂海美との絡みでバディもの形式に書きたかったのだけど、一応百合子本ということで断念。うみみとゾンビの組み合わせ、絶対に面白いと思うので機会を見つけて書きたい。

 とりあえず、今のところはこのくらいで。次に参加するイベントなどは未定なのだけど、やっぱり二次創作や同人活動はとても楽しいのでミリオンライブ含めいろいろと継続していくつもり。個人的にはFGOで書きたいのだけど、何をやるかもどうしたいかも決まっていないのでその辺も考えていきたい。

 何か合同のお話ですとか、小説を書く案件などありましたらお気軽に連絡ください。お返事させていただきます。

映画の余韻がより一層深まる 小説版『君の名は。』『君の名は。 Another Side:Earthbound』感想。

映画を楽しめた人には両方おすすめ

君の名は。』『君の名は。 Another Side:Earthbound』を読みました。両方とも良かったんですけど、特に『Another Side:Earthbound』の方は映画であまり説明されていなかったことが事細かに補完されていて、自分が映画に対して抱いていた不満が大部分解消されたので、映画にもやもやを抱えている人は是非読んでみてほしいです。ネタバレはしないので興味を持った方は是非に。

忠実なノベライズながら、色々気づけた部分もある。

 前者は新海誠自身が映画に忠実にノベライズをしたと言う印象で、特に映画と違った様子や描写は無かったのだけれど、映画では分かりづらかった入れ替わりの時系列がすごく分かり易くなっているし、地の文にある心理描写が入れ替わり自体のおかしさや、思春期らしい恥ずかしさと好奇心が混ざり合うような感情がよくわかるので映画にハマった人なら復習の意味を込めて、是非読んでみると良いと思う。僕個人としては映画で何の気にも止めていなかった冒頭のシーンにあんな深い意味があるのか!と気付いてからは、最初からページをめくる手が止まらなかった。これを読んだ上でもう一度見に行くとかなり楽しめるんじゃないかなと思う。

原作を補完するサイドストーリー

 『Another Side:Earthbound』のほうは、原作では描かれなかった物語が四つの短編から構成されていて、ひとつが「三葉の体の中に入った瀧の視点」で、二つ目が「テッシーこと勅使河原の視点」、三つ目が「三葉の妹である四葉の視点」で、最後が「宮水としきこと、三葉の父親の視点から描かれていた。そのどれもが原作では分からなかった、別視点での描写などが書いてあって面白かった。例えば、女子の体の中に入る羽目になってしまった瀧がやたら冷静に三葉の体や女子的な部分を観察していたりだとか、ブラジャーに関して細かく考察を重ねていたりだとか端から見れば笑える感じの物語があったと思えば、建築業を営む実家に嫌気が刺していながらも、決して後ろ向きにはならないテッシーの考えなどが書いてあったり、他にも、急におかしくなってしまった姉に対し困惑しながらも、自分にも怪奇現象が降りかかった三葉の話など、読めば読むほど『君の名は。』が綿密な世界観とキャラクター描写で出来ていることが分かってきて、より一層キャラに愛着が持ててくる。

原作で描かれなかった、宮水の家の真相

 映画では三葉とその父である俊樹がどうして不仲なのかはあまり説明されず、三葉の母である二葉との死別が原因だろうということしか推察は出来なかった。だからこそ、どうして三葉が最後の最後にお父さんを説得して動かせたのか分からなかったのだけど、その辺りが丸っと補完されていて驚いた。元々、宮水の家になぜ、俊樹が婿入りしてきたのだとか、どうして宮水の家と俊樹が疎遠になってしまったのかとか、そもそも宮水の巫女とは一体なんなのか?と言う所が全然分からなかったのだけど、それら全ては宮水の血筋に原因があって、そもそも彼の妻であり、三葉や四葉の母である、二葉の存在自体に、全て集約されていた。そこに気付いた時には、二葉とお父さんが対面した時のとらえ方が全然違うことが分かって、多分もう一度本編を見返した時には全く違う受け取り方をするだろうなという感動があった。二葉の死をきっかけに、元々民俗学者だった俊樹が政治を志すようになり、市長として町の改革に携わろうとしている理由までしっくりきて、ただの頑固ものじゃない、ひとりの男性だということに気付いて、彼もまた大きな流れに翻弄された一人なのだという、淡い悲しさがあった。

とにかくAnother Sideは必読

 ノベライズの方は、まぁ後でも良いとしてもAnother Sideのほうはもはやこれ含めて本編だと思うくらいに良いので是非読んでみて欲しい。これを読むと読まないとじゃ前にも言ったように不明点やもやもやが解消されているし、何というかこれ含めて本編の伏線回収という感じなので、劇場で映画を観た後は是非、手に取ってみて欲しい。

Another sideを執筆した加納新太さんは『秒速5センチメートル』のサイドストーリーで、明里視点など違った切り口の作品を執筆しているので、これも凄くお勧めです。これもまた、読んだ上で本編を鑑賞すると違った解釈を得られて楽しい。

 

振り返らない物語から、振り返る物語へ。『君の名は。』感想

 『君の名は。』を観てきた。単純に、とても良い作品だったと思う。元々、新海誠作品は大好きで、『ほしのこえ』から『言の葉の庭』まで、毎度楽しみに観させていただいた監督の作品なので、今作も前々から期待していた。期待に違わない名作で、今現在絶賛されているのも納得な出来だったと思う。
 
 ただ、正直な所不安要素が大きくて、予告編だけ見ると個人的に苦手な要素がとても多そうで*1、何となく、大衆的な部分が多くを占めてしまっているのではないかという怖さがあった。というのも、新海誠監督は、完璧過ぎた思春期の憧憬だとか、決して縮まることの無くなってしまった男女の距離や、もう戻らない絶対的な時間の経過により生まれた断絶、幻想的過ぎる都市の描写など、観る人から観れば「拗れている」と形容されるが、理解出来る人には本当に心に刺さるような作風で多くの人を魅了していて、僕もそのひとりだった。だからこそ、さわやかな青春や恋愛作品を想起させる『君の名は。』に対して、どこか僕は忌避するような感覚を抱いていた。たぶん多くの人はこのような清涼感ある作品を求めていて、それはきっと正しいのだろうけど、ただ単純に、今まで新海誠作品を観ていた僕は「何かが違う」と一人勝手にすれ違いのような思いを抱いていた。予告編を観た人たちの前評判でも僕と同じ感覚を抱いている人が多くて、実際公開してから今日この日まで僕は劇場に足を運ぶ気が起きなかった。

 それで、いざ『君の名は。』を観に行く勇気を振り絞る為に、わざわざ早起きまでして美容院まで行って髪型を整えて、あえて日曜日を外した月曜日、人が少なそうな時間帯を狙って劇場に足を運んだ。だけど見回してみれば辺りは女性、小学生、中学生。以前都内に『言の葉の庭』を観に行った時とはまるで違う客層に、はたまた胸の内のこじらせた感覚が頭を出して、押さえつけるのに必死だったけれど、とにかく序盤は自分の中のこじらせ感を黙らせるのに苦労していた。主人公の瀧とヒロインの三葉はいままでの新海誠作品に出てくる登場人物の中でもトップクラスに真っ直ぐで、ふたりとも年頃にかわいくて、ドタバタしてて、そのふたりの入れ替わりがラブコメチックでとても楽しかったのだけど、どこからしくない感じに「面白いけどこれは違う」という感覚が頭を占めていた。

今までとは違うけれど、これは紛れもない『新海誠』作品で

 けれど突然、入れ替わり現象が起きなくなって、その真相を調べに三葉の住んでいた村へと瀧が訪れたところ、実は三年前に彗星の破片が衝突して、村は消滅していたことを知る。多くの人が死に、その中に、入れ替わっていたはずの少女、宮水三葉が居た――という展開には度肝を抜かれ、ここから先はのめり込みっぱなしだった。死んでいたはずの人間、時空の乱れ、物理的以前に断絶された運命、会いたいけれど会えない時間の距離――いままでの作品で培われてきた新海誠作品のエッセンスが炸裂し始めるなれど、それでいて、真っ直ぐな物語の流れがとても楽しい。時間的にも遠く離れていて、どこか不明瞭な存在なれど、オレはここにいて、お前もここに居るという、物理的にも時間的にも届かなくても、心だけはそばにいるよという『ほしのこえ*2を想い起こさせるような展開だった。だけれど決して会えない訳じゃなくて、あくまで会いに行こうと三葉が上京したり、もしくは瀧が三葉の村に行こうとするなど、二人とも「繋がろう」とする意思があった所も良かった。『秒速5センチメートル』の場合は、会おうと思えば会える距離にも関わらず、実際に会わずに貴樹自身が想いを募らせ過ぎてしまったという部分があって、お互いに会おうというバイタリティの強さ、若さがゆえのエネルギーを感じられた所が面白かった。実際に二人が会っていたということが、三葉の髪留め、そして瀧が手に巻いている紐という伏線があって、そこで時間のズレというものをよく表現していたんだなと思う。スマホやチャットの存在など昔とは違って、どこの誰とでも会おうと思えば会える現在の時代において、簡単に会えるはずが、実は三年の時間のズレという途方もしれない断層があるというのがこの物語の落とし穴であり、また奥深いところ。

 彗星の破片が村に墜ちるという話を聞いてから、破滅の運命を回避しようと、時間が違う場所で懸命になる所は、正直もう少し描写が欲しかったなと思う。三葉と父の間の確執があって、にも関わらず、どうして三葉は最終的に父親を説得できて、村人たちを大災害から救うことが出来たのかという疑問は残る。それでも危機的状況を前にして、大人たちの知らない所で少年少女が奔走するという流れはセカイ系あたりの雰囲気を感じて、ゼロ年代を彷彿とさせる感覚で好きだ。ぼくときみが救った世界だけど、他の誰の記憶にも、英雄的行為の記録は残らない切なさ。

 そして、ぼくらでさえも結局、このことは忘れてしまうのだ。時間が経過して、記憶自体が風化してしまって、またも夢物語のようだった時間が現実の乾燥した空気に呑み込まれてしまうというのも切ない所。就職活動で巧くいかず、なんとなく、かたちのみえないなにかを追いかけている瀧。一体何が自分を引き付けているのか分からないもどかしさというのは、思春期から大人になるにかけて僕らもきっと経験したはずで、この辺りは『秒速5センチメートル』と同じような、思春期の出来事に対する憧憬的な心の痛みを感じた。

なんとなく、腑に落ちない部分も多いのだけれど

 ただ、単純に、三葉が奉納した口噛み酒*3を飲めばもう一度入れ替われるだとか、ちょっとした疑問点が多くて、そういう場所は気になった。宮水の家系には代々入れ替わり能力があったという所から考えると、入れ替わり能力自体は、最初に村に隕石が墜ちた際に、宮水の家系に突然変異的に生じたものであり*4、そのクレーターの場所で、宮水に縁のあるものと肉体的接触(唾液の交換=疑似的な接吻?)をすれば入れ替われるなんて考察も出来ると思う。隕石の墜ちた場所で突然変異が起こるとか、伝奇SFとかの展開では散見出来るし、もそういう所を考えると非常にSF的で楽しい部分もある。

 しかし、未だに考えても分からないのが「どうして瀧でなければ無かったのか」という所だ。宮水の家系に入れ替わり能力があるとして、一体なぜ、縁もゆかりも無い、遠く離れた東京の地に生きる少年が、三葉と入れ替わらなければならなかったのか。男女の出会いとか、人と人とのつながりとか、そういうものに理由はいらないとかいう考え方も出来るし、同じ日、同じ時にあの彗星を見上げていたという理由付けも出来るけど、どこかはっきりと「ぼく」と「きみ」が繋がる決定的な理由を見つけられなかったという点は、僕の中で生まれたもやもやの理由だと思う。

 ただ、そういう明確な理由付けがこの物語に無くても『君の名は。』が傑作であることは明確だと思う。SF的リアリティなんて難しいものは犬に喰わせてしまえ、大事なことはつまり「きみ」と「ぼく」の思いなんだという一貫した作風の流れを感じて、その辺りはあくまで分かりやすさや面白さを重視した展開だと思えば、作中の矛盾とかを割り切って、きっと純粋な心で物語を楽しめる。

「振り返らなかった」物語から、「振り返ることができた」物語へ

 多くの人が感想や考察で書いているように、『ほしのこえ』では逢えない距離にまで離れてしまった物語を、『秒速5センチメートル』は、逢えないことで分岐点が分かれてしまった二人の物語を。他にも様々な理由で男女の断絶や、会えない距離や結ばれない切なさを描いてきた新海誠が、最終的に「逢えた」物語を描いたこと自体が『君の名は。』の価値なのだと僕は感じた。振り返らない物語から、振り返る物語へ。自分自身が描いてきた作品に対するセルフアンサー的な作品である側面も、存在するのかもしれない。

 想いは時を超越する。愛は地球を救う。遠く遠く離れていても、きみのことが分かるように。難しいことは言わずにそれでいいんだと思う。きっとそれで。

 どうやらこのスピンオフ小説で三葉側の話が掘り下げられるということで、物語の不明瞭な部分が補完されることも期待したい。作者の加納新太さんは『秒速5センチメートル』のノベライズでもとても素晴らしい文体で別視点の物語を書いてくれていたので、これを読むのが凄く楽しみ。
lilith2nd.hatenablog.com
 公開当時に『言の葉の庭』の感想も書いてますので、こちらもよろしければ。

*1:何がキツイかって、僕が高校生の頃から苦手なRADWIMPSが主題歌で、その点一番不満だったのだけど、実際見に行ったらやたらと感動的な場面で挿入歌に使われてて、それが一番つらかった。人気なバンドだから仕方ないけど、この一点が非常にストレスで、感動の五割くらいは失われていた。個人的な好みだからもはやどうしようもないけど、そのどうしようもなさが余計につらい

*2:携帯のメッセージでのやりとりが『ほしのこえ』で、かつ、携帯が無かったがゆえに遠かった二人の距離を描いた『秒速5センチメートル』を踏まえると面白い

*3:僕も三葉ちゃんのアレ飲みたいですね

*4:クレーターや隕石、流星群が超常現象の引き金という事で『黄泉がえり』を思い出した。

『ノノノ・ワールドエンド』読了。

ノノノ・ワールドエンド (ハヤカワ文庫JA)

ノノノ・ワールドエンド (ハヤカワ文庫JA)

「世界なんて終わっちゃえばいい」暴力を振るう義父と受け入れるだけの母、良いことなんて何もない毎日に絶望する中学3年生・ノノ。彼女の願いをかなえるかのように、白い霧に包まれた街から人々は消え、滅びのときは数日後に迫った。望み通りの終末に怯えて逃げ出したノノは「世界が終わっちゃうのは、あたしのせい」と告白する白衣の少女・加連と出会う。そして少女二人きり、何処にも辿り着けないおしまいへ向かう旅が始まる。

ノノノ・ワールドエンド (ハヤカワ文庫JA) : ツカサ, so-bin : 本 : Amazon

 緩やかな滅びが近づいてくる世界において、少女と少女はただ、終わりに向けて自転車を漕ぐ。

 何というか、凄く穏やかな雰囲気の小説だった。突如発生した謎の霧が世界を覆い、巻き込まれた人間は跡形もなく消滅してしまう中で、誰にも抗うことが出来ない終わりを、ただ目を瞑って受け入れるしかない状況。怪物が出るわけでもなくて、核ミサイルが空を飛ぶわけじゃない。ただ柔らかな霧に飲み込まれるだけで終わりが訪れる。苦しみも混乱もない中で、世界は少しずつ、さよならに向けて進んでいく。

 元々、自己を取り巻く世界の全てに諦めと絶望を抱いていたノノにとって、終末の訪れ自体はほかの人とは違い、何の感傷を湧き起こすものでもなかったのだけど、そんな彼女が、世界を終わらせた原因である少女、加蓮と出会う。

 曰く、世界はもうどうしようもないことになっていて、取り返しのつかない状況なのだけど、最後に会いたい人がいる。だから東京に行く。と加蓮は言った。ノノは成り行きで彼女についていくことになったのだけど、だからといって何が変わる訳でもない。世界は終わりに向けて歩みを進めているし、少女ふたりが終わりに抗う術もない。だから彼女たちはひたすらに自転車を漕ぎ続けるのだけど、その道中に、二人がかつて得られなかった幸福が満ち満ちていたのが、何より切なかった。天才がゆえに孤独だった加連。世界に居場所を見つけられなかったノノ。その二人が、お互いの欠けた場所を埋めあうように言葉を交わし、得られなかった友情や幸福に浸りながら、少しずつ霧の中を進んでいく。彼女たちが微笑みあっている間にも、霧は世界を覆いつくしていて、それでも少女たちは自転車を進め、そして終末に至る場所において、眠るような終わりを迎える。

 たぶん、いつか世界は本当に終わるのだけど、それが少女たちが微睡むような安らかな終末なのであれば、それもまた幸福な終末なのかもしれないと、そんなことを思った。

ミスト コレクターズ・エディション [DVD]

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 スーパーマーケットでひと悶着ある辺り、意識している気がする。もっとも、クトゥルー的な化け物は一切出てこないから安心してください。

2015年に読んだオススメ本

今年読んだ中で面白かった小説をベスト5形式で振り返ってみたい。是非皆さんにも読んでみて欲しいので、ネタバレは含まずに書きます。一応、今年出たというより今年に読んだ本なので、古い本もあるけどご容赦を。

2015年に読んだ本ベスト5

1 チャーリー・ヒューマン『鋼鉄の黙示録』

鋼鉄の黙示録 (創元SF文庫)

鋼鉄の黙示録 (創元SF文庫)

 南アフリカを舞台にナード的気質の主人公がオカルト世界にズブズブと嵌り込んでいく内にアメコミ的クリーチャーや政府極秘機関ひいては自分の出生から宇宙的規模の話に広がっていくのがあまりに最高過ぎて脳汁が止まらなかった。クトゥルーとかエヴァを連想させる世界観の広がり方とか、ゾンビ相手にショットガンぶっ放して行くボンクラ感とか、とにかく最高に最高だったので、超伝奇オカルトバトルとかそういうの好きな人は絶対全員読んでくれと言う話。

2 吉上亮『パンツァークラウンフェイセズ

 大規模災害から復興した日本に出来た商業実験都市イーヘヴンで繰り広げられる、サイバーパンク強化外骨格同士のバトルに加え民間軍事企業や傭兵が跋扈していく様子がカッコイイし、翻訳風味の小気味いい文体で心地よいルビ振りをしてくれてるのが快感な小説。SF界隈にて伊藤計劃以後の文脈で語られがちな小説でAmazonレビューは不当に低くなりがちだけどその実この物語の真髄は近未来仮面ライダーである。特撮知識があれば所々にニヤリとさせられる演出や、そもそも「同じコンセプトで開発された兄弟機同士の一騎打ち」のようなベタなシチュエーションバトルが好きな人にとっては絶対お勧め。

3 藤原祐レジンキャストミルク

本当に面白い本というのは最初の一ページで凄さが分かるというけれど、この本がその例に該当すると思う。のっけから正直訳分からん厨二ルビ振りワードの全開で脳味噌を掻き回されていく感覚でおそらく読者がふるいにかけられるのだろうけど、僕の場合あの強烈な世界観に魅せられてしまって、すぐに読み終わってしまった。日常のすぐ裏側に異常が忍びよっているゼロ年代現代伝奇風味の味わいにきちんとギャルゲやラノベの文脈でギャグも挿入されているのが本当に巧くてまさしく、非日常と日常の塩梅が絶妙。だからこそバトルシーンが映えるし、その日常を失いたくない/失った時の絶望感というのがひとしお訴えかけてくるそんな感覚。良い年して厨二病をこじらせてしまった諸君、この小説を読め。

4 らきるち『絶深海のソラリス

 深海×異能力×パニックホラーをラノベで実現させるとは滅茶苦茶凄い作品だと思う。本来深海を舞台にしたモンスターパニックと言ったらハリウッドのB級が定番だろうし、ありふれ過ぎて話題にもならないだろうけど、それをラノベ的美少女と絡ませるのが妙案というか、その発想があったか!という感覚でニヤリとさせられた。序盤でラノベ的展開でフラグを立てまくったヒロイン達が後半深海モンスターに襲撃されて酷い目に遭いながらも、持ち前の異能で撃退していく様も熱いし、それすらも適わない展開になってくるとほんとここからどうなるんだ……と、まさしく先の読めず、一気に読み終えてしまった記憶が強い。個人的にオチが最高なのでぜひ。

5 辻村深月『ハケンアニメ!』

ハケンアニメ!

ハケンアニメ!

 「正直、自分の好きだった辻村深月は終わった」と思っていた時が僕にはあった。ジュブナイル感の強かった作風から恋愛や感動にシフトした作風になってから、あまり好きではなくなった作者で、この作品についても周りが話題にしていなかったりだとか、自分の好きなクリエイターの創作秘話みたいな話じゃなかったりしたら、手に取る事は無かったと思う。(あと当時『SHIROBAKO』というアニメが放映してたこともあった)だけれどこの作品を読んでから辻村深月についての評価は一変した。アニメ製作にかける情熱、世間に理解されないながらもオタクであり続けることのプライドや誇り、ビジネスとしてのアニメ製作、そして地元密着型のタイアップ……など、昨今のアニメ事情を汲んだクリエイター魂に、大人同士の深い人間関係など、漫画的ながらもリアルな人間模様が書いてあって凄く面白かった。自分の中で辻村深月は終わったのではなく、思春期から大人へと、純粋に作風が成長したのだと、素直に認められるようになったきっかけにもなる素晴らしい小説だった。

本当はお勧め映画でも書きたいのだけど、少し時間がないのでこの辺りで……それではみなさん、よいお年を。